第1話~第15話 第16話~第30話 第31話~第45話 第46話~第60話 第61話~第75話 第76話~第90話 第91話~第105話
第106話~第120話 第121話~第135話 第136話〜第150話 第151話〜第180話 第181話~第195話
恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。
■第106話:2017年2月
中高生の「折々のことば」コンテストから
「折々のことば」は、2015年4月から始まった朝日新聞朝刊1面のコラム。哲学者の鷲田清一さんが、いろんな人が言ったさまざまなことばを選んで、そこにご自身の解説をつけて紹介する、というコラムです。なかなかの評判らしく、私も毎朝読むのを楽しみにしているひとりです。
朝日新聞は清田さんのコラムにならって中高生を対象に「私の折々のことばコンテスト」を実施しています。今般、2回目の2016コンテストが行われ、なんと国の内外から27,242通の中高生の応募があったといいます。その審査結果の発表が1月6日の紙面に載りました。
その中で「鷲田清一賞」を射止めたは大阪の中学校3年の杉本幸歩さんの作品。ここで紹介します。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」 母
「ありがとう」をなかなか言わない弟に対しての母の言葉です。
「ありがとう」という感謝の言葉の対義語は、「あたりまえ」なのです。私はこれをきいて、驚き、そしてとても納得しました。
祖母はいつも私たちに、「なんでもあたりまえだと思うな」と言います。朝起きること、おいしいごはんを食べられること、あったかいおふろに入れること、家族や友だちがいてくれること、学校に行って勉強ややりたいことができること、そんな日常のいろいろをあたりまえだと思わず、すべてに感謝することが大切だと改めて感じました。
どんな小さなことでも、「ありがとう」の気持ちを忘れないようにしたいです。
この文面だけではわからないので推察をするのですが、食事のとき、お母さんが作ってくれたご飯を、弟クンは何も言わずに、それどころか横を向きながら、食べたりするんでしょうか。それを見て、まわりが「『ありがとう』くらい言いなさいよ」と言うんですね。それでも、いや、だから余計に黙ってしまう。そんなときにおばあちゃんが「なんでもあたりまえだと思うな」といいます。そしてお母さんが「『ありがとう』の反対は『あたりまえ』よ」と言う。それを聞いていた本人がお母さんのことばに驚きながら、「なるほどっ」と納得をする、というのです。
家の中の光景がわかると同時に、作者がお母さんのことばから、どんな小さなあたりまえのことに感謝をする大切さを学んだのですね。
「ありがとう」とは「あることがむつかしい」ということばからきている、というのもうなずけます。作者家族のピリッと一本筋の通った家庭が垣間見られます。
それではまた次号で。合掌。
■第107話:2017年3月
お彼岸にいくための六つの行「六波羅蜜(ろくはらみつ)」
その中の「忍辱(にんにく)」のことお釈迦さまは45年間、歩いて歩いて、村々を回り、人が集まっているとそこに出向いて人の話を聴いてお話をする、また請われてお話をする、ということを繰り返してこられました。中にはお釈迦さまはご一生、地球を数回まわるくらい歩かれた、と計算する人までいます。
では、お釈迦さまはどんなお話しぶりだったか、そんなことがよくわかるお経が伝わっています。『ブッダ最後の旅』と異名をとるお経です。
このお経から、お釈迦さまのお話の姿勢について、三つの特徴がある、と、お経の命名者である中村元先生は指摘されています。
一に協和性。つまり相手の立場に立っていっしょに考える、という姿勢。二には人間の守るべき理法は永遠のもので、日常の生活はそこから逸脱しないように、という姿勢。三に、いかなる宗教をも認める姿勢。
こういうお釈迦さまの姿勢によって、仏教はインドから南方へ、西の方へ、北の方に広がり、いずれ、東方に向かっていきました。中村元先生はこのことから「武力を用いないで世界に広がった宗教は仏教だけです」と言い切っておられます。
私はあらためてこのようなお釈迦さまの日常の生活姿勢を想像するとき、お釈迦さまの「耐える精神」を考えずにはおれません。
人を諭し、教えるとき、お釈迦さまは「応病与薬」あるいは「対機説法」とよばれるように、悩み、苦しみを訴える相手によって話のしかたが違っていました。それは、相手の話を充分に聴く、相手の心の中を察することができるまで聴く、ということです。こたえるときは、相手の立場に立って言葉をえらぶわけです。相手の主張する宗教や考え方が違ったとしても頭から否定するのではなく、よく聞いて、そして、頼りになるのは永遠の理法だから、とその理法に基づいて話をしていかれるのです。
このお釈迦さまの姿勢の基本は、相手を思いやるところから出てくる「耐える」、仏教では「忍辱」といいますが、それなんですね。
私どもは生きる上での六つの生活目標(「彼岸への六波羅蜜」)をあげます。そのうちの一つが「忍辱」です。このお彼岸、お釈迦さまの日常の人々と接するときの姿勢を思いうかべながらこの「忍辱」「耐える」ということについて考えを深めてまいりたいものです。
それではまた次号で。合掌。
■第108話:2017年4月
お釈迦さまのお誕生のときにおっしゃった「天上天下 唯我独尊」ということば
仏教の祖・お釈迦さまは2500年前4月8日のお誕生の様子は次のように伝っています。
お釈迦さまがインドはルンビニ―という花園で丘尼・マーヤ夫人の右脇からお生まれになったとき、天地は六種に振動し、空には光があふれ、香りゆたかな風が吹き、心地よい音楽が響き渡りました。そして空からはみごとな二頭の龍がうつくしい花ばなをまき散らし、甘露の雨が降り注いだのでした。そして誕生されたお釈迦さまはお生まれになってすぐに七歩あるき、天と地とを指さして「天上天下 唯我独尊」とおっしゃいました
と。
このお釈迦さまお誕生のお話をご存知の方は多いでしょう。右手をあげて天を指さし、左手で大地を指さしている姿は「誕生仏」とよばれています。
ところがこのことはどの経典にも載っていません。ですから、後世に作られたお話ということができます。
ではなぜこのようなお釈迦さまのお誕生の様子が伝わったのでしょうか。
それは、後世の伝記作者が、お釈迦さまが説かれる「教え」のいちばんの根本はこれだ、と教えたかったからです。
すこし解説をいたします。
「天上天下」は「この天地(あめつち)」のことで、全世界、宇宙、といえばいいでしょうか。「唯我独尊」は「かけがえのない私」ということです。つまり「この天地(あめつち)に、かけがえのない私がいま、ここにある」ということを伝えたのです。
吉川英治さんはこの「天上天下 唯我独尊」を「天地(あめつち)の中に我(われ)あり、一人(ひとり)あり」と訳しました。今のことばでいうと「ナンバーワン」ではなく「オンリーワンのとうとさ」、つまり「かけがえのないひとりひとりがここにある」ということです。
よく「天上天下 唯我独尊」ということばは、「この世でいちばん偉いのはこの私だ」とまちがって説明されることがあります。しかし、そうではありません。仏教はそんな独善的なことはいっさい言いませんから。
「あなたがいて、この私がある。この私がいて、あなたがある。だからあなたも私もそれぞれにとうといのだ」ということです。
それではまた次号で。合掌。
■第109話:2017年5月
人はなくなったらどこへ行くの?
仏さまの国にうまれ、そして私どもの心の中に。
ご縁があって、その家のことをよくしらないまま、お葬式を頼まれたことがありました。70歳前のご婦人でした。
お葬式が終わり、霊柩車と同行して火葬場に行くときのことです。私は導師ですので1号車に乗ります。その1号車に先ほど会葬者にお礼の挨拶をした30代の当主と、小さな女の子を抱いた奥さんとが乗っています。しばらく車が走ったところで、お母さんのとなりにすわって、前に走っている霊柩車を見ていたその女の子が、じつにすなおに声で「ママ。おばあちゃん、あの車に乗ってどこへ行くの?」と聞いたのです。
みなさんならどうこたえますか。
実際、このお母さんはそのとき、「おばあちゃんはね、」と小さな声で言ったまま、その女の子を抱きしめ、後のことばは聞こえませんでした。お坊さんが乗っているのでうかつなことは言えない、と思ったかもしれません。しかし、このママは「火葬場に行くのよ」とも言いませんでした。悲しみが先行していたのかもしれません。
しばらく沈黙が続きましので、ここはお坊さんの出番と思い、「おばあちゃんはね、これから仏さまのおられる極楽という美しい国に生まれるんだよ。いまそこに向かって車は走っているんだよ」と、かなり「正解っぽいこと」をいいました。
反応はママの方にありました。ママは女の子の肩を抱きながら、「おばあちゃん、仏さんのきれいな国に生まれて行かはるんやって。よかったなぁ」と語りかけてくれました。そして女の子は「ほんま、よかったなぁ」と言ったのです。
たったこれだけのことですが、この女の子の母親であるママの口から「仏さん」「仏さんの国」ということばが出たのが幸いでした。
今この女の子のお家はお仏壇をまつってあるお家で大きくなっています。
人はなくなると仏さまの国に生まれる、これがひとつ。もうひとつは仏さまを拝むと、仏さまの国に生まれた人が「よくお参りしてくれてありがとう、ずうっとあなた方のことを仏さまの国から拝んでいるからね」といって、仏さまとなってわたしどもを拝んでくださいます。
そのときは、亡くなった人は拝んでいる人の「こころ」に生まれている、ということができます。
「人はなくなったらどこへ行くの?」という質問の答えは「仏さまの国にうまれ、そして私どもの心の中にも」ということですが、みなさん、いかがですか。
それではまた次号で。合掌。
■第110話:2017年6月
伝教大師のお母さまの1200年祭に参らせていただいて。その日は母の日でした
先月5月14日、弟子(息子)の真我がカーネーションを求めて帰ってきて妻・芳子の霊前に供えていました。真我にとっては母の日のプレゼントです。ああ、今日は「母の日」なんだ、とあらためて思った次第です。
「母の日」はアメリカで始まった行事です。南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家が夫や子どもをこれ以上戦場に送ることがないように、と「母の日宣言」をしたのが始まりだそうで、そのうち、亡き母の偉大さをしのぶため白いカーネーションを贈った、というのが「母の日」の記念日になりました。
さて、この日、京都は右京区にある念仏寺さんでとても大きな法要が勤まりました。名づけて「伝教大師ご母堂・妙徳夫人1200年祭」です。伝教大師はご存知の通り、日本仏教の母山である比叡山の天台宗の創始者です。そのお母さまのまつってあるお寺がこの念仏寺さんで、不思議なことに私どもといっしょの浄土宗西山派のお寺です。
当日、たくさんの方が参拝されましたが、その中で比叡山から5人のお坊さま方が登場してみごとな「声明(しょうみょう)」を唱えてくださいました。声明はご存知のとおり、仏教合唱音楽です。今回、奉納された歌は奈良時代の光明皇后の「百石讃嘆」とよばれるもので、テキスト(歌詞)は「百石(ももしゃく)に八十石(やそしゃく)そへて給(たまひ)てし乳房の報ひ 今日ぞ我がするや 今ぞ我がするや 今日せでは何かはすべき 年も経ぬべし さ夜もへぬべし」というものです。
いまのことばに直せば「母からいただいた100石、そして80石を加えたお乳をいただいてここまで来たではないか。その恩に対し、今日こそ報いたい、今せねばなるまい、今日こそ報いなければ何ができよう、年月もいたずらに経つばかり…」ということでしょう。
古来、子どもが母からいただくお乳の量は180石といわれ、『父母恩重経』にもそう書いてあります。ついでに申しますと1石は10斗、100升(180リットル)ですから、180石は32,000リットルということになります。すごい量ですね。しかし、母親のお乳の量は個人差がありますから、必ずしもこの数字ではありません。それでもこんな数字を昔の人が考えたのは、それほど多い、ということで、母の「乳哺養育(にゅうほよういく)」の恩の深さを物語っています。
このお寺には赤ちゃんを抱いた観音さまのお像が正面にまつられています。そのお像を拝見して、しあわせそうに授乳をする観音さまというか、母親の姿と、何もかも母親に任せて安心しきっている子どもの姿がとても美しくみえました。
「母の日」「父の日」とありますが、いずれも「知恩の日」なのですね。
この日、わたしにとっても、大事な「母の日」になったのです。
それではまた来月に。
■第111話:2017年7月
お施餓鬼(せがき)ということ
「7月はお盆ですね」というと「お盆は8月、8月15日でしょう?」という答えが返ってきそうです。そうです、お盆は関西では8月、関東では7月、というのが以前の習慣だったようです。もとは7月です。しかし、旧暦で数えるようになって8月がお盆になったのです。
さて、7月15日がお盆、ということを゜書いたお経があります。『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』です。今日はその『盂蘭盆経』のお話をいたしましょう。
インドはお釈迦さまのおられた時代のことです。お釈迦さまの弟子に、目連尊者(もくれんそんじゃ)という好青年の修行僧がいました。
この目連さんには美しくてやさしいお母さんがいたのですが、早くに亡くなってしまいました。それで少年の目連さんは出家をしてお釈迦さまの教団に加わったのです。修行も一所懸命したので、神通力にも長(た)け、まわりから「神通第一の目連」とも呼ばれるようになりました。
あるとき、目連さんは「あの私を生んで育ててくれた母は、美しくてとてもやさしかった。いまはどのようなところに生まれておられるのだろう?」と思いました。そこで目連さん、修行で得た神通力をつかってお母さんの在りかを探してみることにしたのです。すると、なんと、お母さんは餓鬼道に堕ちているではありませんか。痩せ衰えて骨ばかり、空腹なので人の食べ物や水を奪っては口に持っていくのですが、口のところまで持っていくとそれが燃えてしまって食べられない、そんなあさましい「餓鬼(がき)」の姿のお母さんだったのです。
「あんなにやさしいお母さんがどうして餓鬼になってしまったのだろう!」
目連さんはショックのあまり、気を失いそうになりました。どうすればいいかわからない目連さんはお釈迦さまのところに行って助けを求めました。するとお釈迦さまは
「お前の母は、餓鬼になるだけの罪をつくったのだ。たしかにお前の母はみんなにやさしかった。しかし、お前がみんなといっしょにいると、誰よりもお前を大事に思ってほかのものたちを二の次のしたのだ。その罪の報いで餓鬼道に堕ちたのだよ」とおっしゃいました。
「えっ! そんな理由で? 自分の子をほかの子よりも大事に扱う、って、いけないでしょうけど、親なら当たり前にしてしまうでしょう。それが罪なんですか」
「そうだ。親というのはみずから餓鬼道に堕ちてでも、わが子を大事にする、そういうものだ」
「私にはあんな母の姿を見るのはたえられません。どうすれば、母を救うことができますか」
そこで、お釈迦さまは悲しみ苦しんでいる目連さんに
「もうすぐ多くの出家者が長い修行を終えて街にもどる7月15日だ。この日に水とご馳走とを用意して陀羅尼(だらに)というお経をあげて、すべての人のために、と心からお供養をしなさい」とお示しになりました。
目連さんは早速にお釈迦さまのおっしゃったとおり、7月15日に街に出て、修行を終えて出てきた出家者たちに、水とご馳走とを用意して陀羅尼というお経をとなえ続けました。するとあら不思議、疲れ果てた出家者たちは目連さんの前を通ると、みんなシャンと元気になっていくのでした。
「なんと不思議なことがあるものだ、私が水とご馳走と陀羅尼というお経をあげるとあの疲れ果てた出家者たちはみんなシャンと元気になっていくではないか。どういうことだろう」
目連さんはそう言いながら、神通力をつかってあのお母さんの在りかを探しました。すると、以前の餓鬼の世界にはお母さんはいませんでした。あちこち探しているうちにいちばん清らかな「天の世界」に入るお母さんを見つけました。昔と同じうつくしくそしてやさしい顔のお母さんでした。
これが、目連さんのお母さんは餓鬼のくるしみから救われ、天の世界に生まれた、というお経の内容です。
大事な人だけに心をかけるのではなく、餓鬼に代表をされるように、どんな悪い人にでも平等に心をかけ、お供養をする、それが自分が救われていく道、ということを教えているのが「お施餓鬼」なのです。
それではまた来月に。
■第112話:2017年8月
日野原重明先生のお仕事
7月18日に日野原重明さんが亡くなられました。享年105。亡くなる直前まで現役医師で、とくに、いのちのことを医学と心の両面で全身全霊で向き合った方でした。
高齢者、シニアについては、その人が充実した生活、活躍できる社会のあり方を提言しておられました。とくに「死に向かう人生を、最期のときにどう結実させるか」ということを常に問うておられたと思います。
ご存知のとおり日野原さんは「新老人の会」を作ります。その会のモットーは、
① 愛し愛されること
② 創めること
③ 耐えること
です。
「愛し愛される」は美しいものを見ると美しい!とすなおに言えるように、自分の身体と心とが感性ゆたかに働いているか、ということです。人と接し、その人の良さを見つけ出す努力、人から見て、自分がちゃんとした行動、身なり、ことば遣いをしているか、つねに気をつける、ということでしょう。そうすると人間関係に深みが出てきて生きる喜びが生まれてこよう、というものです。心も体もキラキラと輝いてくるのではありませんか。
「創める」は、年をとったからもうしない、いまさらそんなことできないよ、というのではなく、いまからでも遅くない、いいことはいま創めよう、という心意気のことです。創めることで、いま在る時間を自分のためと人のために使うことができます。
「耐える」は大変な状況の中にあって、すぐに投げ出さない、あきらめない、ということです。耐えることのできる人は、同時に人を許すことのできる人でもあります。自らが長年にわたって培ってきた「耐える」という力を年をとったからこそ、若い人の前でその本分を見せていただきたいのです。
もうひとつ日野原さんのお仕事を紹介すると、こんどはシニアではなく子どもたちについてです。ご自身が95歳になってから創められた事業に全国の小学校を訪ねてする「いのちの授業」というのがあります。小学生に聴診器を持たせ、おたがい、心臓の音を聴きあいます。子どもたちが心音をしっかり聴き終わって、日野原さんは「心臓はどんな役割をしているか」「心臓はいのちなのか」「いのちとは何か」と話を深めていきます。「いのちの授業」の様子はご著書「明日をつくる十歳のきみへ 一〇三歳のわたしから」に書かれています。
日野原さんは子どもたちへの「いのちの授業」で次の二つのことをわかってほしい、とおっしゃっています。
① ゆるしの心を持つこと
② おとなになったら人のために自分の時間を使えるような人になること
そして、先生は「この二つを身につけた子どもたちが増えていけば、世の中から争いや、にくしみはなくなっていくでしょう」と言っておられます。
さて、ここで、日野原先生の「新老人の会のモットー」と「いのちの授業でわかってほしい二つのこと」を見てわかることは、日野原さんがつねづねおっしゃっておられる「人のいのちは時間です。その時間を人のために使いましょう」ということです。
子どもたちにとって、いのちである時間は自分のためにだけ使います。しかし、大きくなるにしたがって人のために自分の時間・いのちを使うとうとさに気づきたいものです。年をとってシニアになればなるほど、自分の時間・いのちを人のために使いたいものです。それが「愛し愛されること」という行動になるのですね。
また次回に。
■第113話:2017年9月
手間は省くものではなく、かけるものです
脱サラをしてIターンをして農業をしている人のことば。地方から都市部に住み、再び生まれ故郷に戻る現象をUターンといいます。これに対してIターンは出身地、とくに都市部から田舎に移り住むことをいいます。
さて「手間は省くものではなく、かけるものです」といったこのIターンの人は、都会生活を止めて田舎に移住して農業をしているのです。
新しい田舎での農業生活は予想していた以上に苦しいものがあります。それでも見様見真似で土と格闘します。都会生活では完成した商品としての野菜しか見ていなかった者が、移住をして、土を耕し、種をまき、水をやり、草を引き、除虫をし、野菜ひとつの栽培に大変な労苦をします。
そのうち、野菜を育てる、というのは手間をかけるもの、ということに気がつくのです。ものを言わない野菜は手間をかければかけるほどそれに応えて成長してくれます。
「この秋は 雨か嵐かしらねども 今日のつとめに 田草とるなり」という二宮尊徳翁の歌があります。米を育てるとき、とくに苗が大きくなるまで何回も草取りをします。田んぼにはいつくばって草をとる大変な労働です。これを草取りが大変だ、手間をかけるのが大変だ、だいいち、手間をかけてもこの秋の収穫期、米はちゃんとできているかわからないではないか、などと考えていると前に進みません。手間を省くと、米はいい実りをしてくれません。先のことはともかく、今日、いまのことを考えて草を引きなさい、ということです。
このIターンの人、そのことがだんだん解ってきて、手間をかけること自体に楽しみと喜びを感じるようになってきているのです。
私どもも、ふだんの生活、料理、子育て、地域のコミュニケーションなどの現場で、どれだけ手間をかけているでしょうか、反省しますね。
合 掌
■第114話:2017年10月
あらゆるものの手立てによって今の私があります
先日読んだ金子みすゞさんの詩に「葉っぱの赤ちゃん」というのがあります。紹介します。
「ねんねなさい」は 月の役。
そっと光を着せかけて、
だまってうたうねんね唄。
「起っきなさい」は 風の役。
東の空のしらむころ、
ゆすっておめめをさまさせる。
昼のお守は 小鳥たち。
みんなで唄をうたったり、
枝にかくれて、また出たり。
小さな葉っぱの赤ちゃんは、
おっぱいのんでねんねして、
ねんねした間にふとります。
葉っぱの赤ちゃんは、夜はお月さんに見まもられ、朝は風さんに起こされて、お昼は小鳥たちに守りをしてもらい、そういう毎日をくりかえしくりかえし大きくなっていきます、という詩です。
葉っぱの赤ちゃんはいろんな天地の恵みを受けて大きくなる、というこの「葉っぱの赤ちゃん」、これを「この私」に置きかえて考えてみましょう。この私は親に、きょうだいに、家族に、近所の人たちに、それこそいろんな人のおかげで、いや人だけではありません、天地の恵みによって今日までいのちを戴いてきました。そんな「いのち」に気づくことが、今日の生きるよろこびにつながるのです。
「花ひらく 天地いっぱい 総がかり」という言い方もあります。これも「花」とありますが「私」に置きかえると、この私のいのちは天地いっぱい、総がかりで育てて戴いたもの、と領解することができます。
そう戴いたときおのずと手が合わさり「ありがとうございます」と言って頭が下がります。これが念仏、つまり「南無阿弥陀仏」の心なのです。
合 掌
■第115話:2017年11月
恨みをすてる
北朝鮮が弾道ミサイルを連続で発射し、アメリカは北朝鮮に対し戦争をしかけるような発言をしたりしています。
力で抑え込もう、としてもし戦争がおこれば、無辜の人たちが犠牲になります。これは大悲劇です。実際、第二次世界大戦では全地球人口の3~4パーセントの人たちが犠牲になり、日本では原爆が落とされ、たくさんの人々が苦しみの中で亡くなっていきました。私たちは戦争をよくない、とする理由に一つに未来の子どもたちの安全を考えるからです。
世界の紛争を見てみますと「恨み」が「恨み」を生み、暴力を生む、という悪循環が戦争にまで発展してきています。
お釈迦さまの『法句経』第5番は次のことばです。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である。 (中村元訳)
事の解決のために力づくで圧えることは結果的に不幸です。力づくでやればやるほど、「恨み」が増大します。それより、おたがいの「いのち」を大切にする思想を広げることが大事です。そのために「恨み」を捨てる努力をしなければなりません。
第二次世界大戦終了後、1951年、日本の敗戦処理についてサンフランシスコでの対日講和会議が開かれました。このとき、被害を受けた東南アジア各国の代表は日本の独立を認めるとともに、その戦争責任を厳しく追及し賠償の要求をしました。そんな中、セイロン(現スリランカ)代表のジャヤワルデネ財務大臣、この人は後にスリランカ第2代大統領に就任しますが、五一か国の代表を前にこのお釈迦さまの『法句経』を引用して、スリランカは日本への賠償請求権を放棄する、と宣言したのです。これに引き続いてインド、ラオス、カンボジアなども賠償請求権を放棄し、日本の主権が回復しました。いまの日本がこのようにしてあるのはそのようなお釈迦さまのみ教えがあったからなのです(と言いながら、沖縄が今でも圧迫が続いていることにとても心苦しく思います)。
武士・漆間時国の子であった法然上人。幼少時の名前を勢至丸と言いました。その勢至丸9歳のとき、父・時国が夜打ちにあって殺されます。「必ず仇をとりますから」と勢至丸少年は瀕死の父親に宣言します。しかし、父・時国は「仇はとるな。お前が仇を討てば、さらに相手の子がお前を恨むであろう。恨みは尽きることがない。それより仏門に入り苦しむ人々が救われる道を求めよ」と言ったのです。この遺言はまさに先ほど紹介したお釈迦さまの『法句経』第5番、そのままです。
たしかに「恨み」を捨てることはむつかしい。しかし、そうしなければ争い、戦争が起きるのです。そうならないために、やはり地道に「恨み」を捨てて話し合う努力が必要です。
私たちも、恨みを持たない、人を許す生き方を、ふだんの生活の中で気をつけて行きたいものです。
合 掌
■第116話:2017年12月
12月8日はお釈迦さまの成道会
12月8日は「成道会」。お釈迦さまがおさとりになった日をお祝いする大切な日です。私どもの生きる大きな支えとなっている「仏教」が誕生した日でもあります。
王宮に生まれ、太子としてなに不自由ない生活をしていたお釈迦さまは、人生の老・病・死という避けられない「苦」を見つめ、29歳で王位を捨てて出家し、6年間の苦行の末、ついに菩提樹の下で坐禅瞑想の中、おさとりを開かれ(成道)「ブッダ(覚れる人)」となられました。
経典では、その成道に至るまでの坐禅の苦しみを次のように表現しています。
いまや天地のあいだに太子はただ一人となった。太子は静かに木の下に坐って、いのちをかけて最後の瞑想に入った。「血も枯れよ、肉も爛れよ、骨も腐れよ。さとりを得るまでは、私はこの座を立たないであろう」。これがそのときの太子の決心であった。こうして夜明けを迎えて明の明星を仰いだとき、太子の心は光り輝き、さとりは開け、仏となった。それは太子35歳の年の12月8日の朝のことであった(仏教伝道協会『仏教聖典』)
と。
わが仏教界には全国青少年教化協議会という長い名前の団体があります。略して「全青協」といいます。仏教による子ども、青少年の情操涵養をねがい、日本の仏教宗派の垣根を越えて活動している団体で、私もこの全青協に育てられたひとりです。
毎年、全青協はお釈迦さまのお誕生をお祝いする4月8日の「花まつり」、12月8日の「成道会」には子ども向けにやさしく書いたパンフレットを作ってくれます。A4両面刷りを半分に折って4ページものにした簡単なもので、子どもでも読みやすいものです。
今年のパンフレットに「成道会とは?」という文章が載っていますので、ここで紹介いたします。
どうぞ、子どもさんに読み聞かせるつもりで読んでみてください。
むかしむかし おしゃかさまはずっとなやんでいました。
「みんなが しあわせにいきるには どうしたらいいのだろう?」
12月8日の朝早く。
みどりのぼだいじゅの木の下で
しずかに座って考えていたおしゃかさまは
ついに答えをみつけました。
「わたしたちは いろいろな いのちによって生かされている。
ひとりひとりのいのちが かけがえない。
みんながつながりあい 支えあって生きていけば
きっとしあわせになる」
おしゃかさまが たいせつな答えをみつけたことを「お悟り」といいます。
この日は いろいろないのちに感謝しながら「成道会」というお祝をいたしましょう!
12月8日の「成道会」にはお釈迦さまに灯を供え、お祝いいたしましょう。
合 掌
■第117話:2018年1月
「こころ」とは「行為が積み重ねられたもの」
昨年11月に勤まりました恵光寺のお十夜。この時の法話は佛教大学の並川孝儀先生のお話でした。わかりやすいお話でみなさまにもお伝えしたい、と思い、先生の当日配られたレジュメを基に文章にしてみました。(以下の文章の内容責任は恵光寺住職にありますので付け加えます)。
私どもがする行為はわかりやすくするために次の三つに分けて考えます。「身体による行為」「言葉による行為」「意識による行為」です。われわれは生まれてから死ぬまでこうした行為をし続けています。まずはこのことに気づかねばなりません。
では「行為」に対して「こころ」とはどんなものでしょうか。
「こころ」とは「行為が積み重ねられたもの」という意味です。その積み重ね方の違いによって人格に相違が生じます。善い行為によって善い人格が、悪い行為によって悪い人格が形成されます。このことも心得ねばなりません。
仏教で「善い行為」とは煩悩に基づかない行為のことです。煩悩とはわれわれの身心を悩ませるので次の状態をいいます。
① 貪(むさぼり:欲求する対象への強い執着)
② 瞋(いかり:自分勝手に怒り、他人を損なうこと)
③ 痴(おろかさ:無常や無我という真理を知らないこと)
④ 慢(うぬぼれ:他人と比較して自分が優れていると思うこと)
ですからこの「煩悩をなくす」ことが生活の基本になります。そして「煩悩をなくす」ために「戒」を実践します。基本の「戒」はたとえば次のようなものです。
① 生き物を殺したり傷つけたりしないこと
② 他人のものを自分のものとしないこと
③ うそをつかないこと
④ よこしまな性的行為を行わないこと
⑤ 酒を飲んで自分を失わないこと
⑥ 外界に惑わされず、心を集中させたり調和をさせること
⑦ 自省すること
などです。
苦しみは自分の煩悩で起こるものですから、自分をしっかりと確立することこそが苦しみから解放されます。そうすることで
① ゆたかな心(包みこむ心)
② やさしい心(許せる心)
③ つよい心(悪いことをはねのける心)
が形成されるのです。
合 掌
■第118話:2018年2月
中西玄禮ご法主の「新年のおことば」
「徒然記」でも紹介していますように新年になりますと浄土宗西山禅林寺派の寺院はご本山の中西玄禮ご法主の「新年のおことば」を拝読いたします。
あらためてここでご紹介いたしますので、みなさん、深く味わって下さいませ。合掌。
煩悩は百八減ってけさの春
この句の如く、希望に輝く平成の三十年となりました。慈光の内に生かされている身である私たちは、過ぎしことに執着せず、まだ来ぬことに取り越し苦労をせず、ただ日々報恩感謝の気持ちを持って、己が与えられた業にはげみましょう。
戌(犬)歳の年頭にあたって思い出すのは、子供の頃の正月に必ず遊んだ「いろはカルタ」の最初の「犬も歩けば棒にあたる」の一句です。この言葉の解釈は二つに分かれています。一つは「やってみると思わぬ幸運に出会う」という意味であり、もう一つは反対に「何かやると災難に会う」という意味です。今は先の方で使われることが多いので、やはり幸運説を取り、なにごとも積極的に行なう年にしたいものです。
その為に今年の生き方の目標として、二つの徳目をお勧めします。
その一 三宝を敬うことを心の習慣にする
聖徳太子が十七条憲法の第二章で「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧これなり」と示され、この思想が以後の日本仏教の基礎となっているのです。
その二 三感王を目指す 三感王とは「恩を感じる」感恩。そして感謝・感動をいいます。私たちは、さまざまなご縁と御恩をいただいて、今この世に生かされています。その御恩に対して「ありがとう」と感謝する。そして、生かされている命の不思議に感動する。これを「三感王」と言うのです。「恩を感じ、恩に報いる」という心を呼びさまし、生活のなかに「おかげさま」の心を育てたいものです。恩を忘れた日々は、とげとげしく陰鬱であり、恩に目覚めた生活は、明るく朗らかです。
三感王を目指して「生きて身を蓮の上に宿さずば、念仏申す甲斐やなからん」と
西山上人が勧められた、喜びの念仏の生活を送らせていただきましょう。
合掌十念
■第119話:2018年3月
お釈迦さまの「国が衰亡をきたさない七つの法」
『ブッダ最後の旅』とよばれる古いお経があります。お釈迦さまが八十年の生涯を終えられるときの状況を伝える、とても感動的なお経です。ただこのお経は少し意外なお話、「国が衰亡をきたさない七つの法」というお説法で始まります。 当時、マガダの国のアジャータサットゥ国王がガンジス川を越えたところに構えていたヴァッジ族を攻め滅ぼすことを考えました。そこで国王はお釈迦さまの意見を聴くために使いを遣ります。 お釈迦さまを訪ねた使いは、状況を説明して意見を聴きました。お釈迦さまは後ろに控えているアーナンダにヴァッジ族の人たちの様子について、つぎのことを訊きます。一、よく集会を開いて、相談をして事をまとめているか二、よく自分の為すべきことを果たしているか三、昔からの掟をよく守って暮らしているか四、古老を尊敬しているか五、婦女子の保護は進んでいるか六、祖先を崇敬しているか七、聖人を尊んでいるか
それに対してアーナンダが「おおむねよく行われている」と答えると、お釈迦さまは使いに「ヴァッジ族の将来の繁栄が期待される。衰亡の恐れはないであろう」と答えられたのです。 使いは自国にもどって国王にお釈迦さまのことばを伝え、それを聞いた国王はヴァッジ族を攻めるのをあきらめた、というお話です。 ヴァッジ族の人々は、ほかの国が王制を敷いているのに対し、共和国の形をとっており、いまでいう民主的な運営が守られていたのです。そこでお釈迦さまは「このようなことが守られている間は、その国は繁栄し衰亡はない。戦争しないほうがいい」と裁断されたのです。 「戦争はいけない」と、一言で諭のではなく、あるべき人の道を諄々と説いて「これはもう戦争なんかしないほうがいい」「みんなが相談し、話し合って進めていく体制がいい」と王様に決心させる、そういう方法をお釈迦さまはとられたのです。 このお経を訳した中村元先生(インド哲学者、仏教学者)はこのお経について ① 協和の精神が強調されている ② 人間の守るべき理法は永遠である、とする見方がある ③ いかなる宗教をも承認する態度である
といった特徴がある、としておられます。 世の中にはいろんな人がいます。そういう人たちが自分の意見だけで物事を推し進めようとしても軋轢が生じます。 まさに、お釈迦さまがお示しのように、みんなが相談し、話し合って進めていく姿勢が人ひとりひとりに求められています。 いまの日本のうごき、世界のうごきを見ていて、改めてお釈迦さまが2,500年前にお示しになられたお経が今もそのまま通じることに感動をするのです。
合掌
■第120話:2018年4月
よろこべ。喜んでいるといい出遇いがふえるよ。
春です。暖かくなって外に出るといつの間にか、まわりの山々にはコブシでしょうか、白い花いっぱいの木があちこちに点在しています。そのうち山はコナラやカシがいっせいに芽吹き、太陽の光の加減では、まるで山全体が輝いているように見えます。まさに「山笑う」という言い回しがぴったりの景色がやってきます。景色は、いやなんでもそうですが、刻々と変わっていきます。
先日、近くの広場でお母さんと小さな女の子がしゃがんで地面を見ていました。近寄ると女の子が「白いきれいな花が咲いているよ」と教えてくれました。そこには15センチほどの高さの茎の先にかわいらしい五弁の白い花びらをつけた花が5つほど咲いていました。「よく見つけたね、かわいらしい白い花やね」と私もしゃがんで言いました。するとその女の子がお母さんにむかって「このお花、私を見ているよ、ママ」と言いました。お母さんは「あら、そう。お花は何て言っているの?」と尋ねました。「何も言わないけど、笑ってる」「笑ってるの?」「うん」。女の子はそういうとまた花とにらめっこをしていました。
この女の子、一輪の花とお話をしていることを喜んでいるんです。喜んでいるから人に伝えたいのです。きっと心ゆたかな子に育つだろうな、と感心したことでした。
茶道の世界でよく言われる言葉に「一期一会(いちごいちえ)」というのがあります。人やもの、そのとき、そのときの出遇いが不思議そのもの。その出遇ったものとは二度と会えない、だからこの瞬間に、その出遇った相手に全身全霊で接していけ、そして遇えたことを喜べ、というのです。
たとえば「また会えるさ」など、いい加減な気持ちで相手やものに接していると、遇っているのもかかわらず、遇っていないのと同じ結果になってしまいます。
白い一輪の花を見ている女の子、しゃがんで一心に見ていると、花のほうが笑っている、とまで言い切るのですよ。
刻々と変わる景色ですが、ひとつひとつに喜びを感じて接していくと、私の心がゆたかになっていきます。
新年度、いろんな人との出遇いが始まります。そんな時、自分自身が喜んでいると、いい出遇いがふえていきます。
合掌