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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。
■第16話:2008年8月
真の愛情とは「小悲」ではなく「大悲」
餓鬼の世界
お寺のお盆のお勤めに「施餓鬼」という法要があります。前世の罪で地獄や餓鬼の世界に墜ちている人を救う法要です。
地獄、餓鬼の世界とは、自分のことしか考えない、人を押しのけても自分の思いを通す、こんな人が墜ちる世界です。そこでは実に大変な責め苦に遭います。そもそも地面が灼熱です。水も食物もたくさんあるけれども、みんなオレのものだ、と言い張る世界ですから、すぐに取り合いです。取り合いのけんかをしているうちに水や食物はことごとく地面に落ちて蒸発、または黒こげになってしまい、何も食べられません。だから餓鬼の喉は針のように細く、腹は海のように膨らんで、髪を振り乱し、口は耳元まで裂けている、すぐに人のものを欲しがって追いかける、そのさまは哀れとしかいいようがない、そんな世界です。
目連(もくれん)さんの親を思う気持ち
おしゃかさまの優秀なお弟子に目連さんという人がいました。あろうことかその目連さんのお母さんが餓鬼の世界に墜ちたんですね。おしゃかさまにたずねるとそれは「ほかの子どもに比べて自分の子どもを大事にした罪で餓鬼の世界に墜ちた」ということだったのです。
どうすればその母親のエゴを取り除くことができるのか、母を餓鬼の世界から救うことができるのか、目連さんとにかく母を救う道を教えてください、とおしゃかさまに懇願しました。
するとおしゃかさまはお母さん以外の人に施食をせよ、とおっしゃいます。
「えっ? 母を救いたいのに母以外の餓鬼に施食せよ、とはどういうこと?」
何のことかわからないまま、目連さんはすべての餓鬼に施すお勤めをします。するとどうでしょう。お母さんは地獄・餓鬼の世界を脱して天の世界に生まれたのです。
我が母、我が子を超えて、すべての人に対しての慈悲行こそ
これが「施餓鬼」という法要の始まりのお話です。
ふつう「子どもが大恩のあるお母さんを救いたい」、逆に「母がいたいけなこどもをおのれを忘れ、苦労していっしょうけんめい育てる」というのは美しいお話です。しかし、仏教では、そういう愛情を小さな慈悲、つまり「小悲」と呼びます。逆に、大恩の母や、いたいけな我が子ではなく、すべての人を救いたい、大事にしていこう、とする愛情を大きな慈悲、つまり「大悲」といいます。
おしゃかさまは「小悲」の世界は美しいけれど、それは自分自身の悩みの解決にはならない、とおっしゃるのですねぇ。
我が母、我が子を超えて、すべての人に対しての慈悲行こそが真の救いになる、というのがおしゃかさまのみ教えなのです。
もういちど、真の愛情とは何か、考えてみましょう。
■第17話:2008年9月
お彼岸
「彼岸(ひがん)」と「此岸(しがん)」の相対立する二つの岸は別々のようであるけれど、
実は別々ではない自分に都合のいい方を「善」と
お彼岸は、こちらの世界(此岸)と向こうの世界(彼岸)という相対立する二つの岸がある。しかし、この二つの岸は別々のようだけれど、実は別々ではない、という世界に身を置くことです。
「昼の岸」と「夜の岸」という相反するものどうしが実は別々でない、という昼夜同時間の時季を選んでこの仏教行事ができたのですね。先人の智恵に脱帽です。
自分に都合のいい方を「善」とするな
私たちはものごとを相対立する二つのものとして比べ、自分に都合のいい方を「善」と見てしまいます。
たとえば「大きいもの」と「小さいもの」、「きれいなもの」と「きたないもの」、「富裕」と「貧乏」、「元気」と「病気」、「老い」と「若さ」、「生」と「死」とことばを並べられると、みなさんはどちらか、自分に都合のいい方を「善」と思い、そうでないほうを「開く」と見て嫌悪、排除するもの、として見るでしょう。
実はこのかたよった考え方が悩みの元なのです。
こんなお経があります。
ある家に、ひとりの美しい女が、着飾って訪ねてきた。その家の主人が、「どなたでしょうか。」 と尋ねると、その女は、
「わたしは人に富を与える福の神である。」と答えた。主人は喜んで、その女を家に上げ手厚くもてなした。
すると、すぐその後から、粗末なみなりをした醜い女が入ってきた。主人がだれであるかと尋ねると、貧乏神であると答えた。主人は驚いてその女を追い出そうとした。すると女は、
「先ほどの福の神はわたしの姉である。わたしたち姉妹はいつも離れたことはないのであるから、わたしを追い出せば姉もいないことになるのだ。」と主人に告げ、彼女が去ると、やはり美しい福の神の姿も消えうせた。
生があれば死があり幸いがあれば災いがある。善いことがあれば悪いことがある。人はこのことを知らなければならない。愚かな者は、ただいたずらに、災いをきらって幸いだけを求めるが、道を求めるものは、この二つをともに超えて、そのいずれにも執着してはならない。(「仏教聖典」)
私と仏さまも相対立しているようですが、実は「仏さまに生かされている」、もう少し平たくいえば、「天地のみ恵み、人のご縁で今、ここに、この私がいる」といただくと、「仏さま」は何も向こうにおられる方ではないのです。「天地」は私以外の処にあるのではないのです。
どうぞ、「かたよらない心」を持たないよう、生きていきましょう。
西山上人というお方は
「南無阿弥陀 ほとけの御名と思いしに 唱うる人の 姿なりけり」
とおっしゃっています。仏さまとは私の向こうにおられる方、と思っていたのに実際手を合わせて南無阿弥陀仏と唱えると、私と一体であったのだなぁ、というお心です。
自分は独りではない、み仏さまと別々ではない、といただくことができると、今日の生活がそのまま喜びの生活になります。
■第18話:2008年10月
「小悲」と「大悲」
私どもの日常
私どもは生きていく以上、仕事をして生活を支えていかねばなりません。
好きかきらいはともかく、働かねばなりません。
働く場所は山であったり、田畑であったり、海であったり、外回りであったり、オフィスであったり、車の運転であったりです。冬の寒いときは寒さをしのぐ工夫をし、夏の炎天下では汗を拭(ぬぐ)いながら仕事をします。
今は昼も夜も境なく働きます。子のため、家族のために一生けんめいお金を稼ぐのです。その結果、家族の結束が強まり、家族間の愛情が深まることにもなっていきます。
先人はこれを「親子の恩愛の絆(きずな)」と言いました。ここをもって人は「子は親の恩を知らなければならない」と教え、子どもは子どもで「こんな親に育てられたからこそこの私がある、感謝しなければ」といいます。
これは実に美しいことではあります。
しかし、家族の絆が深まることはいいことですが、一方、自分や家族を守ろうとするあまり、外には執敵怨類(しゅうてきおんるい)といっていいのでしょうか、ほかの人とのあいだに恨みやねたみが出てくるのも事実です。
このように、総じて言えば、私どもの生活では「恩愛の絆」は切ることはむつかしいし、同時に瞋恚(しんい)の恐ろしい心はどこかに潜んでいるのです。そんな生活がわたしどもの日常ではありませんか。
親子の恩愛の絆は「小悲」で迷いの世界
仏教では「小悲」と「大悲」ということを申します。
「小悲」と字のとおり、小さな思いやりのことです。それに対し、「大悲」は相手を選ばない思いやりです。「小悲」は迷いの世界、「大悲」は迷いのない仏さまの世界、といいます。
ではなぜ、親が子を思い、子が親を慕う、という美しい親子関係が「小悲」といわれるのでしょうか。
それは、前段でも申しましたが、たとえば、家族の「恩愛の絆」が深まることはいいことですが、自分や家族を守ろうとするあまり、外の人とのあいだに恨みやねたみが出てきて、ほかの子を押しのけてわが子をかわいがろうとする心が出て参ります。ほかの親はともかくわが親を大事にしようとする気持ちが出ることもしょっちゅうです。どこの子どもも、だれの親でも平等に思いやらねばならない、とは思うのですが、現実はなかなかそうはいきません。よその人はともかく、うちの家族は元気でありますように、病気になりませんように、長生きしますように、と願うのが、ホンネでこれが私どもの毎日でしょう。
「小悲」・迷いの世界を通して「大悲」の世界を知る
この「小悲」、つまり「恩愛の絆」にいっしょうけんめいになればなるほど「迷いの世界」に入っていって、かえって「大悲」の世界から遠ざかってしまいます。
では「大悲」の世界とは何でしょうか。それはひと言でいえば真実の世界のことです。
先日、小学生の登校時に声かけをしてあいさつをするようにしている、という男性がこんなことを言ってました。
「このごろの子どもは、こちらがあいさつをしても向こうはあいさつをしませんね」と、子どもがあいさつを返さないことはいけないことだ、と不足気におっしゃるのです。
そこで思いましたが、「子どもがあいさつをしない、というけれど、あいさつを要求するこの私はちゃんと人のあいさつを受けて応えているかしら。じつは私には見えない姿の、聞こえない声で、『よくやっているねぇ、今日も自分を大切にしてゆたかな心で生きていきなさいね』とあいさつをして下さっている方がある、そう戴きたいのです。
それはどんな方か、というと、太陽がそうです、水がそうです、大地がそうです、風がそうです、人さまがそうです、先祖さまがそうです、これから生まれてくる子どもがそうです、ほとけとしかいいようのないすべてのいのちがこの私に声かけをして見守っていてくださるのです。
こちらがイヤ、と言おうが、ほとけとしか言いようのない力は常に私を見守っている
太陽も、水も、大地も、風も、人さまも、友人も、同僚も、先祖さまも、これから生まれてくる子どもも、鳥も、花も、木も、石も、みんなみんな、私一人を見守り育てて下さっている力なのです。この力は「ほとけとしか言いようのない力」と言い換えることができます。この大いなるお力を私どもは「大悲」と申しあげているのです。
私のいのちを見守り育ててくださっている力に気づくことができたならば、いかなる存在について、上下があったり、優劣があったり、順序があったり、大小があったりはいたしません。
『あなたは今のままのあなたでよろしい』という「大悲」の声が毎朝聞こえてくればしめたものです。私どもはそのお声に応えて「ありがとうございます・南無阿弥陀仏」と申しあげるのです。
石は石でよかった、木は木でよかった、私は私でよかった。ありがたいこと。 (竹部勝之進さん)
■第19話:2008年11月
私どもは 守られて、信じられて、そして 許されて生きているのです
「全国(ぜんこく)青少年(せいしょうねん)教化(きょうか)協議会(きょうぎかい)」というのがあります。日本の既成仏教教団のほとんどの宗派が参加している団体で、青少年の豊かな生活と未来を願って活動をしている財団法人です。
今は本来の仏教情操教化活動に加え、「いじめ、不登校、少年犯罪など、ますます多様化する青少年に関する課題に対し、仏教や仏教者が果たす役割を常に考え、青少年はもとより、彼らとともに歩む青少年教化活動者を支援しています。
私もずいぶんとお世話になっています。
この会が発行しているテキストに「ほとけさまのねがい」というのがあります。とてもよくできていて本堂などでの子ども会のおつとめに使います。この中に次の文章があります。
あの人にも この人にも
太陽にも 空気にも
まもられていきるわたしたち
みんなを信じよう
どんな人にも 美しいことば
あたたかいことばで 話しかけよう
ほとけさまは 底ぬけに わたしたちを
信じていてくださる
ほとけさまのねがいのなかに
底ぬけに 人を信ずる人間となろう
これを声を出して読んでみてください。わたしという「いのち」はいろんなものに守られてある、ということを謳(うた)っていますね。
守られて生きるわたしたち
「あの人にも この人にも 太陽にも 空気にも」のあとには「すべてのいろんなものに」ということばが隠されています。それは「仏さまとしかいいようのないすべての力に守られている」と言いかえられます。
「ほとけさまは 底ぬけに わたしたちを 信じていてくださる」という部分は「底ぬけに」というところが重要です。「無条件で」という意味です。私がどんな悪人であろうとも、元気であろうと病気であろうと、無条件で守ってくださっている、というのです。
こんな私が「信じられている」から、こんどは「この私が次の人を信じていかなければならない、それも無条件で」ということになります。
日々是好日(にちにちこれこうじつ)
信じられて生きていることを知ると今日は私にとって悪い日、いい日、ということはありません。毎日がいい日なのです。これを仏教では「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」といいます。今言いましたように、仕事ができた日もできなかった日も、また気分のよい日も辛い日も、同じように「好(い)い日」となるのです。
星野(ほしの)富(とみ)弘(ひろ)さん、という人がいます。この人は首から下が動かない人で、口に絵筆をくわえて絵を描き、詩を書いておられます。そしてまたその絵や詩がとてもすばらしい。
一日が終わった
そういう日と
大きな事をやりとげた日と
同じ価値を見いだせる心になりたい
こうおっしゃっていますね。これが「日々是好日日(にちにちこれこうじつ)」です。
生きるのがうれしい
星野さんはまたこうも謳(うた)っておられます。
いのちがいちばん
大切だと思っていたころ、
生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがある
と知った日、
生きているのがうれしかった
この「いのちより大切なもの」というのが「こんな私を守り信じて下さっている人、力」、つまり「ほとけとしかいいようのない大いなる力」のことです。
何も自分が強くならなくていい、だいいち、強くになんかなれない私です。こんな私を無条件で守り、信じ、許してくれている、そんな力を知ったとき、生きるのがうれしくなる。いい日があったり、辛い日があったりしますが、許されてあることを知ると、生きるのがうれしいのです。
ではまた次回に。
■第20話:2009年1月
偏った見方は自分を苦しめる」
私どもはものごとを、大きいと小さい、金持ちと貧乏、元気と病気、というふうに二つに分けて考えます。
そして、その片方が良くって、もう一方は悪い、と決めつけます。その結果、今の例で申しますと、元気は良くって、病気は悪い、というふうに、自分にとっていい方のものにしがみついてしまいます。
ところが元気なときはいいのですが、病気になると、病気はイヤなもの、悪いもの、として、元気というものにしがみついて、のがれ得ない病気からのがれたい、と思って悩み苦しみます。
あい対立するものが同居しているのがこの世界
ところが世の中にはイヤなもの、要らないもの、というのはひとつもありません。
たとえば自然界の森でいいますと、高い木、低い木、中くらいの木がありますが、これらはおたがいバランスを保っているから森は成り立っています。
高い木がいいから、といって高い木だけにすると森はバランスを崩してつぶれてしまいます。高い木は小さな木を守り、また小さな木は大きな木に栄養を回す、というふうに自然界はたすけあい、ぬくめあって存在します。
高い木も、低い木も両方大事で、共生しているのです。 「害虫」というのもそうです。いい野菜などを作るにはフンワカとした軟らかい土が必要ですが、このやわらかいいい土は「害虫と益虫」が混ざり合い同居してなりたっています。 害虫・益虫は人間の都合で決めた呼び方です。 野菜の葉っぱを食べる害虫を農薬で駆除し続けると、土はやせて、結局作物は悪くなるそうです。益虫がよくって害虫が悪い、という偏った判断は、おのれを苦しみに陥れることになります。害虫益虫も両方大事で、共生しているのです。
つながっているいのちだからおたがい「たすけあい」「ぬくめあい」を
いま景気が後退し生活問題が表面化しています。
お金はあるに越したことはありませんが、お金がすべてか、というとそうではありません。
私は、隣の人、友人、家族と共生しているのだ、大自然といっしょに生きているのだ、という智恵が必要です。
こんなときこそ、おたがいが、たすけあい、ぬくめあって生きる、そういう実践をすべき時です。 突然のドシャぶりに、傘を持っている人は持たない人に傘の半分を差しかける《ぬくめあい》が必要です。
みんなつながりあって生きているのですから。
■第21話:2009年2月
お釈迦さまのみ教え 法句経160番
「おのれこそおのれのよるべ」
法句経というお経があります。
原名を「ダンマパダ」といい、お釈迦さまのお説 きになったお経の中ではいちばん古いものです。 インドの古語であるパーリ語で書かれ、432の詩句でできています。編集されたのは紀元前3~4世紀といわれています。 この法句経はお釈迦さまの真精神をもっとも正しく伝えている詩集として、量的にも重くなく、読みやすく、仏教の論語ともいわれてたくさんの人に読まれてきました。
この法句経の中でも第160番はとくに有名で、この句はそのまま仏教の精神すべてを説 き尽くしたもの、といっていいものです。
「おのれこそおのれのよるべ
おのれを措(お)きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ得ん」
お釈迦さまの最後のことばは
「ととのえられた己れを頼りに生きよ」。
生きるうえで誰を信じていくべきか、何を人生の道しるべとすべきか、と問われれば、ふつう「仏さま」「神さま」という答えが出てくるのでしょうが、超越的な神をたてない仏教、つまりお釈迦さまは「それは調えられた自分である」とおっしゃいます。
お釈迦さまは80才の大生涯を閉じられようとするとき(お釈迦さまの亡くなられることを「涅槃」といいその日は2月15日といわれています)、悲嘆にくれる常随の弟子・アーナンダ(阿難)に対し、最後のお説教をされます。 それがこの法句経第160番です。
「アーナンダよ、嘆いてはいけない。生まれたものが必ず死ぬことは何べんもいったではないか。お前は、お前自身のよるべではないか。お前はお前自身の灯明の役目をしているではないか。お前自身の外にどこによるべを探し求めるのか。よく調えらたお前自身をこそ、お前のよるべとしなければならない」と。
欲と怒りに翻弄される現実世界。
だからこそ己れをととのえる努力を
自分の思い通りにならない世の中(これを「苦の世界」といいます)はどうしても欲と怒りに翻弄されていきます。それが現実世界です。欲と怒りに翻弄される自分ってほんとうの自分でしょうか。そうではありません。
流されない自分、調えられた自分を追及していくことこそ、真に生きる、ということになります。
自分を措いて、自分の外によるべを求めようとすることは自分を捨ててしまい、結局、流された自分を生きることになります。
正しい生き方を生きようとする「調えられた自分」の追求はお釈迦さまの正しい教えでありますし、また、そのことが迷いに落ち込まない生き方でもあるのです。
恵光寺では毎月第2土曜日に「写経と法話の会」を行っています。いまシリーズで写経しているお経がこの「法句経」です。
詳しくは「写経と法話の会」をご覧下さい。
■第22話:2009年7・8月合併号
9月20日にリニューアルオープンします!
みなさまお元気ですか。暑中お見舞い申しあげます。7月の雨量は毎年多くなっているようで、各地で水害が頻発して惨事を引き起こしています。亡くなられ方、被害に遭われた方々にお見舞を申しあげます。御地のあなたはいかがでしょうか。さて、恵光寺ホームページは少し間があいてしまいました。申し訳ございません。今回はお盆に関して述べさせていただきます。また、9月20日からこのホームページがより読みやすくするためリニューアルをいたします。どうぞご期待下さいませ。
お盆行事はお墓掃除から始まる・・・・・・・・・
私は恵光寺で生まれ育ちました。
お寺の横には広大な共同墓(きょうどうばか)があり、お盆になると、それまで石碑群を覆い隠すほどに鬱蒼(うっそう)と茂っていた草が見事に刈り取られ、墓地全体の見晴らしがよくなり、あまりの変わりように、驚きと爽やかさを覚えたものです。
この地域の人々のお盆行事はお墓掃除から始まります。
そして8月7日は「七日盆」と言って、朝早くから街の人たちがお供え物をいっぱい持って墓参りをするのです。
お盆には亡くなった方々がお家に帰ってきます(お精霊(しょうらい)さん)・・・・・・・・・
お盆になると各家でお精霊(しょうらい)さんを迎えます。お精霊(しょうらい)さんとは亡くなった方々、先祖の霊のことで「お盆には地獄(じごく)の釜(かま)の蓋(ふた)も開(あ)いてお精霊(しょうらい)さんが帰ってこられるのだ」と古老は子どもたちに話します。
8月12、13日頃の夕方、門口(かどぐち)に出て小さく束ねた麻幹(おがら)に火を点(つ)けて迎えるのです。お精霊さんは、樒(しきみ)、溝萩(みそはぎ)、高野槙(こうやまき)に鬼灯(ほおずき)、茄子(なす)、南瓜(かぼちゃ)、大角豆(ささげ)などの野菜・果実類を蓮の葉の上に盛ってあるのを言います。そこへ、毎日、白蒸(しらむし)、素麺(そうめん)、お萩(はぎ)、ヒジキの煮物、南瓜(かぼちゃ)のお浸し、などの精進ものをお供えするのです。 この間、家人も同じものを戴きます。
十六日の朝は送り火を焚いて川にそのお精霊さんをお念仏を唱えながら流します。さすが、今は川に流すことはなく、市の環境局がお精霊さんをパッカー(!)で集めに回りますが……。
お盆にはお施餓鬼(せがき)・・・・・・・・・
身内以外の世界中で苦しんでいる人に水や飯を手向(たむ)け、頭(こうべ)を垂(た)れる法会/
平和への道の第一歩
このころ、あちこちのお寺ではお施餓鬼(せがき)が勤まります。
お施餓鬼(せがき)は地獄に堕(お)ちた人たちを呼んでお供物を捧げ、水を供養する法会(ほうえ)です。本堂の外陣(げじん)に施餓鬼壇を設(しつら)え、餓鬼が遠慮しないで来られるように、壇の高さを低くし、大盛りにした餓鬼飯(がきめし)や山海の供物には餓鬼旗(がきばた)を建てます。法会では参詣者が亡くなった方々の法名を書いた塔婆(とうば)に水を注いでお参りします。
この法会の形はお釈迦さまが説かれた「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぐばつえんくがきだらにきょう)」「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に依っていますが、亡くなった身内だけが餓鬼の苦しみから逃れればいい、という狭い考え方を止めて、このお盆の間だけでも、縁もないような人、知らない人、苦しんでいるすべての人、一切に対してお供えをし、お水を差し上げ餓鬼の苦しみから逃れていただこう、そのためにお釈迦さまが示された陀羅尼(だらに)(ご真言)を繰り返して口ずさんでお参りしよう、という内容です。 小さいときからお寺に詣(もう)でて、目には見えないけれど、身内以外の苦しんでいる人に水を手向(たむ)け、お供えをして手を合わせ、頭(こうべ)を垂(た)れる、というこのお盆行事は、行き着くところ、世界中で苦しんでいる人に思いを致す、という平和への道の第一歩でもある、と思うのです。
■第23話:2009年9月
生きてゆく力がなくなるときがある ・・・・・・
お盆
自分を見つめる時間をつくりましょう
現代のひとは自分をしっかり見つめる時間が少ない、といわれています。
自分を見つめる、とはどういうことでしょうか。
坂村真民さんの詩に「坐(すわ)る」というのがあります。
死のうと思う日はないが
生きてゆく力が なくなることがある
そんな時 お寺を訪ね
わたしは ひとり
仏陀(ぶっだ)の前に 坐(すわ)ってくる
力わき明日を思う心が
出てくるまで 坐ってくる
つらいからこそ、自分を見つめる、つまり生きる意味と勇気が湧(わ)いてくるまで座ってくる、そしてほとけ様は必ずその力を与えてくださる、と言うのです。
インドで始まった自分を見つめる修行・「夏安居(げあんご)」
インドではその昔、毎年雨期にあたる4月から7月の約3ヶ月、「夏安居(げあんご)」といって僧たちが一箇所に定住して自分を見つめる修行に励みました。
しかし、この「夏安居(げあんご)」の本来の目的は、雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(ゆぎょう)(外での修行)をやめて一カ所にじっとしていることにより、小動物に対する無用な殺生をしないように、と言われています。
このお釈迦さま在世中より始められたとされる「夏安居(げあんご)」は、その後、仏教の伝来とともに中国や日本に伝わり、とくに禅宗を中心に大事な僧侶の行事となっています。
7月15日「夏安居(げあんご)」の最終日を「解夏(げげ)」といい、その日が日本のお盆8月15日に
この「夏安居(げあんご)」は7月15日に終わりますが、その日を「解夏(げげ)」と言って「完成され た日」として大事にされてきました。
つまり、つらい修行を終えて生きる勇気が出てき た日です。
ちなみに、日本のお盆が8月15日なのはこの「解夏(げげ)」の7月15日を旧暦でいった日なのです。
自分の在処(ありか)を見つけるには「欲(よく)」と「瞋(いかり)」を離れること 自分を見つめようとするとき、いつも邪魔になるのは自分の心の中にある二つの心です。
自分の思いとおりになってあたりまえ、という「欲(よく)」の心、そして、自分の思い通りにならなかったときに腹立つ「瞋(いかり)」の心です。この「欲(よく)」と「瞋(いかり)」が心の中に充満しているとき、自分を見つめることはできません。
自分を見つめるにはこの「欲(よく)」と「瞋(いかり)」の心をほとけさまにお返ししてしまうことです。
ほとけさまは私たちの「欲」と「瞋」の心をいつも両手でやさしく掬い取ってくださいます。
そう思うのです。 「欲」と「瞋」をほとけさまにお返しして身軽(みがる)になったとき、心は自由になります。そしてほんとうの自分と自分の在処(ありか)に出会うのです。
次回はリニューアルしたホームページの「恵光寺住職のお話」でおあいしましょう。
■第24話:2009年10月
「ほとけさま」ってなあに? (1)
「ほとけさま」っていうと仏像を思い出す人も多いでしょう。それもいろんな仏像があるのでかえって「ほとけさまってどのほとけさまが本当のほとけさま?」ということになります。
「ほとけ」は「悟りを得た人」という意味の「ブッダ(仏)」から来たもので、もともとはお釈迦さまのことです。ところが時代が下るに従ってお釈迦さまの 説かれたお話の内容を「ほとけ」として表したり、苦しい人を救おうとする大いなる力を持った「ほとけ」を「ほとけさま」と呼んで敬い拝むようになってきま した。
みなさんの中で、奈良の東大寺にお参りに行かれた方は多いと思います。あの東大寺の大仏さまはお釈迦さまが説かれた永遠不滅の法(おしえ)を「毘婁(びる)遮那(しゃな)仏(ぶつ)」とお呼びして拝む「ほとけさま」です。ですから、東大寺の大仏さまは宇宙に遍満するみ仏であり、宇宙そのものとして拝むのです。これは「華厳経(けごんきょう)」の教えに従ったもので、太陽の光、月の光、鳥の声、花の色、水の流れ、風のそよぎ、すべてこれ「ほとけさま」と戴きます。
お釈迦さまが説かれた「宇宙の法則」を「ほとけさま」って呼ぶこともあるんです
お釈迦さまは、ものの存在の仕方について「ひとつのものはいろんな縁がおたがい働きあってやっとそこに存在する」とお示しになりました。今日、ここにこの私が在るのはそういう宇宙の真理・法則のおかげ、といただいていくのです。
お釈迦さまのお説きになられた「華厳経」には「仏(ほとけ)の一毛孔(いちもうく=けあなのこと)に一切(いっさい)の世界(せかい)在(あ)り。一切)世界を見奉(みたてまつ)れば、一毛孔見奉らん」という言葉があります。
服をまくって腕を見てください。小さな毛穴が無数にありますね。小さな毛穴ですが、私どもが生きていく上で、これらはそれぞれ役割を担(にな)っています。ひとつとして要(い)らないものはないのです。そのひとつの毛穴をじっと見ていきますと、そこにすべてのいのちを存在させる法則が見えてきます。
金子みすヾさんの詩に「はちと神さま」というのがあります。
はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。
みすヾさんの詩はそのまま「華厳経」の教え、すなわち宇宙の真理をうたったものです。はち、お花、お庭、土べい、町、日本、世界、一切のものはみんな神さま・ほとけさまの世界を生きているんです。
こういう宇宙・自然の法則、つまり「真理」を「ほとけ」と呼ぶのですね。そうすると、世の中には「ほとけさまでないものはひとつもない」という見方ができます。
二宮尊徳という人の歌に「音もなく香(か)もなくつねに天地(あまつち)は書かざる経を繰り返しつつ」というのがあります。こちらが知らないだけで、私たちの世界はつねに自然の法則で運行されているのだ、ということです。
尊徳さんが言う「書かざる経」が私どもが言う「ほとけさま」なのです。
ではまた次回に。
■第25話:2010年2月
「ほとけさま」ってなあに?(2)
前回は「ほとけさまってなあに?(1)」というテーマで、宇宙・自然の法則、つまり「真理」を「ほとけ」と呼ぶ、ということを申しました。私どものいのちの在りようは大いなる宇宙の法則から外れては存在しない、という、そのことが「ほとけの世界」を生きている、ということになる、ということでしたね。
今回は、そういう「ほとけ」とはまたちがう「ほとけ」をお話しします。それは阿弥陀さま、という「ほとけ」のことです。そう、あの「南無阿弥陀仏」とお称えする、あの「阿弥陀ほとけさま」です。極楽浄土に生まれたい、と思う私どもに対して、「苦しんでいるあなた方こそいちばんに救われなければならない人たちです。」とおっしゃってくださった「阿弥陀ほとけさま」です。
世の中、自分の思い通りにならないと、言っては苦しむのが私たち「凡夫(ぼんぷ)」
ちょっと自分のこと、「私」のことを静かに考えてみましょう。この「私」はひとりで在(あ)るのではありません。いろんな縁によって、やっといま、ここに在(あ)るのだ、ひとさまのおかげ、ということがわかりますね。
ところが、生活に追われるとそれがわからなくなってしまいます。自分中心に世の中が回っていけば幸せ、自分の思うようにならないと、人が悪い、と思ってしまいます。実は、そういう思いが結局私ども自分自身を苦しめてしまいます。
老いること、病になること、死ぬこと、これらはイヤなことです。イヤなことですが避けて通ることはできません。それなのに、そこから目をそらしてそのときさえ楽しければよい、という生き方をしてしまうのです。結局はそのためにまたまた苦しんでしまいます。
このように、私どもは苦しみを抱えながら毎日を生きています。あたかも泥池の中を浮いたり沈んだりして、一向に泥から出られないのと似ていますね。先人はこういう私どものことを「凡夫(ぼんぷ)」と呼びました。
「凡夫(ぼんぷ)」を救いたい、という願いを建てて修行をされた法蔵菩薩さま
この「凡夫」を救わずにはおれない、そのために大きな「願い」を建てて「仏」となろう、と発心・修行をされた方がおられるのです。「法蔵(ほうぞう)」という菩薩さまです。この法蔵菩薩さまは「世にある凡夫をひとり残らず救わなかったら私は仏になってもしようがない」という願い・誓いを宣言して、いっしょうけんめい修行をされたのです。
この願い・誓いが48ある、というのはお聞きになったことがあると思いますが、その中でいちばん大事なのは第18番目です。第18番目の願は次のとおりです。
私がほとけになっても、苦しんでいる凡夫が私の国に生まれたいとねがって、そして私の名を呼んで、それでも私の国に生まれないようならば、私はほとけにはならない と。
修行のことを菩薩行(ぼさつぎょう)と申しますが、この修行の期間がまたとても長い。宇宙ができたとき、すでにこの48の願いを建てられた、と言えばいいでしょう。
そして、その長い菩薩(ぼさつ)行(ぎょう)を修して48の願い・誓いはことごとく完成をし、法蔵菩薩さまは「阿弥陀仏」になってくださったのです。「救い手としてのほとけさま」の誕生です。
「阿弥陀ほとけさま」となられたことは私ども「凡夫」が救わた証(あかし)
48の願いが完成しないと仏にはならない、と誓って修行をして下さった法蔵菩薩さまが阿弥陀ほとけさまになって下さった、と、ということは、その48の願いがことごとく完成した、ということです。つまり、私どもが、阿弥陀仏という仏さまの御名(みな)を呼べば阿弥陀さまのみ国に生まれる、という条件が完成した、ということになります。
つまり、私ども迷える凡夫は、私どもに力があるかないか、とは関係なく、ただ、ただ、法蔵さまの強い慈しみのお心で救われることができた、ということになります。このことをしっかりと両手で受け止めて、あらためて「ありがとうございます」と申してお名前を呼ぶ、その阿弥陀ほとけさまのことを、私どもは「完璧でかつ大慈悲による大いなるお力のほとけさま」と位置づけるのです。
生活に追われて、おのれのもの差しで世の中を渡るようになると、このことにはなかなか気がつきません。それで「ほとけさまなんて在るものか」と思ったりします。なんと浅はかなことでしょう。(それでもほとけさまは飽くことなく私どもを照らしてくださっているのですが・・・・・・。)
最後に九条(くじょう)武子(たけこ)さんの「ほとけさま」を詠(よ)んだ有名な歌を味わってみましょう。
いだかれて 在(あ)りとも知らず おろかにも われ反抗す 大いなるみ手(て)に
ではまた次回に。
■第26話:2010年4月
「ほとけさま」ってなあに? (3)
前回は「ほとけさまってなあに?(2)」というテーマで、救い手としての阿弥陀ほとけさまを解説させていただきました。 今回は実際この世に現れた「ほとけさま」をお話しします。そうです。仏教をはじめた「お釈迦さま」のことです。
ほとけさま=お釈迦(しゃか)さま
お釈迦さまは王子として出生
お釈迦さまはいまから2500年ほど前に北インド、ヒマラヤのふもとにある釈迦族の都カピラヴァスツというところでお生まれになりました。お父さまはその都の王様でシュッドーダナ王といい、善政をしいたので民衆からの信望はとても厚かった、といわれています。またお母さまはマーヤー妃といい、同じ釈迦族の王家の出でした。
この二人は子どもに恵まれず、20年の歳月の後、ある夜、白象がマーヤー妃の右脇から胎内に入る夢を見て懐妊した、といわれています。そしてお釈迦さまはマーヤー夫人の右脇からお生まれになり、そのまま七歩き、天と地とを指さして「天上天下唯我独尊」と言った、というのは有名なお話で、喜んだ父王はこの子を「シッダルタ」と名づけました。
母を失い人生の苦悩を深く考える幼少・青年期
お母さんのマーヤー妃は出産後、間もなくこの世を去り、太子は以後、妃の妹マハープラジャーパティーによって養育されます。
生まれてすぐに母と別れた太子は人生の苦悩を深く考える繊細な心の持ち主として幼少・青年期を過ごします。そんなシッダルタ王子の様子を見ていた父王はおおいに憂い、シッダルタ19歳のとき、ヤショーダラーと結婚をさせます。
しかしお釈迦さまの人生への苦悩はどんどん深まっていきます。
「宮廷の栄華も、すこやかなこの肉体も、人から喜ばれるこの若さも、結局このわたしにとって何であるのか。人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。」と。
29歳出家。苦行。35歳成道(じょうどう)
月日は流れ、シッダルタ太子29歳のとき子どもが生まれ(ラーフラと名づけられました)、これを機に独り宮廷を後にしました。つまり、太子は出家をして修行の道に入ります。この修行はほかのだれよりもきびしい決死の修行で「釈尊の苦行」と呼ばれました。しかし、6年間続けた修行も求めるものの得られない太子はこの苦行を打ち切ります。
お釈迦さまはこう言っておられます。
「琴の糸は強く張ると切れてしまう、緩(ゆる)くするとよい音は出ない。強くなく、緩くない中道(ちゅうどう)を歩むべきだ」と。
シッダルタ太子はナイランジャナー河に沐浴して身の汚れを洗い流し、スジャーターという娘の手から乳がゆを受けて健康を回復しました。太子は大きな菩提樹のもとにたどり着き、
「血も涸(か)れよ、肉も爛(ただ)れよ、骨も腐(くさ)れよ。さとりを得るまでは、わたしはこの座を立たないであろう。」と、命をかけて最後の冥想に入ります。
それから1週間、太子はおのれ自身との心の苦闘を経験し、遂に悟りを開き、「ブッダ/仏/ほとけ」となられました。「ブッダ」とは「悟りを得た人」という意味です。時に太子35歳の12月8日の朝のことでした。
後世、このできごとを「釈尊の成道(じょうどう)」と呼んでいます。
ブッダ(仏)、ほとけ、如来などとよばれるようになられたお釈迦さま
お釈迦さまは成道されると、苦行をともにした修行者に初めてのお説教をされます。それからラージャグリハ(王舎城)に入ってビンビサーラ王を教化し、ここを教化の根拠地として、さかんに教えを広められました。人びとは、ちょうど渇いた者が水を求めるように、飢えた者が食を求めるように、お釈迦さまのもとに集まり、教えを聞き、生きる喜びを得たのでした。
このようにしてお釈迦さまは80歳で亡くなられるまでの45年間、休むことなく伝道の旅を続けられました。
お釈迦さまは常に「自分の尺度で世界を見るのではなく、法(おしえ/真理)を尺度として、おのれの生き方を正しく調えて行きなさい。そのことが苦悩を離れる道である」とお解きになりました。
以後、「ブッダ」と成られたお釈迦さまのことを漢字で「仏」と充て、「人生の教師」としての「ほとけ」と崇めるようになったのです。
今回の「ほとけさま=お釈迦さま」のお話、すこしわかっていだけましたか。
3回シリーズで書きました《「ほとけさま」ってなぁに》はこれで終了。それではまた次回、このコーナーでお会いいたしましょう。
■第27話:2010年7月
「「阿弥陀さま」のこと。まとめ」
「阿弥陀さま」というとお仏壇の中央におられる金箔に塗られたほとけさまのこと、と思うでしょう。じつは「阿弥陀さま」とは仏像のことを言うのではありません。
今日は「阿弥陀さま」とは「大いなるいのち」のことで、いまここに在る「私のいのち」と不可分である、ということを申しあげましょう。
「「阿弥陀さま」ってなんで、阿弥陀さま、っていうの?
「阿弥陀さま」はインドの言葉で、「アミターユス」と「アミターバ」という二つの言葉がひとつになったものです。
日本語になおすと「アミターユス」は「永遠のいのち」、「アミターバ」は「永遠のひかり」です。「いのち」を時間、「ひかり」を空間、と言いかえると、「阿弥陀さま」は永遠の時間、永遠の空間のことです。
ここで肝心なのは、この永遠の時間と空間のまじわったところ、その交点こそが、この「私」の居場所なのです。私はこの永遠の時間と空間の二つの要素のことを「いのちの座標軸」と呼んでいます。
では、宇宙の中の、つまり「いのちの座標軸」の交点を「この私」が生きている、というのはどういうことでしょうか。
いのちの座標軸の詩を2つ。あじわってみましょう
ここで、その「いのちの座標軸」の詩を2つ、紹介してみます。
ひとつは坂村真民さん「真実」、もう一つは金子みすゞさんの「はちと神さま」です。
声を出して、呼吸とを調和させるように、ゆっくりと読んでみてください。
◎坂村真民さん 「真実」
年々歳々
五弁の花はいつも五弁で
ひとつの狂いもない
この不思議、この神秘
ここに宇宙の真実がある
私はこの真実を
わたしの信仰としよう
◎金子みすゞさん 「はちと神さま」
はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。
花は毎年、決まって同じ時期に、同じかたちで咲く、ひとつの狂いもない、そのことを坂村真民さんは驚いて見ているわけです。見ながら、これは「宇宙の真実」としか言いようがない、この「真実」こそがわたしの生きる寄る辺なのだ、と思うのです。
花だけではありません。この「わたし」もそうです。「わたし」がひとつの狂いもなく「いま、ここに、ある」ということも「宇宙の真実」を、つまり「永遠のいのち」を生きているのです。
金子みすヾさんの「はちと神さま」はすごいですね。「はち」は宇宙いっぱいに広がっていて、そしてやっぱり目の前の花の中にあるのです。小さなはちがそのまま大宇宙なのです。
これも「はち」の話だけではありません。この「わたし」もここにいながら、宇宙いっぱいに広がり、そしていっぱい広がった宇宙はそのまま、この「わたし」なんですねぇ。
これを「永遠の空間」または「永遠のひかり」と呼びましょう。
さて、この2つの詩を読んでどんな感じをお持ちになりましたか。
この「わたし」は「永遠のいのち」と「永遠のひかり」の交点、つまり「阿弥陀さま」を生きている、ということを少しは感じてもらえたでしょうか。
いのちの座標軸にわたしがある、と知ったら、その感激を「ありがとう!」と声に出して言う。
その声そのままが「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」っていうのはなんですか、という質問を戴くことがあります。
先ほどいいましたように、「いのちの座標軸にわたしがある」ということが「阿弥陀さま」を生きる、ということです。そのことに感激して「ありがとう!」と声に出し、手を合わせ、頭を下げます。800年以上も前の法然上人はその「ありがとう!」を「南無阿弥陀仏」と大きな声に出して言え、とおっしゃったのです。
法然上人の時代は、うち続く飢饉、内戦、地震、天災で、人々は生きる希望がなく、そして死ぬ希望さえもなかったのです。法然上人はそういう人々に「死ぬ希望」を与えた大宗教改革者だったのです。
法然上人は「死ぬに死にきれない、死ぬ希望さえもなかった人たち」に対して、「死ねば必ず阿弥陀さまが迎えに来られて、安楽の国に連れて行って下さいます。なぜならば、あなたのいのちは阿弥陀さまのいのちをそのまま生きているからです」と説いて回られたのです。
法然上人が見つめておられたのは、金箔に塗られた仏像としての阿弥陀仏ではなく、永遠のいのちとしての阿弥陀仏であったのです。このことを見定めることはとても重要なことです。
それではまた次回、このコーナーでお会いいたしましょう。
■第28話:2010年8月
「「介護」ということを考えてみました」
先日、地元の「介護者の会」というのに参加しました。 この会は、障がいを持った方や高齢者を介護する人たちの大変さを語ってもらい、聞く人たちがまた学ぶ会です。 そこで改めて考えたことを紹介いたします。
「介護」は特殊なことではありません
いま、介護は特殊なこと、介護は忌み嫌うもの、という風潮が強くありませんか。 介護は本来、人間が生きる上で、ごく当然のこと、いや、 助け合い、という点からいえばとても日常的なことなのです。 つまり、介護という具体的な行いを通して、介護をする人は、人への思いやりや堪忍する気持ちが出てきたり、 自我をコントロールしてみたり、あるとき人は介護されないと生きていけないのだ、という真実のようなものを感じたりします。 また介護をされる側は自分のふがいなさを思う反面、介助する人たちへの感謝の念や親しみ・敬意をもつことを学びます。
「逆縁福」ということ
私どもは、不幸というか、逆縁にあって幸福を感じること、そんなことがあります。その幸福のことを「逆縁福」と呼んでいます。 年をとって体が不自由になる、事故や病気で体が不自由になる、そういうときに介護を受け、介護する人、される人どうしが、むかいあって感謝し、励まし、合掌してありがとう、ということがあります。これが「しあわせ」ということだと思います。ですから「しあわせ」という字は「幸せ」ではなく、「仕合わせ」という字がぴったり来ますね。
いのちの座標軸の詩を2つ。あじわってみましょう。
ここにひとりの脳性マヒの男性を紹介します。この人は食事も排泄も自分ではできない寝たきりなのですが、すばらしい詩を書いたのでテレビで報道された人です。この人の詩に「生きててよかった」というのがあります。
目くばせをして母親に字を伝え、やっとの事で作り上げた詩です。介護されている男性と介護をしている母親をはじめ、多くの人々への感謝と喜びが胸に響く詩です。
生きててよかった
こんな重い病気になってよかった
お蔭で私は神様にお会いできた
そして生きる喜びを知った
こんな重い病気になってよかった
生きててよかった
介護をする人たちの心意気はあまりにもすばらしく、この男性は神さまにあった気がして、そして生きる喜びを知った、というのですね。
首から下が動かず、車いすで移動する画家詩人の星野富弘さんも同じことを言っておられます。
いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが嬉しかった
星野富弘さんにとって「いのちより大切なもの」とは世話をしてくれる人々、自分を許してくれている大いなる力です。星野さんはクリスチャンですから神さまでしょう。私は仏教徒ですから「仏さま」です。
ただ現実は、介護する人とされる人とのあいだにいつもそんな美しい心ばかりか、というとそうではありません。
時間もお金も体力もギリギリで介護をしている人にとっては、介護が過重になってストレスで自分をつぶしてしまうでしょう。いや自分だけでなく、相手を傷つけるこ
とだってあります。
ではどうするのか、というと、ひとつには、やはり「助っ人」を多く作ることです。もうひとつは、時間、お金、
そして体力を保証して、介護する人に余裕を持ってもらうことでしょう。今ある公的介護福祉サービスがそれです。
しかし、介護は大変ですが、それでも忘れてはならないのが、介護される人の人権です。相手の人権を尊重すること、これは介護しながらとてもむつかしいですが、これは人として基本だと思います。
この人さえいなかったら介護をせずにしあわせなのに、と思ってする介護は、どちらの人にとっても不幸です。
人と人との心の通った本来の介護は、人は本来みんなといっしょに助け合って生きるという「真実」が実感できる介護であるべきです。
介護をしておられる方、大変でしょう。しかし、介護はあなたにあたえられた立派な仕事なのです。ほとけさまのご加護を祈っています。
■第29話:2010年9月
「夕日を観(み)る-お彼岸の心」
日想観(にっそうかん) 静かに夕日を観(み)て極楽浄土を心の中に思い浮かべること
お彼岸は、春は春分の日、秋は秋分の日(この日のことを《中日》と言います)をはさんで、それぞれ一週間、年二回、昼と夜の長さが同じ時期に「いのちを考える行事」として定着してきました。
同時に夕日が真西に沈む日ですから、想像力ゆたかであった昔の人は、阿弥陀さまのおられる西方極楽浄土はあの夕日の向こうにある、と考え、自分の人生の来し方と、後生を願う思いを、赤く染まる西の世界に託したのですね。
このようにして、夕日を観て、極楽浄土を心の中に思い浮かべることを「日想観」と言います。
「極楽(ごくらく)浄土(じょうど)(彼岸(ひがん))」と「この世(此岸(しがん))」
お釈迦さまはお経の中で、「極楽はおたがい我(が)を出す必要もなく、あい争うことのない世界」とお示しになりました。つまり、あらゆる人、もの、木々、花、水、光、動物などなど、みんながおたがいに生き、生かしあっていることを喜んで生活をしている和合の世界です。
そう考えてみると、私どものいるこの世は「極楽」と正反対の世界です。この世は、おたがいが比べ合い、「オレがいちばん」と我(が)を出して人を押しのけ、憎しみ、あい争う世界です。
先人はこのように正反対の二つの世界を、ひとつは「彼岸(ひがん)」と呼び、もうひとつを「此岸(しがん)」と呼びました。いまのことばで言えば「彼岸」は「仕合わせの世界」、「此岸」は「苦しみの世界」といえるでしょう。
ゆっくり夕日を観(み)てみましょう
さきほど、「この世(此岸)」にありながら、夕日を観て「極楽浄土(彼岸)」を心の中に思い浮かべることを「日想観」と言う、と書きました。日想観とは、束の間でもいい、「苦しみの世界」にいる私たちが、ふだん忘れてしまっている「仕合わせの世界」に心を廻らせるために、西に沈む夕日を静かに観察してみなさい、ということです。いまの時代、夕日を観る、なんて悠長なことはできない、という人もいるでしょう。でも一度ゆっくり夕日を観察してみてください。
では、観察、想像してみることで何がわかるか。ひとつは彼岸、つまり「仕合わせの世界」の構造が少しわかってくる、ということです。もうひとつは此岸、つまり「苦しみの世界」にいる自分が何たるものかが、おぼろげにわかってくる、ということでしょう。
法然上人と比叡の山
わが法然上人は多感な少年時代に父親が殺されるのを目の当たりにします。「父上、仇をとります!」と叫びますが、父はそれを止めて「敵討ちはおたがい際限なく続く。仇を忘れて坊さんになれ」という遺言を少年に残して亡くなります。
実際、その重い遺言を心にきざんで、ひとり比叡山にのぼって坊さんになる修行をはじめます。それはそれは苦しい修行でしたが、残してきた母親のことを考えるとそれも耐えられたのでしょう。しかし、当時の比叡の山は巨大化していて、すでに世俗の延長と化していました。真の坊さんになろうとする法然上人と比叡の現実とのギャップは大きいものがありました。傷心した法然上人はわずか十八歳で同じ比叡山でも黒谷別所というところに隠遁して新たな修行をはじめます。この地は大原・八瀬寄りの谷合にあります。ここで、法然上人は阿弥陀さまの西方極楽を思慕する修行をはじめたのだと思います。この黒谷は、鬱蒼とした山の中ですが、ある地点だけ、西の方が開けていて、木立の間から西の方を観ることができます。そこでは京の町のはるか向こう、西山に沈む夕日を拝むことができます。
法然上人は苦しい修行をしながら、ときおりその地点から西に沈む夕日を観察し、極楽を思慕しながら、なお、亡き父のこと、ふるさとに残してきた母のことに思いをめぐらしたことと思います。法然上人は鬱蒼とした比叡の山中でも「日想観」をされたのです。
「苦しみの世界」に「仕合わせの世界」を戴くのがお彼岸
坂村真民作の詩に『手』というのがあります。
千も万もの手が
わたしをきびしく
打ちのめす日と
千も万もの手が
わたしをやわらかく
つつんでくれる日とがある
「苦しい世界」とは、この私が千も万もの手で打ちのめされる、ということでしょう。つまり「此岸」です。ところが、同時にその千も万もの手でこの苦しい私を抱き止めてくださる、というのも事実です。ああ、こんな私がいまやわらかく抱き止められている、という心の状態を「仕合わせの世界・極楽浄土」ということができるのだと思います。
夕日を静かに観察していると、そんな自分が見えてくるではありませんか。
実は「彼岸」の中に「此岸」があり、「此岸」の中に「彼岸」があるのです。このことを見つける努力をするのが、お彼岸行事の眼目です
それではまた次回に。
■第30話:2010年10月
ほとけさまの「願」とわたしたち
「希望」と「願」のちがい
今回は「願」ということを考えてみましょう。「願」、そうです「ねがい」のことです。 「願」に似たことばに「希望」があります。でもこの二つはちがいます。
・百分の一でも実現の可能性があるのは「希望」。実現すれば一段落。
・実現の可能性はゼロ。目標に向かって努力しつづけるのが「願」
というふうに「希望」と「願」とを区別しています。
相田みつをさんの「願を持ちましょう」
相田みつをさんの作品『ひとりしずか』の中に「願を持ちましょう」というのがあります。
「願」と「欲望」とは根本的に違います。
わずかなお賽銭を挙げて、それも年一回の初詣の時ぐらいで、
「家内安全。商売繁昌。お金がいっぱいできますように─」
なんてね。
こういうのは個人的・私的な欲望です。
それをわたしは否定しません。わたしも同じですから。
しかし、そういう私中心の欲望とはまったく別に、
○核戦争など絶対に起こりませんように─
○世の中がどうか平和でありますように─
○山や海や河、そして土、水、空気、自然が、人間の作る公害でこれ以上汚れませんように─
と、心から念じたとき、それを「願」といいます。
どんな小さな「願」でも心ひそかに持ちつづけていると、顔がよくなり、眼の色が深く澄んできます。
ひとりひとり自分に合った「願」を持ちましょう。
そして「一隅を照らす」人間になりたいものです。
菩薩さまは「願」を完成させてほとけさまとなります
「ほとけさま」とは「わたしは《ほとけ》となって、世の中を平安にしよう」と「願」を立て、その「願」を完成させるために、あらゆる艱難辛苦(かんなんしんく)に耐えて修行を続け、ついにその「願」を完成させた人のことです。この人のことを仏教では「菩薩(ぼさつ)」と呼び、その菩薩さまが立てる「願」を「菩薩の願」といいます。「菩薩の願」はふつう次の四つをいいます。
●人々の数は限りないけれど、ひとり残らず苦しみや迷いをもたない世の中にしたい
●欲望・怨みなどの心は尽きることはないけれど、そのようなものがない世の中にしたい
●みほとけの教えは際限がないけれど、そのみ教えと智慧をすべて理解・実践する世の中にしたい
●みほとけの示された実践の生活は遠大であるけれど、一歩一歩その道をみんなが歩む世の中にしたい
おわかりのとおり、この四つの項目は「希望」ではなく「願」なのです。
菩薩さまからほとけさまへの道筋は
女の人が赤ちゃんを身ごもって母になる道筋と同じです
たとえば、妊娠した女の人が、「この子が丈夫な子でありますように、こころゆたかな子になりますように」と「願」を立ててお腹の赤ちゃんの心配を第一にした生活をこころがけます。
そして赤ちゃんが生まれ、女の人からお母さんになります。この女の人がお母さんになってわが子を慈しんで育てる、というあり方は、願を立てた菩薩さまが修行をしてほとけさまになって私どもを観ていてくださるあり方と同じでしょ。
いろんな菩薩さまの「願」があるなか、阿弥陀さまの「願」は「本願」と呼ばれます。
私どもはあちこちのお寺やいろんなところで、阿弥陀さま、不動さま、大日如来さま、毘沙門さま、お地蔵さま、など、ほとけさまを拝みます。このほとけさまがたは、みんな、「菩薩の願」を立て、そして修行し、それが完成したので「仏」さまになられたのです。
その菩薩さまの「願」の中でも、阿弥陀さまの「願」は全然違うのです。「すべての人が、いま生きていることをよろこび、『ほとけさま、ありがとう』とわたしの名前をよんで、それでなお幸せになれないようならば、私はほとけにはならない」という「願」です。ここでの「私の名前を呼んで」という名前とは「南無阿弥陀仏」です。これはいままでのほとけさまの「願」にはなく、この阿弥陀さまの「願」をとくべつに「本願」と呼んでいます。
ふつう、幸せになるためには努力を惜しまず精進するのがあたりまえなのですが、阿弥陀さまは「努力しようとしてもできない人がいる。ほとけとしか呼びようのないすべてのいのちに生かされている自分を知って、そのまんまの私でいい、と知ったとき、その人は幸せを得る」とお示しになりました。
私どもは「阿弥陀さまのいのち」を生きています
ここのところは重要です。なぜならば、あの法然上人は、いろんなほとけさまの願をご覧になって、この阿弥陀さまの「本願」のみがすべての人が幸せになる唯一無二の「願」である、と着目されたからです。
法然上人はおっしゃいます。「どんな人も、かけがえのない永遠のいのちを生きている。だからひとのいのちを比べることはできない。どんな人でも平等に永遠のいのち。つまり阿弥陀さまのいのちを戴いて生きている」と。
「阿弥陀さまのいのち」とは、この私を育ててくれているすべての存在、いのちを総括してそう呼ぶのです。
水も太陽も、風も鳥も美しい花も、あなたも彼も、彼女もみんなみんな私を育ててくれている「阿弥陀さまのいのち」です。この「阿弥陀さまのいのち」がこの私を支えてくれているのですから、世の中、阿弥陀さまのご本願でないものは、ひとつとしてありません。
法然上人はそう考えられたのでした。
その結果、法然上人の南無阿弥陀仏信仰は、老若男女、尊卑、貧富を問わず、燎原の火のように、あっという間に日本中に広がったのでした。
ほとけさまの「願」の中に、喜んで生きてまいりたいものです。