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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。
■第180話:2023年5月
和尚さん、住職をやめて何をするんですか
私ごとで失礼いたします。私は今般、恵光寺の住職を交替し、お寺に関しては隠居の身となりました。そんなこともあって、先日ある方から「和尚さん、住職を交替して、これから先、どうするんですか?」という質問を戴きました。
う~む。どうするか?、次は何をするか?
私は住職という役職は外れましたが、岸野亮淳、坊さんであることをやめたわけではありません。これから先も坊さんとして生きていきます。もっと言えば、いまの世の中にあって、坊さんとして、しなければならないことをしていきたい、と思っています。
日本の仏教に「曹洞宗(そうとうしゅう)」という宗派があります。坐禅に打ち込む宗派で、福井県の山中にある永平寺が本山。この「曹洞宗」を開いた方は「道元(どうげん)」というお坊さんです。
道元さんは若いとき、中国にわたって天童山というところでたくさんの人の中に交じって勉強をします。
ある暑い夏の日のこと、道元さんは、年老いたお坊さんが炎天下で、椎茸(しいたけ)を日に干しているのを見ます。このお坊さんは典座(てんぞ)といって、たくさんの修行僧の食事を作る役目のお坊さんです。
よく見てみるとその典座のお坊さん、年をとっていて杖にすがってやっと身を保っている様子、しかも頭には笠もかぶらず、額から汗を落としながら、背は弓のように曲がり、腰をかがめて一生懸命椎茸を干し続けています。見るからに辛そうです。
そこで道元さんはその典座のお坊さんを気の毒に思い、年齢を訊きます。すると六十八歳とのこと。道元さんは思わず、
「なぜ、もっと若い坊さんや寺男にこの仕事をさせないのですか。」
と尋ねました。するとその老いたお坊さんは
「他は是れ吾にあらず」
と答えたのです。「他の人にしてもらったのでは私がしたことにならない」と。
道元さんはこの答えに衝撃を受けました。日本に戻って書物に遺しておられます。
これですね。世の中、すべきことはいっぱいあるのですが、今、私がほんとうにしなければならないものは、今すべきだ、時は待ってくれない、という姿勢です。代わりに他の人がやったのでは私の人生を生きることにはならないのです。
あれをして、これをして、それから次にあれもして、という課題が私どもには求められています。しかし、一つのことに集中してそれに取り組む、という生き方は自分を自分たらしめることにつながります。一つの仕事に全身全霊を込めて取り組む、という生き方の中に、宇宙の法則の中に生かされている自分に出逢える、と言ってもいいでしょう。
そんな坊さんになることを願って、毎日の勤行や掃除、草引きを続けていくつもりです。そして、時にはお祖師さま方の足跡を訪ねてお寺や聖地を巡ってみたい、と思っています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌
■第179話:2023年4月
私は凡夫(ぼんぷ)
日常、わたしどもは、あの人の言っていることは正しいのだろうか、自分の言うことを聞いてくれない、など、人間関係のなかで心の悩み、ストレスが次から次へと出てきます。そして、自分は正しいのに、と人を悪く思い、その結果、自分も悩む、ということになります。
これは今に始まったことではなく、古来からの人生の課題でありました。とくに、現代のように、自我を主張する場が増えてきた社会ではそのストレスは大きいものがあります。
そこで、私とはどういうものかを考えるために、日本の浄土教の教えである「凡夫観」を紹介いたしましょう。
激動の平安末期から鎌倉期に出られた法然上人は、中国(当時の唐の時代)で発展した浄土仏教の中で示される「凡夫観」を基に念仏の教えを展開されました。
法然上人は、仏さまの教え、今でいう「仏教」ですが、それは国の安泰を祈願するものではなく、また知識や権力を蓄えて立身出世するためのものではない、人が生きると必ず出てくる悩みや苦しみから解放される教えこそ、真の仏教だ、と考えられたのです。
そもそも、人はなぜ悩み、苦しむか、というと、人は「我(が)」を持っているから、というのが仏教の答えです。「我」は自分を中心に考える心のことで、それはまず「欲」に出てきます。「欲」がかなうと気持ちいいですから、ひとつ「欲」がかなうと次の欲が出てきて「欲」は際限なく大きくなります。逆に、その「欲」がかなわなくなったとき、どうなるかというと「そんなずではなかった」「だれだれのせいでこんなになったのだ」と「瞋(いかり)」が出てきます。「欲」がかなわなくなればなるほど「瞋」は大きくなります。これが「我」の姿、生きる悩み、苦しみの基となるのです。
それじゃぁ、この「我」を横に置く、つまり、「欲」や「瞋」の心をなくせばいい、ということになります。しかし、生きていくうえでこれらをなくすことは不可能です。
この「欲」や「瞋」の心をなくせない「自分」のことを仏教では「凡夫(ぼんぷ)」といいますが、お祖師がたは「欲」や「瞋」の心をなくせない「自分」、つまり「凡夫」であることに気づいたとき、その人は阿弥陀さまに救われる、つまり安心の心を持つことができる、とお示しになりました。なぜなら、阿弥陀さまのこの世にお出ましになった理由は「凡夫の救済」にあったからです。
このように、阿弥陀さまの救済の対象は私ども「凡夫」である、という思い、信心を持つことが、いま大事なわけです。
ではまた次回に。
合掌
■第178話:2023年3月
相手を悪く思うことが怨み心の元となり、そのうち争い、戦争となる
ロシアのウクライナ侵攻から一年が経ちました。戦争が長引くと両国とも被害は大きくなりますし、世界的に、石油やガス、穀物の輸出入が制限され、各国で食料や燃料が高騰、行き届かなくなったりしてしまいます。
こういう経済的な状況を安定させるために、また他国の緊張を強いる動きに対してわが国は「軍拡をして世界の平和を守る」という言いまわしで、本来、戦争をしない日本なのに、戦争のできる国に変えようとしています。
ここでこの「軍拡をして世界の平和を守る」という言いまわし、おかしいと思いませんか。同類の言い回しに「正義の戦争」「平和実現のための戦争」「戦争防止のための戦争」などがあります。
軍拡、つまり戦争ができて得られる「平和」ってほんとうの平和ではありません。
ほんとうの平和は、戦争のない世界から生まれます。
そもそも人の争いの元(はじめ)は何でしょうか。争いは怨み心から起こります。その怨み心が高じて暴力となり、最終は武力で攻撃をするということになります。
この人の怨み心について、お釈迦さまは、
彼は私をののしった、私を打った、私を打ち破った、私のものを奪った、
このような考えを持つものには、怨みは決してやまない。(『法句経3番』)
そして、こうお示しになります。
彼は私をののしった、私を打った、私を打ち破った、私のものを奪った、
このような考えを持たぬものには、怨はやむ。(『法句経4番』)
どんな状況のなかであっても、まずは『怨み心をなくす』ことが平和の大前提だとおっしゃっています。
一人一人が、自分の生き方と国のあり方についてお釈迦さまの教えを肝に銘じたいと思います。
その人に対して怨み心を持たないということがそのまま、武力に訴えたりすることがない生き方につながります。その結果、戦争というのが起こらない、とみてまいりましょう。
軍拡で平和が来る、なんて絶対ありません。怨み心を助長するだけです。
ではまた次回に。
合掌
■第177話:2023年2月
武器を捨て 数珠をもとう
多くの寺院には門前に掲示板があり、仏教の教えをひろげています。
これについて、仏教伝道協会という法人が2018年に「輝け!お寺の掲示板大賞」というのを設立しましたが、今回第5回目の「2022」を募集したところ、全国からツイッターやインスタグラムを通して過去最多の4093作品が寄せられました。みなさん、お寺の掲示板をよく読んでいるのですね。
そして今回、その4000余点から大賞に選ばれたのが、標題に掲げた《武器を捨て 数珠を持とう》です。
作者は京都市のお寺の小学5年生の小僧さん。
お寺は京都市下京区、東寺さんの近くにある浄土宗の龍岸寺さん。そのお寺の池口龍法住職のご長男・縁生(えんしょう)さんの作品です。
記事になった新聞によると、本人は「僕には(入賞は)無理やなあと思っていた。大賞と聞いて戸惑った」と話した、とあります。
数珠は仏さまを拝むときの法具です。数珠は「念珠(ねんじゅ)」ともいいますから、もとは念仏を唱える時にその数を数えるために使うものでした。
しかし、いまの時代、数珠の《効用》についてはいろいろと言われています。
たとえば、
● 数珠のたくさんの珠はいろんな人いのちのつながりをあらわすもの
● 数珠の珠は煩悩を表し、合掌して繰ることによってその煩悩が消える
● 数珠は繰ることによって煩悩を祓ってくれる仏さまの役目をしている
などです。
数珠の《効用》が何であるかは断言はできませんが、実際、数珠をもって拝むと、数珠なしで拝むのとちがって、拝んでいる自分がここにいる、という自覚が強くなって、心にケジメがつきます。
数珠について、私は小さいとき、ある老和尚さんからこんなお話を聞きましたので紹介します。
数珠をもっているというのはな、仏さまがそばにいてくださっている、ということなんじゃ。
もし相手に腹が立って、げんこつでも食らわせてやろうか、と手を振り上げたとき、その手に数珠かあると、あっ、これは殴ったりしてはならんぞ、と仏さまが言うておられる、という気持ちになるんじゃ。
そうじゃから、数珠というのは大事なものじゃ。
と。
今回の掲示ことばを見て、私は、沖縄の歌手・喜納庄吉さんがかつて「すべての武器を楽器に」と歌って反戦を訴えたことを思い起こします。
くれぐれも不殺生戒を標榜する仏教者として武器を持つことを許す国にはしたくありません。
ではまた次回に。
合掌
■第176話:2023年1月
衆縁和合
新年おめでとうございます。
年頭に「衆縁和合(しゅうえんわごう)」という言葉を書きました。これは、世の中のありとあらゆるものは、おたがいにつながり合っている、そんな中に、今日の私がある、ということです。
太陽があり、水があり、空気があり、土があり、山があり、海や川があり、木があり、草花が咲き、虫がいて、動物がいて、人がいて、・・・・、というこの世界。それらがかかわりあっているからお互いそれぞれが存在できているのです。そのうちの一つが今日ここにいる私であります。
柴田トヨさんという人が「くじけないで」という詩を書きました。生きるということはたいへんなこと、生きる力がなくなるときがあるけれど、それでも「くじけないで」と言い続けた柴田トヨさん。
彼女はその中で
ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
平等に見られるのよ
と言っています。
わたしたちにはつらいこと、不幸なことがあると、そのことで気がめいってしまいます。そんな時でも柴田さんは「陽射しやそよ風」が私をつつんでくれている、というのです。つまり、「陽射しやそよ風」に代表される、あらゆる天地の営みの中に、居させていただいているのです。
そのことを喜ぶことが、しあわせの生き方だ、というのです。
そういう風に見える柴田さんはすばらしい、と思います。
さぁ、今日から、少し考え方を深めて、いろんなものの中をこの私は生かせてもらっている、と気づく、そのような姿勢で過ごしてまいりましょう。
ではまた次回に。
合掌
■第175話:2022年12月
比叡山の最澄さん(伝教大師)の「受戒」(2)
前回の《「受戒」(1)》の続きです。
奈良時代の仏教は鎮護国家の仏教で、お坊さんは今でいう国家公務員として位置づけられていました。その後、最澄さん(のちの伝教大師 767-822)が出られ、仏教は人々を苦しみから解放させるすばらしいもので、そのためには、いいお坊さんを育てなければならない、と考えました。そして、それまで奈良で行なわれていたお坊さんになるための「受戒」制度を、人々のための仏教を伝えるお坊さんを育てる新しい「受戒」制度に変革させました。
この最澄さんの新しい「受戒」制度は、比叡山や天台宗はもちろん、比叡山で修行した法然上人を通して、現代の私ども浄土宗もこの「受戒」を受け継いでいるのです。
では、この最澄さんの新しい画期的な「受戒」制度についてみてみましょう。
従来の奈良仏教の「受戒」は、男僧だと「二百五十戒」、尼僧なら「三百四十八戒」という膨大な数の戒を「受戒」しなければなりませんでした。それも、形式的に受戒していたのです。しかし最澄さんはその受戒する戒をぐんと減らし、最も基本的な『十重四十八軽戒』(十の重い戒、四十八の軽い戒。合計五十八戒)に絞り込み、だれでも受戒ができるようにしました。
最澄さんの制定した『十重四十八軽戒』の「受戒」は次の三つが基本である、と示しておられます。
1 止悪(しあく) 戒を守り、悪いことはしない
2 修善(しゅぜん) 進んで善いことを行う
3 利他(りた) 自分以外の人やもののために心と行いを振り向ける
字づらだけを見てみると、あたりまえのこと、簡単なことのように思えます。しかし、よくよく考えてみると、これは仏教者として生きる基本姿勢である、とつくづく思います。この三つを仏教では「三聚浄戒(さんじゅじょうかい)」とよんでいます。
ちょっと解説を入れてみます。
1 「止悪」。たとえば、自分の物差しで行動をしてまわりに迷惑をかけている、そういうことはしないでいきましょう、ということです。これは自分の「性(さが)をとことん見つめていくと、自分は悪をする人間であるなぁ、と気づいて、悪い行いは慎もうとする心をいっています。
2 「修善」。これはたとえば、自分のすべき仕事は天から与えられたものと戴いてコツコツと継続して行う、ということでしょうか。①の「悪」を裏返しての行動でもあります。
3 「利他」。自分以外のあらゆるものに生かされていることに気づけば、自分を二の次にして、ほかの人や物に感謝し、その思いを行動に表す、という姿勢です。
最澄さんが残してくださった「三聚浄戒(止悪・修善・利他)」。発音は漢語でむつかしいですが、実は人間の生き方の根本を言い当てています。私どもがこの「三聚浄戒」を生活習慣として生きていけば、私どもの日暮らしは喜び・幸せの生き方になる、ということであります。
ではまた次回に。
合掌
■第174話:2022年11月
宮沢賢治の詩から「誓願」を考える
宮澤賢治の作品に「雨ニモマケズ」という詩があります。多くの人はこの詩を聞いたり、朗読したことがあると思います。
少し長いかもしれませんが、全文を紹介します。
カタカナで書かれていますので、声を出して読むと、ゆっくり口調になり、その分、言葉のリズムを感じることができると思います。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
賢治は37歳という若さでなくなりますが、この詩は彼の死後に発見されました。ですから余計にこの詩の重さが伝わってきます。
賢治はこれからの人生をこのように生きたい、という思いをこの「雨ニモマケズ」という詩に書きました。もっと言えばこの詩は賢治の「誓願」です。
「誓願」は「希望」とはちがいます。「希望」は叶う、かなわない、という割合はあっても実現はするのです。それに対して「誓願」は実現という結果を目標とするのではなく、その願いの基に今日を生きていく姿勢を言います。
賢治のこの詩でいえば「ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」のところです。彼は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ(自分を勘定に入れずに)」いると、つらい生活をしている人に寄り添えるのだ、と言っています。ここのところが賢治の「誓願」なのです。
私どもにはそれはなかなかできることではありません。私どもは「まずは、自分を勘定に入れて」事を行ってしまうからです。「自分を勘定に入れて」というのは「自分の我(が)を物差しにする」ことです。
「誓願」は自分の我を捨てるところから始まります。
阿弥陀さまは私どものことを思って「悩み苦しむあなたがたを救おう」という誓願を立てて、今の今もご修行くださっています。
賢治の詩を読みながら阿弥陀さまの誓願に目覚めたいと改めて思います。
ではまた次回に。
合掌
■第173話:2022年10月
比叡山の最澄さん(伝教大師)の「受戒」 (1)
お彼岸が終わった一日、私・亮淳は一念発起して比叡山に登りました。一念発起というのは、車で行くのでもなく、ケーブルカーを利用するのでもなく、修学院から山道を歩いて比叡山に登ろう、と決めてのことでした。
朝9時に修学院の白川通り音羽川からスタート。音羽川に沿って修学院離宮の横を比叡の山を仰ぎながら歩いていきます。あるところから急に山に入り、登り道は狭く急坂になります。この道こそ「雲母坂」と呼ばれ、かつては京の都と比叡山を結ぶ由緒ある大事なコースです。
この夏の大雨で山道は荒れている様子。流れた石が重なっていたり、木が横たわっていたりで、自然の厳しさを感じます。途中、ところどころで木々の間を通して京都の町を見ることができます。そうして1時間半ほどすると八瀬からのケーブルカーの終点「ケーブル比叡駅」に出て一息つきます。あとは比叡山延暦寺を目指して歩きますが、この道は山を管理する車も通る道幅があり、歩きやすくなります。そうして1時間ほど歩いて山の頂上の延暦寺に近づき、最初に西塔の「戒壇院」に出ます。実はこの戒壇院こそ、私のお参りする目的のお堂なのです。静寂の中に凛々しく建っている戒壇院は、実に威厳があります。
この比叡山を仏教の新しい根本道場にした方は最澄さん。のちに伝教大師と呼ばれる偉大なお祖師さまです。いまから1200年ほど前のことです。
当時、仏教は鎮護国家を祈る国家の宗教として都のあった奈良を中心に広がっていました。僧侶は今でいう国家公務員で、国家行事としての儀式を執り行うことが役目でした。ですから国家の資格試験をパスした人が僧侶になりました。とくに僧侶としての資格条件は「戒律」をちゃんと受け継いで守っているか、ということです。
この戒律を受けて坊さんになる制度を「受戒」と言います。
当時はこの「受戒」を正式に伝える僧は日本には多くありませんでした。時の天皇は「受戒」のできるお坊さんを中国から招聘しなければなりませんでした。その中国僧の中で特に有名なお坊さんはみなさんご存知の「鑑真和尚」です。何べんも海洋渡航に失敗し、最後はそのために盲目になりますが、それでも日本の国家のため、といって日本の土を踏み、奈良でたくさんの受戒をし、新しい僧侶を育てました。おかげで 日本は奈良を中心に世界に誇る仏教国家になりました。
そして最澄さん、つまり伝教大師の登場です。
最澄さんは奈良の仏教の制度に従って公けのお坊さんになりましたが、比叡の山に草庵を建て、次の時代の僧を育てるために、奈良仏教の戒律による「受戒」ではなく、新しい「受戒」をして広く真の僧侶を育てて、苦しむ人々の中に仏教を広げていくべきだ、と考えたのです。
最澄さんはいろいろと研究、実践して新しい「受戒」制度を考案、その実施を朝廷に求め、遂に勅許を得ることができました。その新しい授戒制度を実施する拠点が、先ほど紹介した比叡山の西塔に建てられた「戒壇院」なのです。新しい僧侶づくりを考え、新しい仏教を目指す、その拠点が奈良ではなく、この比叡山にできたのです。
折しも都は奈良から京都に遷ります。新しい世の仏教、とくに鎮護国家仏教を超えて、人々のための、人々による仏教をめざす僧たちが集まってきて、この「戒壇院」で受戒を受けます。その中で著名なお坊さんの名をあげると、栄西禅師、法然上人、道元禅師、親鸞聖人、日蓮聖人……。日本仏教の祖師がたがここで受戒をして修行をし、そして新しい宗派を始めたのです。最澄さんの比叡山が「日本仏教の母山」と呼ばれるわけはここに在るのです。
さて、この新しい最澄さんの画期的な「受戒」制度の内容については次回にお話いたします。
また次回に。
合掌
■第172話:2022年9月
良寛さんの漢詩から学びます
良寛さん、というお坊さん、ご存知ですか。このごろの若い人の中には「良寛さん? 知りません」という応えが返ってきてちょっと戸惑ってしまいます。みなさんは「良寛さん」の名前、聞いたことがありますか。
良寛さんは今から200年ほど前、つまり江戸時代後期のお坊さんです。新潟県出雲崎という日本海に面した町の名主の長男として生まれますが、少年時代から父親の仕事を見ているうちに、それが自分には合わない、と出家してしまいます。22歳の時に岡山の圓通寺に入り、厳しい修行を経て、その後全国を行脚して40歳にふるさとに帰ってきます。この間、もとより卓越した才能と鋭い感性に加え、仏法の修行はもちろん、書、漢詩、和歌の勉強は相当なものがあったようです。しかし、故郷に帰っても我が家に帰ることはなく、小さな庵などに住んで、托鉢をして質素な生活するお坊さんとして生涯を過ごします。里に下りて托鉢をしながら村人と話をしたり、子どもたちと遊んで過ごすことはあっても法事も葬式もしない浮浪者のようなお坊さんです。
しかし世の中を見る目は鋭く、権力に媚びることなく、とくに、これという修行もせず、布施を頼りにのうのうと生きている仏教寺院の僧侶たちとは一線を置いていました(ここの部分は、私にとっても耳の痛いところです)。常に、とらわれない心でわが道を行く、というその飄々とした生き方は人々から絶大な信頼を受けました。
良寛さん、という方のお人柄をおしらせしたくって、その紹介が長くなってしまいましたが、ここで良寛さんの漢詩をひとつ、紹介します。
花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ
花 開くとき 蝶来たり。 蝶 来たるとき 花開く
吾(われ)もまた 人を知らず 人もまた 吾を知らず
知らず 帝則(ていそく)に従う。
意味は
花は蝶を招こうとして咲いているのではないが、蝶は花のところにやってくる
蝶は花はどこか、と探すのだけど結果としてちゃんと花のところにやってくる
花が咲くと蝶が飛んでくるし、蝶が飛んでくる時には花は咲いている
この自分も、他の人々のことは知らないし 他の人々もこの自分のことを特別知っているわけでもない。
つまり、たがいに知らないながら、天地の道理に従ってそのような組み合わせができるのだ、
ということでしょう。
この「帝則」は、自然の摂理、宇宙の法、大いなる自然の仕組み、見えない自然のつながり、と言い換えることができます。
私どもは、他の人や物に対して我を張って「私が、私が」といって自分の物差しを振り回して、その結果、自分を苦しめてしまいます。いちばん抜けている視座は宇宙の法則である「帝則」にしたがって、知らないうちに相手があって私が在り、私が在って相手がある、われわれはおたがいつながりあっている、ということです。
ぜひ、この漢詩を口ずさんでみてください。
また次回に。
合掌
■第171話:2022年8月
「栗原貞子さんの詩から」
8月1日にニューヨークで開催されるNPT(核拡散防止条約)再検討会議、唯一の被爆国として核兵器禁止条約に参加することを願っています。
私ども仏教者は公然と殺戮を認める戦争そのものに反対です。とくに核兵器については使用してしまうと、そのあとは人類の滅亡、地球の滅亡につながりますから認めることはできません。
今月8月は77年前のヒロシマ・ナガサキ原爆投下、敗戦の月であり、またお盆という亡き人をしのぶ行事の月です。
あらためてこの月のお話としてヒロシマで被爆された栗原貞子さん(1913‐2005)の詩「生ましめんかな」を紹介します。
8月6日原爆投下。爆心地から約1・6キロの広島貯金支局の地下室には原爆投下で傷を負った人たちが避難していました。原爆投下から2日目の夜、一人の妊婦が産気づきました。真っ暗な中で、そのことを知った重傷の助産師が赤ちゃんを取り上げてくれたのでした。
その壮絶な出産のシーンを栗原貞子さんは「生ましめんかな」という詩にして翌46年に発表しました。この詩は世界中で訳され、原爆の非人道性を訴えた最も知られる原爆詩の一つとなりました。
この詩の赤ちゃんは小嶋和子さんという方で、「私の元気な姿が世界平和に向けて役立つならうれしい。コロナなんかに負けてられない」とおっしゃっています。
いっしょに栗原貞子さんの詩を読ませていただきましょう。
『生ましめんかな』 栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
ではまた次回に。
合掌
■第170話:2022年7月
戦争が拡大しないようにと念じます
この6月の下旬には梅雨が明け、何と梅雨の最短記録となりました。そして猛暑の連続。地震。気候変動はだんだん身近になってきました。コロナ禍も以前よりも感染が少なくなってきた、というので経済復活を期待して人の移動もゆるやかになりましたが、感染状況は下どまり。心の晴れない日々が続きます。
そしてロシアとウクライナの戦争。四カ月にもなるのに停戦にはなりません。毎日報道される戦火のようすを見るにつけ、犠牲になった人はどんな気持ちだったのか、残された家族の悲嘆はいかばかりか、子どもや妊娠女性が殺されたなどのニュースに言葉を失います。一刻も早く停戦になるよう合掌しております。
いま、ロシアの侵攻を非として経済・軍事の面でEUやNATOなどの会議が行われるようになり、武器供給や支援金の増額が正当化されています。第三次世界大戦の前ぶれか、とも思ってしまいます。人道救援は必要ですが、殺戮兵器の供与や軍事に協力することは避けねばなりません。そもそも武力を以て相手を殺すということは仏教のいちばん忌み嫌う「不殺生戒」の自他ともにかかわる破戒行動です。
第二次世界大戦の敗戦でわが日本国民は平和憲法をつくり、戦争を放棄する国になりました。国どうしの対立は軍事ではなく、話し合いという平和な手段で解決する、という姿勢をとってきました。
双方の立場・言い分はありますが、平和を祈念して戦争を収束させることに智恵を出すことが求められます。いま日本ではこの機に軍備を持てるようにしようという世論が起こっていますが、わたしども仏教者は「不殺生戒」を訴え、軍備を広げることには反対です。
今度の参議院選挙もそういうことを考えて投票をしたいと思います。
以前にも紹介しましたお釈迦さまの『法句経』のことば、再度ここで紹介します。
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。
(『法句経』 129偈)
すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。
己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 (『法句経』 130偈)
お釈迦さまは、「己が身にひきくらべて」とおっしゃっています。もし私がその現場の人であったら、と想像をたくましくして考えてみましょう。
ではまた次回に。
合掌
■第169話:2022年6月
自分を二の次にして目の前の人や物に心を寄せる良寛さん
良寛さんは(1758⊷1831)は江戸時代後期、越後(今の新潟県)におられたお坊さん。しかし良寛さんは寺に住まず、法事や葬式はせず、庵を借りて一人で住んで托鉢をしながら、書や歌を愛し、子どもたちといっしょに遊んだ、というお坊さんです。
この良寛さん、我を持たないことが幸せへの道、という生き方をした人で、自分のまわりの人や物がどう考えているか、ということを考えてしまう人でした。困った人がいると放っておけない人柄であり、もの言わない月や雲、花にも心を通わせる人でした。
たとえばこんな逸話が残っています。
1 物乞いが良寛さんのところに来ました。無一文の良寛さんにはその人にあげるものがなにひとつないので「この人にご飯を食べさせてやってくれ」と手紙を書いて、その物乞いに渡しました。物乞いはその手紙をもって別の家に行って物乞いをして食べるものにありつけた、というお話
2 子どもたちと遊ぶのが好きな良寛さん。あるとき、子どもたちと隠れんぼをしていた良寛さん。良寛さんが鬼になっている間に、日も暮れてきたのでしょう、子どもたちはそれぞれ帰ってしまいました。そのうち野良仕事を終えて通った村人が、木の下でしゃがんでいる良寛さんを見つけ、「あれっ―!、良寛さん、こんなところで何してるだ?」と尋ねました。すると良寛さんは小声で「しっ! いま子どもたちとかくれんぼをしているところじゃ。大きな声を出せば子どもに見つかるではないか」といったお話
3 ある月夜の晩のこと。人里離れた粗末な良寛さんの庵に盗人がやってきました。でも盗っていくようなものは何もありません。同情をした良寛さん、盗人に気づかれないよう、寝返りを打って布団から転がり出て、寝たふりをしていました。するとその盗人はその布団を盗って立ち去りました。
いかがですか。
とくに③については、盗人に布団をとられた後、良寛さんが
「盗人に とり残されし 窓の月」と詠んでいるのがすごいです。
ふつうなら「盗人も とり残したり 窓の月」と詠みそうなものですが、良寛さんは盗人の立場ではなく、月の立場にたって詠んでいるのです。盗人にも相手にされなかったお月さんを気の毒、と思ったのですね。
自分を二の次にして目の前の人や物に心を寄せる良寛さん、その姿勢に真似をしよう、と心がけている私であります。
それでまた次回に。
合掌
■第168話:2022年5月
自然の摂理は、何も隠されているわけではない
先月、知床半島で観光船が遭難、といういたましい大事故が発生しました。
朝日新聞4月25日付けの「天声人語」欄でその事件について述べていますが、その中で、作家の立松和平さん(1947-2010)の文章を引いています。
立松さんは「海のいのち」「川のいのち」「田んぼのいのち」など、自然界の「いのち」の偉大なありかたについて子どもたちにも全身全霊で訴えている人です。
新聞記事に紹介された立松さんの文章です。
「北海道・知床の海では、春に流氷がとけだす。それが全ての生態系の基礎になる。流氷からは植物プランクトンが放出される。それを栄養にした動物プランクトンが、今度はサケやマスのエサとなる。魚たちはやがて知床の川に戻り、ヒグマたちの糧となる。その食べ残しにありつくのが、キツネやオジロワシなどだ」と。
これと同じことがお釈迦さまの幼少期の話として残っています。
お釈迦さまは出家する前は王子でした。あるとき、国の収穫祭が行われ、王子は多くの人といっしょに畑にでます。そこで農夫が鍬で土を耕すと、土の中から小虫が出てくる、それを小鳥が空から飛んで降りてきてついばむ、次にその小鳥を大きな鳥が狙って食べる、というシーンに王子は遭遇します。王子はこのことを見てふさぎ込んで物思いに沈む、というお話です。このお話が後にお釈迦さまになる一因として伝わっています。
自然界のものは、そのそれぞれのいのちが、たがいにつながりあって存在していて、「この私もすべてのつながるいのちの中を生きている」という事実に心を向けよう、ということです。言い換えれば「いのちの連続性を生きる」という「自然の摂理」に心を向けよう、ということです。
そして立松さんは「海や森に流れる自然の摂理は、何も隠されているわけではない」といいます。自然の摂理はつねにオープンであるけれど、私どもはこの見方がなかなかできないのですね。「真理はいつも私のそばにある」という柳宗悦さんのことばも同じことだと思います。
今回の遭難犠牲者に哀悼の意をこめて十念を申します。
合掌
■第167話:2022年4月
「うばい合う」と「わけ合う」
コロナで自粛生活をしている最中、ウクライナにロシアが侵攻、戦争になった、というつらいニュースが毎日続きます。
軍事施設だけではなく、病院や学校、公共建物にも爆撃が加えられ、たくさんの民間人が犠牲になっています。それもこどもや妊婦、病人が狙われた、というニュースを聞くといたたまらない思いです。
どうして人間どうし、こんなに恐ろしいことをしてしまえるのでしょうか。
ここで、書の詩人、いのちの詩人と称される相田みつをさんの「わけ合えば」という詩を紹介いたします。
聞いたことがある、という方も多いと思います。いまの世の中を考えるとき、この詩は私たちの生き方の軌道修正をしてくれる詩です。
声に出して読んでみてください。
うばい合えば足らぬ
わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい
わけ合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ
わけ合えばよろこび
うばい合えば不満
わけ合えば感謝
うばい合えば戦争
わけ合えば平和
うばい合えば地獄
わけ合えば極楽
「うばい合う」のは自分の欲得だけで生きる生き方です。それに対して「わけ合う」のは相手のことを考える生き方です。そして「わけ合う」ことができるとそれは生きる喜びになるのです。
戦争をする人たちにはそれぞれ理由を言いますが、結局は自分が大事、相手は二の次、という思いが戦争をはじめることになります。
人と人とのつながりの中でしか生きられない私たちです。自分と相手とがつながっていると、しっかり見定めて「うばい合う心」から「わけ合う心」に転換させていく生活習慣が必要です。
ではまた次回に。
合掌
■第166話:2022年3月
人は生きねばならない
3月になりました。突然に飛び込んできた「ロシアのウクライナ侵攻」に心が震えます。武力による戦争で犠牲になるのは無辜の市民、子ども、弱い人たちです。一刻も早く戦争をやめ、話し合いで解決することを祈ります。
コロナの中、このような重苦しいニュースに暗澹たる気持ちになります。それでも、人は生きねばなりません。
坂村親民さんの詩に次の詩があります。
鳥は飛ばねばならない。
人は生きねばならない。
親民さんの詩は力づよいです。
人は何のために生きねばならないのでしょか。いや、何のために生きているのでしょうか。もうひとり、金子みすゞさん。この人の「木」という詩から学んでみたいと思います。
「木」 (金子みすゞ)
お花が散って 実が熟れて
その実が落ちて 葉が落ちて
それから芽を出し 花が咲く
そうして何べん回ったら
この木のご用はすむかしら
みすゞさんは、大きな木の前に立って、その木をしっかり見上げて考えています。そして「木」には「ご用」がある、と思うのです。
そう、「木」は大地から水を吸って、太陽の光を受け、葉を茂らせ、花をさかせ、実を熟れさせ、次のいのちを生んでいきます。それを毎年毎年、つづけていくのです。
みすゞさんが見ている木はとても大きく、みすゞさんが生まれる前からあったのでしょうか。そして、これから先、私が死んだあともこの木はこのご用を続けていくのです。
人も同じです。自然界の中にあって木と同じように日光、大地、水、空気など自然の恵みを受けて育てられています。そのおかげで次のいのちを作っていきます。いや、それだけではありません。先人が人として住みやすい環境を作ろう、と努力してくれたおかげで今日の私どもの社会があります。この社会生活の仕方もバトンをつないでいっているのです。ただ生きているのではなく、いただいたいのちをちゃんとまわりにバトンを受け渡しているのです。
つまり、いただいたいのちのバトンをつなぐ、という天賦の「ご用」をしているのです。このことに気づき、このことを納得し、感謝し、その天賦の「ご用」をつづける、だから生きねばならないのではありませんか。
ではまた次回に。
合掌
■第165話:2022年2月
氷が解けると春になる
2月に入りました。3日は立春。コロナの蔓延で窮屈な生活を強いられていますが、やはり「立春」と聞くと、梅の花、ウグイス、雪解け、など思い浮かべ、春遠からじの思いに胸が膨らみます。今、コロナに追われて忘れがちな「自然の移り変わりとその恵み」に心を動化したいと思います。
戦後、日本は、高度経済成長をめざして地方の人々は都会に働きに出ました。また、地方の山村では雪の降る冬になると男は季節労働者として都会に「出稼ぎ」に出てました。
そんな時代のある山村でのお話です。
ある東北の山村の小学校。寒い中、低学年の子どもたちが理科の勉強をしているのでしょうか。先生が「みなさん、氷が解けると何になりますか」と尋ねました。すると子どもたちは「ハイ!」「ハイ!」と手を上げ、大きな声で「水になりますっ!」と答えます。そんな中、「ハイ!」と元気に手を上げたのはよかったのですが、みんなが「水になる」というのを聞いて、上げていた手をすごすごと下ろして下を向いてしまった女の子がいました。先生はその子のところに近寄って「あなたは氷が解けると何になると思ったの?」と聴きました。
すると、その女の子、恥ずかしそうに小さな声で「春になる」と答えたのです。
先生は「春になる? あなたは氷が解けると春になる、っていうのね。どうしてそう思ったの?」と尋ねました。
実はその女の子は、お父さんが冬の間、出稼ぎに行っているお家の子です。その女の子はお母さんに「いつお父さんは帰ってくるの?」と訊くのです。そのたびにお母さんは「この寒い冬、お父さんは東京で私たちのためにがんばってお金を稼いでくれているの。お父さんはいま、ここにはいないけど、そのうち外の氷が解けて春になるでしょ。春になったらお父さんは帰ってくるからね。がんばって留守番をしようね」と答えるのでした。「氷が解けて春になる、春になればお父さんが帰ってくる」と自分に言い聞かせてお父さんの帰りを待っているのです。
「氷が解けると・・・春になる」。
いい答えです。この女の子、お父さんが自分たちのために出稼ぎに行ってくれている、お母さんはその留守の間、家の仕事をがんばってくれている、そんなお父さんやお母さんがいるから私も我慢しなければ、と思っているのです。この女の子のお家の温かさが伝わってきて、支え合っている家族の大事さを教わりますね。
ではまた次回に。
合掌
■第164話:2022年1月
一笑一若、一怒一老 (いっしょういちじゃく いちどいちろう)
新年おめでとうございます。
元旦に頂いた年賀状の中に「笑う門には福来たる」と書いてあるのがありました。この方は今年一年、コロナ禍ではあるけれど、くよくよしないで笑って過ごすようにしましよう、という思いなのですね。
人生、思い通りに行くと幸せ感いっぱいですが、思い通りにいかないときは、あの人が悪いなど、人のせいにして腹を立て怒り心が出てしまいます。
そんなとき、
「うまくいかないのは相手が悪いのではなく、自己本位でその人を見てしまう自分が悪いのだ、と思い直して、大きな声で笑う、というのはどうですか。大きな声で笑って、我の強い自分を放り出してしまうのです。
医師で作家の齋藤茂太さんは『一笑一若、一怒一老(いっしょう いちじゃく いちど いちろう)』という言葉を作って「大いに笑えば一歳ずつ若返る。怒ったり悲しんだりすれば一歳ずつ老いる」と言っています。
笑うと若返るのです。
たとえば、怒ったとき、「しまった、3分、年をとったな」と思い、今度はその3分を挽回するように思いっきり笑うのです。笑って5分若返ったとすると差し引き2分若返ったことになりますよ。
先ほどの「笑う門には福来たる」という言葉は落語の桂米朝事務所のキャッチコピーで、「どんなとこでもえぇんです。腹の底から笑ってもらえたら、そこが笑う門なんとちゃいまっか?」と言っています。
思いっきり笑うと若返るし、そこから新しい世界が やってきたりしますよ。我執にとらわれず、心ひろく日暮らしをするためにも、腹の底から笑う、ということを心がけるのも一法です。
今年もどうぞ、よろしくおねがいいたします。
ではまた次回に。
合掌
■第163話:2021年12月
人は出遇いによって 育てられ 別れによって 大事なことを 学びます
ことし最後の月・12月の恵光寺門前掲示の言葉です。12月は一年の締めくくりの月。
この一年、みなさんはどんな人に出遇い、どんな人と別れましたか。その人たちはあなたにとってどんな人でしたか。
あらためて、この一年を振り返ると、コロナ禍で人と人とのつながりが激減して、どれほど心さびしいときを過ごしたことでしょう。一方、そういう逆境にあったからこそ、人と人とのつながりの大切さを思い直す、という年でもありました。
人の人生は、人と人とのつながりの中を生きるという事実の中でつくられていきます。
赤ちゃんはオギャァと生まれてきてお父さんとお母さんに出遇います。それから成長して家族や周りの人たち、友人、先生、いろんな人と出遇って生きる力を養っていきます。本人側からいうと「育てられ」ているのです。
ところがそのうち、そういう人と別れる時が来ます。おじいちゃんと別れる、おばあちゃんと別れる、こちらが年をとっていくと親にも別れていきます。
そして別れの経験を通して「この別れた人はこの私を育てるためにこの世に出てくださった方である」と目覚めてその大事さに頭が下がるときでもあります。
私の知人のことです。この人のお母さんが亡くなりました。このお母さんが子育てをしていたころは時代も悪く、食べ物が豊富にあったわけではありません。そのお母さんは限られた食事を自分を後回しにして、子どもたちに食べさせました。そういう時代が確かにありました。そうやって、子どもたちは大きくなったのです。
さて、その年老いたお母さんとの別れのときのことです。その人は亡くなったお母さんの傍に黙って座っていましたが、そのうち立ち上がって足元に回り、母親の着物の裾をまくりその両足に向かって端座し、しばらく眺めていました。そして急に大きな声で「お母さんの足、小さくなったなぁ! 細くなったなぁ! しかし、この足で私を抱いて歩いてくれた! この足で私を追いかけて叱ってくれた! この足で畑仕事をして私を食べさせてくれた!」と言いながら、そのやせ細った足を何べんも何べんも摩って「ありがとう、ありがとう」を繰り返すのでした。大の男が小さくなった母親の足元に背中を丸めてうずくまって泣きながら母親の足を摩って礼を言う姿は目に焼き付いています。
この母親がいなかったら今日のこの私の人生はなかった、この私一人のいのちがどれだけの人々のご縁で成り立っているか、という大事なことを別れて改めて心に刻むのです。
蛇足になりますが、坂村真民という宗教詩人の詩に「足の裏を拝むことができれば一人前」という言葉がありますが、まさにこのことか、と教わった次第です。
ではまた次回に。
合掌
■第162話:2021年11月
この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる
ティク・ナット・ハンというベトナム出身の世界的な仏教指導者がいます。彼はベトナム戦争当時より、非暴力による反戦平和活動を行い、行動する仏教指導者として活躍しています。このハン師は、講演などで一枚の紙を出してこう言います。
この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいるのです。
この一枚の紙の存在は、雲の存在に依存しています。なぜなら、雲なしには水がなく、水なしには樹木は育たず、樹木なしには紙はできないからです。さらに紙を作るには木を伐る人が必要であり、森や人間が育つには太陽の光が必要です。このように、その他いっさいのものがこの一枚の紙のなかにあると言えます。
この紙を見ているわたしたち自身もこの紙の中にあるのです。だから、世の中に、このわたしと関係のないものは何一つない、とハン師は説明します。
つながってあることが他力
あらゆるいっさいのものはたがいにつながりあって存在していて、この私もその一員です。このつながりのおかげでこの私が存在している、と気づいたとき、そのつながりのことを「他力」と呼んで感謝をするのです。
ではまた次回に。
合掌
■第161話:2021年10月
「人新世」の時代
地球が誕生して46億年。この私たちの地球を考えるとき、その地質変化によって時代を区分をする、というのがあります。
今の私たちがいる時代区分は「完新世」といいます。ところが今の時代を「人間の時代」という意味の「人新世」という呼び方で見ていこう、ということが言われています。この呼び名は、この地球に人間が登場して地球の地質を劇的に変化させてしまい、これから先、この地球上で人は生きていけるか、という大変な問題に直面している、というところから来ています。
人間の経済発展による地質変化
では今の地球がどう劇的に変化したかというと、それは人間を中心とした地球に変わってきたからです。
原始時代に人間が地球に登場し、土を耕して農業生産を始めたことでわかるように、われわれ人間は自然に手を加えて(人為)生活を発展拡大してきました。そして産業革命以降、石油、石炭を世界中から掘り出して燃やし、そのエネルギーで電気を作り、通信機器を発達させ、車や飛行機を発明して移動、運輸が進み、森林を切り倒して道路を作り、大規模な工業、農業、畜産生産をするというやり方で、私どもの経済力を高めてきました。経済発展こそ私たちの生活を便利で快楽にする、ということが当たり前になりました。
しかし、このことは自然の破壊、気候変動、温暖化、と地球環境をどんどん劣悪させ、経済発展は、同時に国どうしの格差、戦争、人種の差別、貧困を生んでしまいました。
人間中心の生き方が原因
古来、私たち、とくに仏教に慣れ親しんだ東洋人は「自然の営みの中にあって人間も自然の一員」という思いをもっています。ですから自然の営みに対し、こころから畏敬、畏怖の念をもって私たちの生活を律してきました。自然に手を加える「人為」は自然に対する冒とくだ、という思想を持っていました。
ところが現代の私たちは、便利で快楽の生活を望むことに慣れ、この資本主義経済を是としています。
少欲知足、利他の生き方を
ある専門家が「今の日本人のような生活を全地球の人々がした場合、たちまち地球は持たなくなってしまう」と言っていますが、そうだろうと思います。
こういう「人新世」という地球を作り出してしまった私たち。あらためて、限りない経済発展を突き進むのではなく、私どもの生活の基盤を、仏教のいう欲を抑える「少欲知足」、他人のことを考える「利他」の姿勢を大事にすることに思いを深めてまいりましょう。これ以上の地球環境の悪化を止めること、戦争、差別をなくすように生きること、これが「人新世」の地球を生きる私どもの生き方だと思います。
ではまた次回に。
合掌
■第160話:2021年9月
益川敏英さんのことばから考えました
今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日のあることを知らん。
(ブッダのことば)
このことばは、初期仏典にあるブッダ・お釈迦さまのことばです。人の中に入って、人の苦しみや悲しみを常に聞き、傾聴していたお釈迦さまだからこそのことばです。説得力があります。「今日しなければならないことは、いましておけ。明日あるかどうか、わからないのだから」という内容です。
さて、私ごとですが、この私、坊さんです。
では坊さんとして、なすべきことは何か。それは信心の道を歩むということです。そのために修行をし、勉強をすることです。
しかし、今の地球環境の悪化の中、寺院やお坊さんの社会貢献が求められています。とくに東日本大震災以降、お坊さんが現地に出向いていろんな救援・支援活動をした結果に出てきたことです。
この7月に亡くなったノーベル受賞者の益川敏英さんは
科学者は自分の研究を考えているときがいちばん楽しい。
でも、それでは半人前の科学者であろうと思うのです
と述べて、科学者ももっと広く積極的に社会に関わるべきだと言っています。
この益川さんの言葉を読んで、私は思わず
坊さんは自分の信心を考えることがいちばん大事。
でも、それでは半人前の坊さんであろう
と読み替えてしまいました。
信心も確立していないのに社会にかかわることはできない、というお坊さんはおおおいでしょう。
しかし、社会にかかわっているからこそ、人の悩みや苦しみを肌で感じることができる、そこから宗教者としての救済の道を仏法に求める、ということができると思います。
寺院や坊さんはもっと社会に関わっていかねばと自分を振り返って、つよく思っているところです。
ではまた次回に。
合掌
■第159話:2021年8月
「他力」を日常語に
今月の恵光寺の門前掲示の言葉です。
山川草木 あらゆるもののおかげで
今の私がここに 在ります。
この偉大なつながりを「他力」といいます
仏教に「他力」という言葉があります。
仏教は物ごとの存在を「縁起」の見方で見ます。つまり、AがあるからBがある、BがあるからCがある、CがなかったならBはない、BがなかったならAはない、というふうに、あらゆる物事は関係性の中でなりたっている、という見方です。
人現関係だけでなく、自然界、山川草木、あらゆるものがつながりあって存在している。そのなかに、この私が、いま、ここに存在している、ということを「他力」と言います。
ティク・ナット・ハンというベトナムの仏教僧がいます。彼はベトナム戦争当時より、非暴力による反戦平和活動を行い、行動する仏教指導者として世界各国で「赦しと慈悲の行動」を訴え、教化活動をしています。
このハン師は、先ほど紹介した仏教の縁起の法則について次のように語っています。
彼は一枚の紙を出してみんなに示しながら、
この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる
と言います。そして、
この一枚の紙の存在は、雲の存在に依存しています。なぜなら、雲なしには水がなく、水なしには樹木は育たず、樹木なしには紙はできないからです。さらに紙を作るには木を伐る人が必要であり、森や人間が育つには太陽の光が必要であり、というように、その他いっさいのものがこの一枚の紙のなかにあると言えます。そして、この紙を見ている「わたしたち自身もこの紙の中にある」のです。だから、世の中に、このわたしと関係のないものは何一つない。
とハン師は説明するのです。
繰り返しますが、まさに、このように、この世の一切のものごとは、おたがいのつながりで存在している、私もその一員、ということです。そしてこのつながりを「当たり前」とは思わず、「おかげ」と戴き、このつながりを「他力」、つまり、この私を育ててくれている力、といって手を合わせていくとき、私どもの心は静まり、落ち着き、大きくなっていくのです。
ではまた次回に。
合掌
■第158話:2021年7月
お盆ってなぁに? ご先祖さまにご接待
お盆は「盂蘭盆(うらぼん)」という仏教からきた夏の行事で、単に「お盆(ぼん)」と呼ばれます。もととなったお経は『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』です。
目連(もくれん)というお釈迦さまの弟子が、餓鬼道(がきどう)という苦しい世界に堕(お)ちた亡き母を救おうと、お釈迦さまに教えを請い、施食(せじき)の作法(あらゆるものに食を与える修行)によって、7月15日、つまり旧暦の8月15日に母親が救われた、というお話からきています。
お盆はご先祖さまのお迎えから始まります。とくに8月7日は「七日盆(なのかぼん)」と言って、このお墓参りが「精霊迎え(しょうらいむか)」の日、といわれています。ここ市原の恵光寺は8月7日が墓参り日、となっていますが、こういうわけだったのでしょう。
そして、実際にご先祖さまを自分のお家にお迎えするのが8月12日の夕方、といわれています。すでに亡くなってお浄土に生まれておられる親族みんな、おじいさんやおおばあさんもおられれば、幼い子どもたちもいます。また、この世の空気を吸わず、お母さんのお腹の中で亡くなった赤ちゃんもいるでしょう。そういう「ご先祖さま」をお精霊さんとしてお盆に我が家にお迎えをして食事の接待をする行事がお盆です。お盆にお迎えしたお精霊さんには精霊棚に盛ったお菓子、野菜、果物、そうめん、などで供養します。そして16日の朝にはお送りする、というのが習わしです。
お盆の間に、その精霊棚の前でお坊さんにお経をあげてもらうのを「棚経」といいます。
私の家には仏壇がないから精霊迎えはできない、ということはありません。先祖のいない人ってこの世にはどこにもいません。この8月のお盆の期間、お家のどこの場所に、亡くなった人の写真を飾ってお供え物を捧げて頭を垂れて手を合わす、ということはできると思います。手を合わせ、亡き人からいただいたご恩に思いを廻らせてみましょう。
お精霊さんにお給仕をしながら、いのちの恵みに感謝ができる、そうなるとありがたいですねぇ。
ではまた次回に。
合掌
■第157話:2021年6月
掃除をする、草を引く、ということ
お寺では昔から「一に掃除、二に勤行、三に学問」と言って僧侶の日課の行動を示しています。
勤行とは、仏さまの前でお経をあげることです。学問はそのお経の意味や内容、そして先師が説いた教えを学ぶこと、つまりしっかり仏教の勉強をすることです。そういう勤行、学問は必須のことですが、それ以前に、日課としていちばんにしなければならないのは毎日の掃除だ、というのです。
私は僧侶ですから「一に掃除、二に勤行、三に学問」ということは知っていますが、なかなか実行できていません。
とくに掃除はしなければならないことは百も承知ですが、日課とはなかなかなりません。事の合間にするもの、という感じです。
しかし、ここで思うのが幸田文さんという作家の随筆のお話です。
幸田文さんはあの作家・幸田露伴の娘さんです。ある時、父の露伴さんが部屋から外の庭を見て、草が生え出しているのを見て文さんに「庭の草を引け」と命じます。文さんは「まだ草は小さいからもっと大きくなってから引きます」と答えました。するとお父さんの露伴さんは「今、草を引け! いまだ!」と厳しく叱ったのです。文さんはこのお父さんの草引きに対する厳格な姿勢が心に残り、随筆に遺しています。
露伴さんは文さんに「今、草を引け」といったのは、今の芽を出したての草がいちばん引きやすいときなのだ、今を逃すな、といっているのです。
私たちがことをしようとする時、いつも自分の都合、自分の物差しでことを行おうとします。しかしこの草の成長でわかるように、自分の都合というよりも、自然が与えたその時機というものに自分を合わせる心が必要なのです。いま引いておくと草はとても引き抜きやすい、時間もかからない。それを感じておのれの我を捨てて自然の営みの中に身を任せていけ、ということです。
自分の物差しで行動を推し量っていくことを「我を張る」といいますが、その「我」を捨てて大いなる自然の営み、自然界の物差しに身を預けていくのです。そうすれば、こうしなければならない、こうならないのでつまらない、と言うような屈託はなくなっていくではありませんか。
草引きに代表される「掃除」という生活の仕方は、「我」を捨てよ、という仏さまの教えをまずは体で感じることなのです。
お経を読んだり、学問をする以前に体が覚える仏さまの教えですから「一に掃除」というのです。
ではまた次回に。
合掌
■第156話:2021年5月
≪病気≫ を診るのではなく ≪人≫を診る
私はいま、高齢者のケアをする老人健康保健施設にかかわっています。4月は新入社員が入ってくるときで、人社式のとき、こんなお話をしました。
「施設でケアをする相手の方は、お年寄り、体の調・不調を訴える人たちです。こういう方々に接するとき、介護をするみなさんは、その人の外見だけではなく、その人はどんな人なのか、長い人生を生きてこられていまどんなことを考えておられるのか、その人の「人生の物語」を知ろうとする想像力を大し事にしてください」とお話ししました。
いまの日本、ホスピス、ビハーラ、緩和ケア、などとよばれる、人生の末期の人のための病棟を持った病院がふえつつあります。
細井順というお医者さんがおられます。大学病院で外科医として働いていたとき、末期の人や家族にどう接すればいいか悩みました。本を読んだり、研究会に出席するようになりました。あるとき、その思いが高じて、大学病院の教授に「亡くなった患者の遺族を追跡調査してみたい」と提案したところ、教授から「外科医にとって必要なのは、そういうことではない」と一蹴されたといいます。細井さんの思いは外科教室の一般的な考え方とは相容れなかったのです。
そのうち、大阪の淀川病院でご自身のお父さんをホスピス棟で送ります。その経験から、みずからホスピスの専門医となろう、と決心し、滋賀県の近江八幡市にあるヴォーリズ記念病院へ行ってそこでホスピス棟を立ち上げます。
細井さんは「ホスピスというのは、みんなで力を合わせて患者さんのケアをする。その和気あいあいとした一体感が心地よかった。自分中心の世界から、ほかの人を生かそうとする世界への大きな転換でした」
末期の人に対し、医師だけでなく、まわりのひとたちが、その人の人生の物語をいっしょに考えながら寄り添う、このことが大事だ、というのです。
細井順さんご自身、腎臓がん手術を受けたがん患者です。その経験から
「自分は医者の時代、《病気》だけを診ていた。自分の役割は患者の側にいてつらさを分かち合うことと悟った今、自分は《人》を診ている実感がある」とおっしゃっています。そして医者のユニホームである白衣は着ない医師として末期の人たちに接しています。
お釈迦さまは人の悩みを聴いてその答えを出すばあい、対機説法というしかだでお話をされました。対機の「機」は目の前の人のことです。つまり、その悩みのことがらについての説法ではなく、相手の≪人≫をみてお話をされた、というのです。
ではまた次回に。
合掌
■第155話:2021年4月
仏教の苦から離れる方法 二つ
「人生は苦である」といいます。人生はつらい、苦しいもの、という意味で使います。しかし、仏教がいう「苦」はインド古代語の「ドゥフカ」の訳で「自分の思い通りにならない」ということです。
私ども人間の「生・老・病・死」を「四苦」といいますが、ブッダ(お釈迦さま)は「生まれること、年をとること、病を得ること、そして死ぬこと、この四つについては自分の思い通りにはならないことなのだ。しかし、悲しいかな、それを思い通りにしようとして悩み苦しむのだ」と看破されたのです。
私たちの日常を見てみましょう。自分の思い通りに行っているときは機嫌もいいし、楽しいし、幸せ感もあります。しかし、自分の思い通りにならないことにぶち当たると、焦ったり、自分を責めたり、人を悪くいったりします。それが、生きる不安、苦しみになります。
ではどうするか。
仏教の歴史で、「苦」から離れる方法に、大きく二つの道があります。ならべると次のようになります。
(1) 悪いことはせず、善いことをして心と行動を調えて苦から離れよ
(2) 私どもはいくら頑張っても苦から離れられない身。心底、仏に任せよ
(1)はその通りです。お釈迦さまの仏教の基本です。仏教の教えを生きようとする人は、この言葉を「生き方の基本(戒)」として苦から離れようとします。つまり「悪いことはするな、よいことをせよ。自分の心を清らかにせよ」というものです。心の乱れる環境にいるのなら、そこから離れて生活せよ、ということです。正しいのですが、できる人とできない人があります。
それに対して後者(2)は「いくら頑張っても苦から離れられない身」(「凡夫」といいます)という見方が基本にあります。だから、凡夫である私をつねに「救う対象」としてみていてくださるほとけさま(阿弥陀さまのことです)がおられる、だから「私は苦から離れることのできない凡夫」と開き直って、その心中を吐露して、阿弥陀さまの「私に任せよ」を心の柱として生きる方法です。
おわかりのとおり(2)の生き方、凡夫であるがゆえに救われる、という喜びが「念仏」という形に表れるのです。
ややこしい話をしましたが、凡夫である自覚、これもなかなか100パーセントできないのですね。これがまた凡夫たるゆえんです。
『「苦」は頭で考えても離れることができない、つねに己の体内に巣くっているもの』と開き直る「凡夫観」を持つことは私どもには必要です。
ではまた次回に。
合掌
■第154話:2021年3月
運動不足よりも感動不足が心配
コロナの時、家のなかで巣篭り状態が続き、体を動かす機会が減っています。みなさん、体の調子はいかがですか。中には、こんな時だからこそ、しっかり歩くようにしている、という人もおられるでしょう。どうぞ運動不足に気をつけてお過ごしください。
日野原重明というお医者さんがおられました。聖路加病院の理事長で105歳でなくなられるときまで現役でした。日野原先生は「生活習慣病」という言葉を提唱して人間ドックを始め、病気予防に力を注いだ人でした。また、子どもたちに「いのちの授業」をおこない、「時間はいのちです。あなたが持っている時間をできるだけ人のために使いましょう」と教えて回った人です。
その日野原先生が高齢者の健康について「運動不足よりも感動不足が心配」と言っておられました。
体調は運動だけでなく心の動き、まさに感動も大事だということです。
感動は、偉大な自然の営みに、花鳥風月に、音楽に、絵画など、接したものに心が動くことです。
人の行いの中にも感動の場面はいっぱいあります。親が子を育てているのを見ていると、親の恩情はかくもすばらしいことか、と感動することがあります。
感動は脳を柔らかくし、心をゆたかにします。心がゆたかになると脳が柔らかくなって感動する回数もふえていきます。そして感動を繰り返していくと人生も新しく前向きに変わっていきます。感動をする場面を見つける心の習慣をつけてまいりましょう。
ではまた。
合掌
■第153話:2021年2月
自分のいのちがあるのは親が原因か
コロナ禍でつらい巣ごもり生活が多くなります。今回はじっとしている時間がおおくなったことで「自分のいのちはどこから来たのか」を考えてみよう、という提案です。
私たちは「いのち」は親から来た、つまり「親を原因としてこの世に生まれてきた」と思っています。しかし仏法はちがう答えです。
仏法では「親を縁としてこの世に生まれてきた」といいます。確かに私のいのちは親が原因です。しかしその親には親があって、その親にはまた親があって……、ということですから、直近の親はいのちの「長い時間の縁」、つまり縦のつながりの一部分、と見るのです。
そして「長い時間の縁」に対して「空間の縁」、つまり横のつながり、というのがあります。これを説明するには「食物連鎖」がわかりやすいです。食物連鎖とは一つのいのちは他のいのちによってつながっている、ということです。
環境学者のタイラー・ミラー(1902 –1988)は
ひとりの人間が1年間生きるためには、300匹の鱒が必要。その鱒には9万匹のカエルが必要で、そのカエルには2700万匹のバッタが必要で、そのバッタは1000トンの草を食べなくては生きていかれない
といっています。
今あるこのわたしの「いのち」は、あらゆるいのち、時間的にも 空間的にもいろんないのちとつながっています。一つのいのちはあらゆるものを育て、あらゆるものはこのわたしというひとつのいのちを生かして存在しあっている、ということです。
これを仏法では「山川草木悉有仏性(さんせんそうももく しつうぶっしょう)」といいます。山や川、そして草木に至るまで、あらゆるいのちはつながって、この私一人の「いのち」を作ってくれている、といいます。このつながるいのちに感謝し、喜びの心で享け入れるとき、そのあらゆるいのちには仏の慈悲、つまり「仏性」がある、と頂くのです。
今日は「いのちはどこから来たか」というお話をさせていただきました。
ではまた。
合掌
■第152話:2021年1月
梅華の香は 苦寒より来る
中国では梅は特別に高貴な花とみられるそうですが、日本でもそうですね。
年初めの寒中に小さくとも美しく咲く梅は見事ですし、その香りは馥郁として心を豊かにしてくれます。
今回紹介した言葉は、その梅の花は厳しい寒さに耐えてこそ、寒ければ寒いほど、香りは素晴らしい、という意味です。転じて、苦寒に堪えてこそ人生の勝利者になる、というふうに人生論としてよく引用されます。
しかし一歩進めて考えてみましょう。
おおよそ生き物はみなそうですが、いまこの梅の場合でいえば、苦寒を通して花を咲かせ、芳しい香りを出し、風やうぐいすなどの鳥が来て受粉が行われ、実を大きくし子孫を残します。梅にとって苦寒はつらいことではありますが、いってみれば自然の法則であります。
人生訓で言えば苦寒は人を育てるムチだ、ということができますが、そもそも苦寒はムチではなく、梅を育てるための宇宙の慈悲であり愛である、といえます。
コロナ禍の中での生活。巣ごもりでじっとしがちです。となると運動不足にもなります。できるだけ体を動かすようにしましょう
ここでもう一つ大事なのは運動不足だけでなく、巣ごもりでは感動不足にもなりがちだ、ということです。
梅一輪の花を見ながら、宇宙の慈悲を確かめて感動不足をなくすようにしましょう。これからの一月が過ぎ立春の時期になると
梅 一輪 一輪ほどの あたたさ
という句も心に響いてきますよ。
それではまた次回に。
合掌
■第151話:2020年12月
地球は 子孫からの 借りもの
この言葉はネイティヴアメリカンの、つまり、アメリカ先住民が生活の中で作り出したすばらしいことばです。 アメリカにはコロンブスが上陸するまで何千万の先住民がいて、あの広大な自然の中で農耕、遊牧の生活をしていました。彼らは自然の運行や宗教的なものにとても敏感でした。そこへ、ヨーロッパから白人たちが新天地を求めて移住してきました。彼ら白人たちは白人中心の生き方で騎馬、銃、機械を使って先住民の土地を奪い、領土を広げ、先住民を追いやってしまいました。そんな悲しい歴史のあるネイティブアメリカンの社会でいわれた言葉を紹介します。
「地球は 子孫からの 借りもの」。この言葉には仏教の教えと共通のものがあるように思います。仏教は「縁起」を説きます。つまり「世の中は縁起で成り立っている」という受け取り方があります。
「縁起がいい、悪い」というあの「縁起」ですが、本来はもっと深いことばです。「縁起」とは読んで字のごとく「縁(よ)りて起(お)こる」です。
花が一輪咲くのはどうしてでしょうか。水によって、土によって、温度によって、空気によって咲くわけです。花だけが単独で咲くことはあり得ません。すべての存在はそのように、ほかの力と関係しあっていま形あるものとして存在します。ですから、周りの力が変わるとその形も影響を受けて変化をします。この変化を「つながりあっているから」と言いかえるとわかる気がいたしますね。
さてその「つながりあっている」には時間的なつながりと空間的なつながりがあります。
時間的なつながりとは、「私のいのち」は親、祖父母、祖先と「つながりあって」います。そして将来の「いのち」、つまり子孫のことですが、この子孫は今日の私たちのいのちの先にあるものです。これが時間的なつながりです。
空間的なつながりとは、わかりやすい例は食物連鎖です。土の中の微生物を食べて小さな虫は大きくなり、その小さな虫を少し大きな動物や鳥が食べ、その少し大きな動物や鳥を大きな動物が食べます。みんなのいのちがつながっています。
私たちの存在は、前にも、後ろにも、過去にも将来にも、みんな、つながりあって在るのです。ですから、どこかでおかしなことが起こると、次から次へとおかしい状態でつながっていきます。これが「縁起」です。
そう考えてみると、前後のいのちをちゃんとしようとするには今の私がちゃんとする、ということに落ち着きます。今日、紹介しましたネイティヴ アメリカンのことばでいえば、きれいな地球を残すのは今日の「今、ここにある、この私が」ちゃんとすることがいちばんである訳です。
今の地球をわがものとは思わず、将来の子孫たちから借りている、と考え、将来がいい地球の状態になるよう、お返ししようという気持ち、生き方が、今日の私どもの姿勢であるべきだ、というのです。
それではまた次回に。
合掌