徒然記2009/9~12 徒然記2010/1~3 徒然記2010/4~6 徒然記2010/7~9 徒然記2010/10~12 徒然記2011/1~3 徒然記2011/4~6
徒然記2011/7~9 徒然記2011/10~12 徒然記2012/1~3 徒然記2012/4~6 徒然記2012/7~9 徒然記2012/10〜12 徒然記2013/1~3
徒然記2013/4~6 徒然記2013/7~9 徒然記2013/10~12 徒然記2014/1〜4 徒然記2014/5〜8 徒然記2014/9〜12 徒然記2015/1〜4
徒然記2015/5〜8 徒然記2015/9〜12 徒然記2016/1〜3 徒然記2016/5〜8 徒然記2016/9〜12 徒然記2017/1〜4 徒然記2017/5〜8
徒然記2017/9〜12 徒然記2018/1〜6 徒然記2018/7〜12 徒然記2019/1〜6 徒然記2019/7〜12 徒然記2020/1~6 徒然記2020/7〜12
徒然記2021/1〜6 徒然記2021/7〜12 徒然記2022/1〜6 徒然記2022/7〜12 徒然記2023/1〜6 徒然記2023/7〜12 徒然記2024/1〜6
恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。
■新年1月1日
寺族で修正会(しゅしょうえ)
新しい年の初めに一年の吉祥・平安を祈ってお勤めする法会を修正会(しゅしょうえ)といいます。恵光寺では檀信徒の方々が新年のお参りに来られる前に寺族だけで修正会をします。
昨年は恵光寺の坊守もここに座っていたのですが、残念ながらいっしょには写真をとる事はできませんでした。ほとけさまの国から笑顔でいっしょに参加してくれたと思っています。
【写真】寺族でお正月は修正会の跡の集合写真。左奥に芳子の遺影が祀られています。
■2012年1月2日
恵光寺の修正会(しゅしょうえ)
恵光寺修正会(しゅしょうえ)は毎年2日の午前11時から勤まります。今年も多くの方でにぎわいました。
昨年の東日本大震災で、たくさんの方々が亡くなり、また被災、避難を余儀なくされた方が今も大変な思いをしておられます。加えて、原子力発電所事故は私どもがしてきた安逸な生活が根底から問われることとなりました。ですから、新年といっても心からおめでとう、とは言えない元旦になりました。
震災以前は「世の中、無縁社会」といわれましたが、こんどの大震災で「人は助け合ってしか生きられない」ということを経験しました。それはひとことでいうと「絆(きずな)」です。社会用語でいえば「共助」。人は「おたがい助け合ってこそ、人の本質がわかり、仕合わせが得られるのだと思います。「絆」を生きていくしあわせを希望と感じながら前へ進んでいきましょう。
写真上左より順に
【写真1】 修正会が行われる本堂の新年の荘厳
【写真2】 修正会のお勤めの様子
【写真3】 永観堂・中西玄禮管長さまの「お言葉」を拝読
【写真4】 法要の最後は中西彦介総代のご挨拶
【写真5】 庫裏(くり)座敷に移動してみんなで新春の乾杯
■2012年1月13日
市原野社協の新年すこやか学級
毎月第2木曜日は市原野社会福祉協議会主催の「すこやか学級」が地域の高齢者が市原野会館に集って行われています。
この日は新春会でお琴の演奏の中、お茶の接待がありました。小生も正客となってお点前を頂戴いたしました。
【写真右】 お点前の様子(1月13日/市原野会館交流室)
【写真上】 参加したすこやか学級の人たち
【写真下】 小生もお正客としてお点前を頂戴いたしました
■2012年1月17日
永観堂本山で阪神大震災祥当回向
毎年1月17日は永観堂本山で前日から布教講究所が開所され、17日当日は阪神大震災勃発の時刻に大殿で祥当回向を行います。小生もご本山でご法主中西玄禮猊下のお導師の下、震災回向をさせていただきました。合掌。
【写真】 中西玄禮ご法主猊下導師の震災ご回向(1月17日午前6時46分/永観堂大殿)
■2012年1月22日
市原・神宮寺で「大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)」
市原・神宮寺で「大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)」。今年一年の市原野安全、息災、五穀豊穣を祈願して静林寺と恵光寺の2ヶ寺と市原の神事委員会当番の出仕で修行します。
【写真】 大般若転読修行の様子(1月22日/市原神宮寺)
■2012年1月寒中
さんが・いちはらのは「寒中托鉢」
さんが・いちはらの(市原野の5ヶ寺参加)は恒例の「寒中托鉢」を1月24日、25日の朝、街の中を念仏をも唱えながら回る行道、そして1月30日はコープ市原野の前で托鉢を行いました。ことしのみなさまのご浄財は仏教国際ネットワーク・アーユスを通じて東日本被災地に送らせていただきます。みなさまのご支援にお礼を申し上げます。
【写真上】 さんが・いちはらのの寒中托鉢(1月24日朝/野中町専称寺前鞍馬街道)
【写真下】 寒中托鉢(1月30日夕方/コープ市原野前)
【写真右】 同 子どもの喜捨(1月30日夕方/コープ市原野前)
■2月14日午後6時〜15日午前8時
永観堂禅林寺にて みかえり念仏行道会(ねんぶつぎょうどうえ)
永観堂の念仏行道会は、今から約900年前の2月15日の払暁、永観(えいかん)さまが本堂(今の阿弥陀堂)で念仏行道中、いつのまにか阿弥陀さまが壇上から下りて永観さまの前を歩かれた故事をもとに行われています。永観さまのご感得を追体験しようと今年もたくさんの方が永観堂に集まりました。
【写真右】 永観堂の阿弥陀堂で念仏行道をする人々(2月15日朝5時)
■2012年2月16日
永観堂前法主・小木曽善龍猊下ご遷化
小木曽善龍猊下(前浄土宗西山禅林寺派管長・総本山禅林寺法主)がこの2月16日遷化されました。人寿94。ご自坊は京都市南区吉祥院高畑町・香泉寺さま。大正7年山口県のお生まれ。昭和24年に京都大学文学部宗教哲学科を卒業。大阪市の市立中学校の先生や京都拘置所と京都刑務所で教誨師や篤志面接委員を歴任、児童保育にも功績を残されました。
宗派では布教師として活躍、平成17年に禅林寺派管長・禅林寺第89世法主に上がられ、私どもをやさしくご指導、教導下さいました。お元気で、だれもがこのような事態を考えていない間に忽然と亡くなられ、見事な最期だったそうです。
南無阿弥陀仏
■2012年2月18日
恵光寺坊守の一周忌法要
昨年3月19日にお浄土に還りました恵光寺岸野芳子坊守の一周忌を勤めました。3月の命日はお彼岸中でもあり、一月早い2月18日に勤めました。檀家の方70名がお参りして下さったことはとても力強かったです。法要を進行して下さった組寺・法類のご寺院、婦人部、企画委員会の方々、ありがとうございました。
【写真上】 宝幢寺住職・釈真行師による一周忌法要に先立っての講話
【写真下】 恵光寺岸野芳子坊守の一周忌の祭壇
【写真右上】 恵光寺岸野芳子坊守の一周忌法要の様子
■2012年2月26日
「一周忌にあたって芳子さんを語る会」
お浄土に還りました恵光寺岸野芳子坊守の一周忌にあわせて地域・友人の方々が「芳子さんを語る会」をして下さいました。
住職として、夫として「もったいない」としか言えません。
合掌・感謝です。
【写真右】 地域・友人の方々による合唱(恵光寺庫裏にて)
■2012年2月29日
静岡県焼津市で行われた「ビキニデー平和交流会」に参加
1954年3月1日、アメリカが太平洋マーシャル諸島近海のビキニ環礁で行った水爆実験に、焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が遭遇。同船の乗組員23人全員が高度の放射線を被ばく。同年9月23日に無線長・久保山愛吉さん(当時40歳)がなくなりました。毎年この3月1日をビキニデーと名付け、世界の宗教者や良心ある人々が焼津に集まり、核兵器のない世界の実現を誓って集まっています。
私もいちどは参加したいと、と思ってきましたが、東日本大震災による「フクシマ」がありましたので今年こそ、と思い参加しました。
前日の29日には日本宗教者平和協議会主催の宗教者平和交流集会が行われ、全国から仏教、天理教、キリスト教、神道など各宗教者60余人が参加し、原発問題をどうするか、宗教者はどうあるべきか、を協議しました。
三人の僧侶・牧師の講演がありましたが、直接被災者である早川篤雄師(福島県浄土宗宝鏡寺ご住職)の現状説明には身が引き締まりました。「間違ってもこのような悲惨な事故が二度と起こらないよう宗教者として行動していくことが、地震と津波でなくなった人たちの供養、次の世代へのつとめと考えます」と訴えられました。
翌3月1日のビキニデー本番の日は好天にめぐまれ、焼津駅から久保山さんのお墓のある弘徳院までを1500人の人たちが行進しました。お寺では焼津仏教会主催の墓前祭が営まれました。あまりにもたくさんの人々のお参りに感激をしました。
【写真上】 3.1ビキニデー 宗教者交流会(2月29日 静岡県焼津市かんぽの宿)の講演者団
【写真右上】 3.1ビキニデー 平和行進(3月1日 焼津市駅前)
【写真下】 3.1ビキニデー 久保山愛吉さんのお墓 『原水爆の犠牲は私を最後にしてほしい』という久保山さんの言葉が横断幕で示されている(3月1日 焼津・弘徳院)
■2012年3月1日
静岡県焼津市で行われた「ビキニデー平和交流会」に参加
(一部先月号の最終記事と重なっています)
1954年3月1日、アメリカが太平洋マーシャル諸島近海のビキニ環礁で行った水爆実験に、焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が遭遇。同船の乗組員23人全員が高度の放射線を被ばく。同年9月23日に無線長・久保山愛吉さん(当時40歳)がなくなりました。
毎年3月1日をビキニデーと名付け、世界の宗教者や良心ある人々が焼津に集まり、核兵器のない世界の実現を誓って集まっています。今年は第58回目です。
私もいちどは参加したい、と思い続けてきましたが、今般、東日本大震災による「フクシマ」がありましたので今年こそ、と思い参加しました。参加して原爆、原発の異常さを痛感しました。
前日の29日には日本宗教者平和協議会主催の宗教者平和交流集会が行われ、全国から仏教、天理教、キリスト教、神道など各宗教者60余人が参加し、原発問題をどうするか、宗教者はどうあるべきか、を協議しました。三人の僧侶、牧師の講演があり、直接被災者である早川篤雄師(福島県浄土宗宝鏡寺ご住職)の現状説明には身が引き締まりました。「間違ってもこのような悲惨な事故が二度と起こらないよう宗教者として行動していくことが、地震と津波でなくなった人たちの供養、次の世代へのつとめと考えます」と訴えられました。
この3月1日のビキニデー本番の日は好天にめぐまれ、焼津駅から久保山さんのお墓のある弘徳院までを1500人の人たちが行進しました。お寺では焼津仏教会主催の墓前祭が営まれ、行進に参加した人たち全員が焼香、献花、その人の多さにはビックリで感激をしました。法要の後、弘徳院の松永芳信ご住職(焼津市仏教会会長)は「被ばくした久保山愛吉さんは原水爆の犠牲者はこの私を最後にしてほしい、と言い残されました」とお話になりました。そのあと、焼津市長、広島市長、長崎市長からのメッセージが紹介されました。
午後は焼津市文化センター大ホールで行われた「被災58年2012年3・1ビキニデー集会」に参加。会場には入りきれない人がいっぱいで、別室で中継モニターをとおして会場の様子を見る人が大勢いました。集会の記念講演は立命館平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎さん。原発は平和利用ではなく、戦争の原因として位置づけられる、原発現場で働く人たちの人権を考える必要がある、など、講演されました。
中でも第五福竜丸の生存乗組員の被曝後の状況の訴えには涙がこみ上げてきました。
【写真右上】 集会の行われた焼津市の焼津港からみた富士山
【写真左上】 3.1ビキニデー 久保山愛吉さんの墓前祭に焼香、献花する人々(3月1日 焼津・弘徳院)
【写真右中】 久保山愛吉さんのお墓 『原水爆の犠牲は私を最後にしてほしい』という 久保山さんの言葉が横断幕で示されている(3月1日 焼津・弘徳院)
【写真右下】 墓前祭で誓いの言葉を述べる若狭は明通寺の中嶌哲演さん。宗教者として「負の遺産を次代に残してはならない。そのためにたたかう」と力強くせんげんされました。この中嶌さんには6月24日午後《さんが・いちはらの》などの呼びかけでこの恵光寺に来て戴くことになっています
■2012年3月4日
岩倉南小学校で左京区社協の「第3回洛北福祉まつり」
テーマは《洛北からも発信 絆のうれしさ 力づよさ》
左京区社協と私ども洛北地域の8学区社協、福祉施設、地域包括支援センターなどが力を合わせて行う福祉イベント「第3回洛北福祉まつり」がこの3月4日、岩倉南小学校体育館で開催されました。これは、地域の人々どうしがつながりをひろげ、心のひとりぼっちをなくそう、と企画されたものです。当日はあいにくの雨天でしたが、各学区から老若男女が会場いっぱいに集まりました。
とくに今年は大震災をうけて、そのテーマも「洛北からも発信 絆のうれしさ 力づよさ」として行われました。中でも福島の家が流されながら、それでも世界の人々にこの日本大震災・原発の状況を知らせつづけておられるミチコ・ナイバーグさんをお招きして人々のつながりの大切さ、うれしさをお話ししていただきました。「絆」をあらためて感じた大イベントになりました。
【写真右上】 会場となった左京区岩倉南小学校体育館
【写真左上】 ステージで演じる市原野の子どもたち
【写真右下】 福島のお話をして下さったミチコ・ナイバーグさんといっしょに
【写真上】 花びら型のカードに参加者がメッセージを書いて大きな気にして東日本に送る「絆の花」
■2012年3月5日
永観堂禅林寺にて 「講讃導師の辞令伝達式」
法然上人がお亡くなりになった忌日の法要をとくに「御忌(ぎょき)」とお呼びします。毎年4月22日~4月25日の四日間、本山・永観堂で盛大に行われます。今年の御忌は法然上人第801回忌になります。
この大法要の満座日(25日)に恵光寺の住職が《講讃導師(こうさんどうし)》として出仕します。講讃導師は宗派の管長になり代わって式典の中で御忌の法要厳修の趣をのべる需要役職です。
この3月5日、本山で「講讃導師の辞令伝達式」が行われ、住職は総代2名とともに登山し、辞令を頂戴いたしました。
【写真右上】 辞令伝達式が行われた本山の孔雀間(法主謁見所)
【写真左上】 中西玄禮管長から直接辞令が伝達される
【写真上】 講讃導師3名と総代型といっしょに記念撮影。中央が中西玄禮管長
◆なお、式典当日(4月25日)は恵光寺団体参拝をします。希望の方は恵光寺までご連絡ください。
■2012年3月11日
大震災一周忌。《鎮魂の灯》点火と追悼の鐘つき
《さんが・いちはらの》が恵光寺で実施
この3月11日は東日本大震災・津波一周忌。
《さんが・いちはらの》は恵光寺で亡くなられた方15,854名、行方のわからない方3,155名の追悼法要を修行。
境内には竹筒で「絆」の字を書き、地震勃発の午後2時46分には恵光寺鐘楼で追悼の鐘つきをしました。
【写真右上】 竹筒に願いをこめて点灯された灯文字(3月11日/恵光寺)
【写真右下】 灯文字「絆」
【写真左上段】 午後2時46分、恵光寺鐘楼前で合掌をする参会の人々
【写真左下段】 本堂で一周忌法要(3月11日)
【写真下】 竹筒にローソクを立てて灯文字を用意する人々
■2012年3月18日
恵光寺春彼岸施餓鬼法要
年中行事の一つであります「春秋彼岸施餓鬼(せがき)法要」。本堂の外陣に設(しつら)えた施餓鬼壇に餓鬼飯と山海の盛りものを上げて供養します。多くの檀信徒がご先祖の供養に焼香をし、手を合わせました。東日本大震災・津波で亡くなられた方々、台風12号でなくなられた方々のご回向もみなさんといっしょに勤めました。
■2012年3月19日
恵光寺坊守正当の一周忌法要
お浄土に還りました恵光寺岸野芳子坊守の一周忌は先月の命日に行いましたが、この日は亡くなったまさに一周年のその日。身内で法要を勤めました。
お彼岸でもあり、坊守の霊前やお墓に参ってくださる方が多く、もったいないこと、と思っております。
合掌。九拝
■2012年3月22日
市原野小学校の卒業式に参列
3月22日10時より市原野小学校の卒業式がありました。卒業児童は男子31名、女児22名、合計53名でした。
松井校長先生は式辞で卒業生に対し、女子マラソンの野口みずき選手の有名な言葉「走った距離は裏切らない」を紹介しながら、毎日の積み重ねが大事、努力は必ず報われる、というお話をされました。
卒業する子どもたちも「感謝を忘れず明日の希望に向かって生きていきますと参会者、在校生たちに爽やかにシュプレッヒコールをしていました。卒業生の皆さんに幸あれ。
【写真右上】 市原野小学校卒業式で卒業証書授与の光景
【写真上】 卒業式に参列した在校生、保護者
■2012年3月25日
永観堂禅林寺の「加行」はじまる
本山である永観堂禅林寺で宗派の僧侶の資格を取るために行う修行が始まりました。「加行(けぎょう)」と呼ばれるこの修行は毎早朝の水行にはじまり、礼拝行、勤行、作務と厳しい日課をこなしていきます。満行は4月4日。小生も擁護衆という指導者の一人として参加。今年は女性2人を含む6人が入行。余寒が厳しいけれど、ガンバレ!
【写真右上】水行の浴場に向かう加行僧たち
【写真上】お経の練習をする加行僧
■2012年3月30日〜4月1日
兵庫県加西市の清慶寺さんで「善導忌」
兵庫県の南西部(播磨と呼ばれる地域)ではわが浄土宗西山禅林寺派のお寺さん方が輪番で「善導忌(ぜんどうき)」という大法要を勤めておられます。今年は加西市の清慶寺さんで行われ、小生はそのお説教に寄せて戴きました。
この「善導忌」。何から何まで大がかりで、法要は3日間続けられます。そもそもこの善導忌は元禄時代に明石川が氾濫したとき、本山である京都・永観堂禅林寺で勤まる善導忌に、この播磨の寺院方が参拝できず、地元の寺院にみんなが集まり本山に向けて遥拝をしたのが始まりといわれています。その後三百二十年にわたっていろんな障害があったにもかかわらず、今日まで営々と続けて来られた門中寺院、檀信徒さん、地域の人々の意気込みには頭が下がりました。
【写真右上】兵庫県加西市の清慶寺さんで勤まった「善導忌」の風景(3月30日)
【写真中】同 説教をする恵光寺住職
【写真下】同 説教を聴聞する人々
■2012年3月31日
昨秋の台風で流された兵庫県加古川市の長楽寺さんを訪問
昨年9月4日の台風12号で、わが宗派の兵庫県加古川市の長楽寺さんは甚大な被害を受けました。裏山の土石流により本堂、阿弥陀堂は全壊、墓園では多くの墓石が流失しました。境内もあちこちで被害を受け、お寺のご家族も大変な生活を強いられることになりました。現在、宗派をはじめいろんな方々が災害復旧支援に取り組んでいますし、恵光寺も檀信徒の心を伝えよう、と義捐金を出させて戴いています。ご住職、ご寺族の皆さんが地域のいろんな方々と力を合わせ懸命に復旧作業をしておられます。
今般、その長楽寺さんにお見舞いに寄せて戴きました。ご住職自らユンボを運転して土砂の除去作業をしておられ、小さなお孫さんまでがスコップを持って土を除けておられました。
お寺では復興に向けて、この5月8日にお釈迦さまの「花まつり」を開催されます。さいわい難を逃れたご本尊≪平清盛ゆかりの秘仏の安産・子授け・子育て地蔵尊(国重要文化財)≫のご開帳があり、たくさんの方の参拝が期待されています。
【写真右上】長楽寺さんのご夫婦と娘さん。復旧に全てを懸けておられる皆さまです。
【写真上】9月4日の台風12号で流された本堂(当時)
【写真下】ここに本堂がありました(3月31日撮影)