恵光寺 和尚の法話

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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。

 

■第191話:2024年4月

お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」

今から2500年ほど前、インド北西部にゴータマシッダルタという名の王子さまがお生まれになりました。
このシッダルタ王子は生まれてすぐに七歩あるいて、右手で空を指差し、左手で大地を指差して「天上天下唯我独尊」とおっしゃいました。それに合わせて、大地は六種に振動し、空からは甘い雨が降り、美しい花びらが舞い下りて祝福した、といわれています。
この赤ちゃんのシッダルタ王子こそ、後のお釈迦さまなのです。
生まれてすぐに歩き、そして言葉を発する、というのは不思議なお話ですが、仏教の祖となられるお釈迦さまを説明するために、このような尊いお誕生の物語が出来上がって伝えられてきたのですね。
そして、その「天上天下唯我独尊」という言葉ですが、「天にも地にも我ひとり」と訳されます。
「唯我独尊」というと、自分がいちばん偉い、と読む人があるかもしれません。しかしほんとうの意味は「あらゆる天地のご縁をいただいてやっと今、ここに誕生した。そのご縁の集まりがあってのゆえのこの私である」ということです。つまり親の縁で生まれるですが、ただ親があるだけで生まれるのか、というとそんな簡単ではありませんね。いろんな天地の条件が集まってやっとこの《自分》が生まれた、という真実を表しています。
「天上天下唯我独尊」。言葉はいかめしいですが、私一人で生まれたのではない、いろんなご縁が集まって一人のいのちが生まれる、到底数えきることができないご縁が重なりあって、この私が在る、その不思議さの下にこの私のいのちがある、ということを知りなさい、ということです。
このシッダルタ王子は成長するに従って、その生きる不思議、悩み、意味を考えるようになり、とうとう最後には王位を捨てて出家をします。そして6年間の苦行を通して「悟り」をひらかれ、「ブッダ」となられたのです。35歳のときのことです。
合掌

■第190話:2024年3月

吉永小百合さんの「心配する気持ち」

いまから70年前、戦後9年経った1954年の3月1日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行いました。その威力たるや、ヒロシマ型原爆の千倍の規模でした。そのとき、ビキニ環礁海域では日本からたくさんの漁船が操業をしていて、延べ1,000隻近い漁船が放射能被ばくをし、被ばく者数は1万人、と言われています。そのなかでも焼津から出航していた「第五福竜丸」の無線長・久保山愛吉さんが被ばくして亡くなりました。
このことから、核兵器の製造、使用は「人類の危機」を招く、として世界的に原水爆禁止運動が始まりました。
しかし、それから70年経った今、核兵器禁止の願いは実現していません。

先日、女優の吉永小百合さんがビキニ事件について話した新聞記事を読みました。その中で、小百合さんは長い間、朗読という活動をしておられますが、その理由を「根底には《平和》というものがあります」とおっしゃっています。その部分をその新聞記事から転載します。 吉永小百合さんのことばです。

私が続けている朗読活動も、大それた使命感からではありません。原点は9歳の頃の《心配する気持ち》です。1954年に米国の水爆実験で第五福竜丸の乗組員の方々が被ばくされました。私はラジオから毎日発表される無線長の久保山愛吉さんの容体を案じ、回復を毎日祈りました。亡くなったと聞いたときに、本当に悲しかったです。
21歳で映画『愛と死の記録』に出演し、幼い頃に広島で被ばくした男性が白血病で亡くなり、その跡を追う恋人を演じました。原爆ドームや平和公園でも芝居をしました。その後は体内被ばくをテーマにした映画にも出演し、原爆詩に出会い、被ばくの実相の一端に触れ、「こんなことは絶対に許してはいけない」という確信を持ちました。

小百合さんが1954年の水爆実験のニュースに接して、《心配する気持ち》で、毎日久保山愛吉さんの容体を案じ続けてきた、というのです。 小百合さん9歳のときのことです。その《心配する気持ち》という心の持ち方が心に響きます。
辛い思いをして生きている人に対して《心配する気持ち》をもつ、ということは、替わってさしあげることができない分、相手の立場になろう、とする努力の姿です。
私どもは、人はもちろん、あらゆるものに対し、殺したり、傷めたりしない生き方、つまり平和な生き方をしなければなりません。 いま、日本は戦争ができる国になりつつあります。ロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナの戦争が長引いています。 一刻もはやく停まること、戦争をしない国の在り方を願わずにはいられません。
合掌

■第189話:2024年2月

戦争を考える

ロシア・ウクライナ戦争は3年目に入ろうとしています。パレスチナではイスラエル攻撃で一般市民が難民となり殺される子どもの数が増えています。 これらの戦争は当事国どうしだけではなく、同盟国などの支援を取り付けながら拡大していくのですから、世界のいろんな国が巻き込まれていく、ということになります。
私ども、平和憲法を持つ日本の国は、少なくとも軍備を拡大したり、武器の供給をするのではなく、話し合いの場をつくって戦争を収める方向にもっていくことのできる国、と思うのですが、現実はそうではありません。とても残念です。
話は変わりますが、太平洋戦争突入時の1941年(昭和16年)、武器などの軍需生産の原料となる鉄や銅製品などの金属類を国民に供出させる法令が実施されました。使わなくなった金属類だけではなく、建物の鉄柵や手すり、いま使っている鍋・釜・火鉢などの日用品も回収の対象となりました。
そして、何と、お寺の仏具や梵鐘(吊り鐘)までもが供出の対象となりました。おそろしいことに金属でできた阿弥陀さままでが、タスキを架けられて運び出された事例もあります。恵光寺にも釣り鐘がありましたが、村の人たちが泣く泣く引き下ろして供出しました。
平和を願うお寺の釣り鐘や仏さまが人を殺す兵器になった、というのは何とおぞましいことでしょう。それに異を称えることができなかった戦時下の状況は怖いものがあります。
今般、浄土宗平和協会が「戦争時、寺院はいかに戦争に協力してきたか」ということを全国の浄土宗寺院を対象に調査し、その報告を公表しました。 その浄土宗平和協会の理事長である廣瀬卓爾先生は
「こんな状況だからこそ、一人一人の僧侶が平和の尊さを心に刻み、再び時代の流れにのみ込まれることがないように自分を磨いていかなくてはいけません。
今回、収集したすべての戦時資料がわれわれに訴えているのは、個々の僧侶の《覚醒》に尽きます。その契機とすべく、私たちは収集した資料の展示・解説などを含む「平和誓願の集い」を始めました。各地を巡回しながら、平和の実現に堅実な歩みを続ける覚悟です。」 とおっしゃっています。
力強いおことばとその実行力に私も賛同する次第です。
合掌。

 

■第187話:2023年12月

私が「生きている」のではなく「生かされている」という視座を

私たちは、自分のいのちは自分のもの、と思って生きています。しかし、ほんとうに自分のいのちは自分のものか、というと、見方を変えるとそうではないことがわかります。

一人のいのちは両親2人からいただいたもの、その両親それぞれの両親、つまり4人から、その祖父母の両親となると8人から、というふうに見ていくと、何と10代前まで遡ると、なんと、横並びで1024人の親がいたことになります。この先祖からずうっと《いのちのバトン》を受け継いで、今日のいのちがあるわけです。これだけの人たちのうち、一人でも欠けていたのなら、今日の私のいのちは生まれてこなかったのです。《いのちのバトン》とは、先祖からのつながりいのち、言いかえれば「時間のつながり」を言います。

金子みすゞさんの詩に「蜂と神さま」というのがあります。
蜂はお花の中に
お花はお庭の中に
お庭は土塀の中に
土塀は町の中に
町は日本の中に
日本は世界の中に
世界は神さまの中に
そうしてそうして
神さまは ちいちゃな蜂の中に

この詩を読むと、「蜂」は宇宙の中をいろんなものにつながりあって生かされていて存在している、ということがわかります。「蜂」を「私」におきかえて読んでみましょう。するとこの私はあるゆるいのちと横につながっているいのち、つまり「空間のつながり」 の中を生きていることがわかります。

私どもは時間的な、空間的な「あらゆるいのちのつながりの中」に、「いま、ここに現象」として存在しているのです。ですから、今ある「私」は昨日の私とはちがうわけで、また、明日の私は今の私とはまた違っているのです。このように「私」というものは一直線上に変化があるのではなく、あらゆる時間と空間をくるくると回って、「今」「ここに」いるのです。
つまり、私が「生きている」のではなく「生かされている」のです。
これは仏教の大変重要なものの見方です。
いまの時代、いのちのつながりを考える機会がないままに、前へ進んで生きねばならない状況が続いています。
自分のいのちのあり方について、この私の存在の仕方について、もう一度、一歩立ちどまって、よおく考えてみたいと思います。
合掌。

 

■第186話:2023年11月

「忘己利他」己を忘れ、他を利するは、慈悲の極みなり

これは比叡山において天台宗を創めた「最澄(さいちょう)」さまのことばです。原文は「忘己利他 慈悲之極」と漢文で書かれて今。
最初の「忘己利他」は「もうこ りた」と読みます。(声を出して読むと「もう懲りた!」のように聞こえますが…)。
「自分の《我》というものを忘れ、まわりの人のことを考えて生きていくことは《慈悲》の最高の状態である」という教えです。

私ども、生きていくということは、食べたい、寝たい、いい所に行きたい、好きな人といっしょにいたい、など、自分の〈欲〉が基になっています。しかし、その〈欲〉を好き放題に大きくしていくと回りと衝突してしまい、おたがいにとって悪い影響が出てきます。
仏教ではそれを〈我欲〉、あるいは単に〈我〉があるから、と教えます。つまり、仏教の教えの根本は「〈我〉の存在に気づき、それをコントロールする」生き方をすることです。そして、それが「利他」、つまり、苦しんでいる人のことを思う、そして具体的に動く、ということにつながるのです。

良寛さん、というお坊さんがいましたね。法事もお葬式もしない。寺にも住まず、小さな庵を借り住まいにして、托鉢生活で日暮らしをしていました。ふだんは歌を詠んだり、書をかいたり、そして子どもたちと遊ぶのが大好き、そういう人です。
ある冬の寒い日、良寛さんの粗末な庵に、貧しい母子が「食べるものを恵んでください」と物乞いに来ました。良寛さんは手元に何もありませんから、恵んでくれそうな人を思いおこして、「この母子に食べ物を与えてやってください」と、その人宛の手紙を書いて渡した、という逸話が残っています。
良寛さんは「自分は二の次、この母子になんとかこの日の食べ物だけでもありつけるように」と思ったのです。
ここで「良寛さんは自分は二の次」と書きました。良寛さんは、自分の〈我〉を横に置いて人と接するから、相手の辛い思いがよくわかったのだと思います。良寛さんは、そおっと人の苦しみに寄り添う、そんなお坊さんだったのですね。まさに「利他」のお坊さんだったのです。

そして、最澄さんの後半のことばにある「慈悲」の字義についてです。
仏教で「慈悲」と言うとき、その「慈」と「悲」の二つの漢字について、
「慈」は相手に安心を与える生き方を言います。そして「悲」は相手の辛い、苦しいという思いを取り除く生き方、と説明されます。
最澄さんはこの「慈悲」こそ、「忘己利他」の私どもの生き方の基本、と示されたのです。
「忘己利他」の生き方、自分の「我」をコントロールする、横に置く練習を始めてまいりましょう。また次回に。
合掌。

■第185話:2023年10月

またまた少欲知足 京都の年間猛暑日日数過去最多記録

日本有数の暑い都市としても知られる京都ですが、京都市で今夏に記録した猛暑日(35度以上)は過去最多の38回。この先もまだまだ記録が伸びると言われています。
なぜこんなに猛暑になってしまったのでしょう。やはり気候変動、つまり地球温暖化のせいです。現代に生きる私ども人間のせいです。
私ども人間は産業革命以後、自分たちの生活が便利で快適であるように、と電気を発明し、車や飛行機を動かし、そのもとになる石炭や石油、天然ガスなどをたくさん燃やしてきた結果です。また、食料となる家畜をたくさん育てたり、農業生産を多くするために森林を伐採していく、ということもその原因です。私どもは大切な自然を荒らして人間にとって都合のいい生活形態を作ることを目指してきました。その結果がこの地球温暖化です。自業自得です。
《気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書》では「地球温暖化の本当の原因は、人間活動が原因である可能性ことが極めて高い(95%以上)」といっています。
要は、われわれ人類の生産活動が原因で、大気中の二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素などの温室効果ガスを、過去に類を見ない水準まで増やしているのです。

仏教では「少欲知足」ということを言います。《欲は少なく、満足することを知る》という意味です。「欲のコントロール」を我々の生き方にしよう、ということ、つまり我々人間は自然との調和の中を生かせてもらっている、という法則を知えきびょう、ってもたらされた生活知性です。
私たちのまわりは今、戦争や飢饉、疫病で、十分な食料が行き届かなくて死んでいく人がたくさんいます。その一方で「飽食」や「食品ロス」が問題になっています。
今から12年前、「世界一貧しい大統領」とよばれたウルグアイの前の大統領ホセ・ムヒカさんは国連のSDGsの会議で演説しましたが、その中のことばがとても有名になりました。あらためて「少欲知足」を考える言葉として紹介いたします。
貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ
私たちの生き方を反省させることばです。
10月になれば、気温は下がるでしょうが、しかし、この異常気候の地球を作っているのは私どもの「欲」である、と自覚してまいりたいと思います。
こころゆたかな秋の季節を過ごすように努めてまいりましょう。合掌。

■第184話:2023年9月

老化って悪いこと?

人間、高齢になると、体が思うように動かない、物忘れをする、病気がふえる、など、老化現象が出てきますね。しかし老化は自然のことです。
お釈迦さまは、どんな人でも老・病・死から免れることはできない。そのことをしっかり受け止めて人生を見るのが基本である、とお示しになりました。
しかし、今の世の中では、病気をしない、認知症にならない、人の世話にならない、そんな老人がいい老人、と思われています。
しかし。老いるのは「悪」ではない、自然なのです。 精神科医の香山リカさん(63)は「認知症になっちゃいけないの?」と問いかけ、そして、老いることについて、「若さを上手に手放して、代わりにほかの《人生の宝物》を手にすることが大事」と言っておられます。
「若さを上手に手放して」という覚悟がいいですね。

そこで、私も含めて、高齢者のみなさんへのメッセージです。

「若さへの執着は卒業して、長い人生経験からわかったこと、深く考えられるようになったことに自信を持ちましょう。そして、人を大事にすること、平和の大切さを若い人たちに伝えていくように勤めましょう。
体は不自由でも年をとったからこそ、これからの生き方がいっぱいあると思いなおして、くじけずに日暮しをしてまいりましょう。」

  やはり年をとって前向きに生きる、というのは、こんな私が、いろんなご縁によって、生かされている、ということに気づくことから始まると思います。そしてそのことを喜ぶこと、それが生活のベースとなるのです。
いつも紹介する坂村真民さんの「喜べ」という詩、また掲載します。いっしょに読んでみましょう。

喜べ喜べ
喜んでいると
みんな寄ってきて
助けてくれる
それと反対に
悲しんでばかりいると
みんな離れていってしまう
だから喜べ喜べ
それが幸せの秘訣だ

また来月に。
合掌

■第183話:2023年8月

人間の欲が地球環境を悪くしています

いま日本にジェーン・グドールさん、という動物行動学者が来ておられます。彼女は今89歳。いまの地球環境の悪化に対し、ご自身の専門分野の観点から、とても建設的な発言をしておられます。
仏教では「あらゆるいのちはおたがいつながりあって存在する。単独でそのものが存在する、ということは決してない。だからおたがいを大事にし、自分の我を二の次にする生き方をしなければならない」と言います。グドールさんの環境についての発言はその仏教の縁起説と通底していますので紹介します。

私たちが抱えている大きな問題の一つは、自然から切り離されていることです。人間の未来の存続は、健全な環境が保たれるかにかかっています。それは動物や植物が複雑に絡み合って構成されていて、すべてが役割を担っている。そのひとつが失われるたびに、生態系は不安定化し、いつかは生態系全体が崩壊します。
そして、彼女はこう続けます。
人間と動物はお互いを尊重しなければなりません。
にもかかわらず人間は、食肉やペットとして野生動物を密猟し、売るようなことまでしています。一方で、抗生物質に耐性を持つスーパーバグ(超多剤耐性菌)が増え、それが原因の感染症により世界中で多くの人が亡くなっています。
この新たなパンデミックを避けるためには工場畜産、そして化学肥料や農薬を投入する慣行農業をやめるべきです。
より小さな規模で良い食べ物をつくる、環境に配慮した持続可能な農業へ移行する必要です。開発についても考え直さなければなりません。 新しい道路やダムが必要とは言えません。
スーパーマーケットを建てるために美しい森を切り倒す必要はありません。
全くその通りですね。
自然のもの一切はおたがいがつながりあい助け合って存在している、と常に教える仏教、いま「自分の我を二の次にする生き方」を考えていこうではありませんか。

合掌

■第182話:2023年7月

「市原の用水路」から学ぶ先人の生き方

先日、地元の小学校4年生の子どもたちを前に「ふるさと・市原野」についてお話しました。
テーマは「市原の用水路」です。
わが市原の里では江戸時代初期、今から350年ほど前、それまで米のとれなかったところに灌漑用水路を作ってコメ収穫ができるようになりました。その用水路建設を指導したのが当時の京都所司代の板倉重矩(いたくらしげのり)でした。
この市原の「板倉用水路」は市原の北部を流れている静原川から取水して、市原の東の山裾を通り、市原駅を通って、恵光寺の下の鞍馬街道で北上させて、そこから4本の支線を作って市原の村全体に水が流れるようにしたものです。全長は5㌔ほどのものですが、当時の人たちにとっては米が収穫できたことが画期的な出来事でした。
いまでも市原の町では板倉氏の功績を謝するため、毎年6月晦日に「板倉忌」を市原神宮寺で行っています。
小学校の子どもたちにはその水路の話をしながら、昔の人たちの「コメ作り」をいっしょに考えました。
「コメ作り」は大変なことです。
お米を育て、収穫するにはどれだけの人の力がいるか、田植えが終われば、次に草鳥をしなければならない、大きくなるのはうれしいけれど、台風で稲が倒れてダメになってしまわないかなど、心配と苦労と労力はいつもつきまといます。家族はもちろん、身内や近所の人たちと協力し合って一所懸命コメを育てる作業に精を出します。
江戸時代の農政家である二宮尊徳(1787-1856)の歌に「この秋は雨か嵐かしらねども今日の勤めに田の草ぞ引き抜く」というのがあります。収穫を夢見て農作業に勤しむのですが、尊徳翁は「コメは日光、風、雨、自然のめぐみでできるのだ。先のことは考えず、今日、今、しなければならない草取りなら草取りに精を出すことがいちばん。そう思ってコメ作りにつとめはげむことだ」といっています。
コメを育て収穫する、というのはずいぶんつらい、しんどいことです。「人の手を八十八回、煩わせて、やっとコメ1粒ができる」といって「米」の字の成り立ち、つまり「米」は「八・十・八」と書く、と説明することもあります。
まったくそのとおりですね。
そんな具合ですから、その分、立派に収穫ができたときはどれだけうれしいか、その喜びと感謝を天地の恵みとうけとって、神仏に感謝をして秋祭りを行うのです。
と、まあ、こういうお話をさせてもらいました。

合掌

■第181話:2023年6月

雑草という名の草はありません。害虫という虫はいません。
人間が自分の都合でつけた呼び名です

いまの世の中、私たちは自分を中心にして物事を見、生活するようになりました。その最たるものが都会での生活です。都会とは私たちにとって意味のあるもの、つまり便利、効率、快適を求めて人間が作り上げたものです。それに対して、山や川、海など自然界のもとでの生活は、人間にとって不便、非効率で、意味のないもののように見られるようになってしまいました。
しかし、ここで考えなければならないことは、今日の私のいのちはいろんなものとつながり、関わりあって存在している、という事実についてです。

仏教は「相依相待」(そうえそうたい)といって「一つのものが存在するためには他のものに依っていて、他のものなしにはその一つのものも存在し得ない」という関係性を根本においています。

今回、タイトルで紹介した言葉はテレビ小説などで脚光を浴びている言葉です。雑草とよばれる名のない草は、それはそれで存在する理由があります。つまりこれらの草は他のものたちによって存在しますが、同時に、他のものを支えている存在でもあります。
それを私どもが、都会的な見方、つまり「自分にとって意味のあるもの」だけが存在すればよい」という傲岸な見方をしてしまって要らない草は「雑草」、邪魔になる虫は「害虫」と呼んで憚らないのです。
仏法から外れた傲岸な生き方を私どもはしている、と猛反省しなければなりません。

合掌