恵光寺 和尚の法話

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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。

 

■第31話:2010年11月

この世に生まれ、死んで往生する、ということ 《1》 

 私ども念仏の元祖であります法然上人、来年が800回の大遠忌にあたりますが、この法然上人の遺されたものの中に「一紙小消息」というお手紙があります。これは多分、宮中の女の人でしょうか、生き死についての質問に対してお答えになったもの、と考えられています。とても論理的で説得力があり、人を包みこむやさしい心の満ちたお手紙です。
 その中に「受けがたき人身(にんしん)を受けて、遇(あ)いがたき本願(ほんがん)に遇いて、発(おこ)しがたき道心(どうしん)を発して、離れがたき輪廻(りんね)の里を離れて、生まれがたき浄土(じょうど)に往生(おうじょう)せんこと、悦(よろこ)びの中の悦びなり。」というところがあります。この部分は、正鵠(せいこく)を射(い)る、ということばがありますが、私どもの「生まれ、生き、死んでいく」ありようをその順序(五つの段階)にしたがってみごとに説明して下さっています。
 今回と次回に分けて2回にわけてご紹介いたします。

(1)「受けがたき人身(にんしん)を受けて」

 人としてこの私がこの世に生まれ、存在する、というのはとても不思議なことです。「人はなぜこの世に生まれてきたか」と尋ねられたら、ある程度、一般的な説明はできるでしょう。でも、「あなたはなぜこの世に生まれてきたか」と尋ねられると、その答えは「不思議」「神秘」としか言いようがないのではありませんか。

 お釈迦さまの『法句経182番』には、
人の生(しょう)を 受くるは難(かた)く
やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し
正法(みのり)を耳にするは難(かた)く
諸仏(みほとけ)の世に出づるも有難(ありがた)し
 (友松圓諦師訳)
とあります。お釈迦さまのみならず、法然上人も、こんなわたしではあるが、このわたしは、大宇宙の法則(永遠のいのち)に従ってこの世に生を受けたのです、と説明しておられます。
 人の身となって生まれ、いまここに生きている不思議を感じようではありませんか。

(2)「遇(あ)いがたき本願(ほんがん)に遇いて」

 ここで「本願」ということばが出てきます。とても大事なことばで、本願寺というように浄土真宗のご本山の名前にもなっています。 「本願」とは「ほとけとしか言いようのないすべてのものにこのわたしが生かされつづけている」という事実を言います。考えてみますと、太陽や空気、水、家族、仲間、先祖、次代を担う人々、花、鳥などなど、あらゆるものにこのわたしは生かされていることがわかります。
 金子みすヾさんの詩に「はちと神さま」というのがあります。

はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、 小ちゃなはちのなかに。


 みすヾさんは「神さま」といっていますが、「ほとけさま」のことです。小ちゃなはちが、全宇宙のみ恵みの中を生きている、つまり「本願」を生きている、というありようをみごとに詠んでいますね。
 この「小ちゃなはち」を「わたし」に置きかえてみると、このわたしが「本願」を生きていることがよくわかります。
 同時に、この「わたし」もそういうあらゆるものを生かしていく一員であることも事実なのです。ついでに、この大いなる世界にあって生かされ、生かしていこうとする力のことを「本願力」といいます。私たちは本願力によって生きています、というのが2番目の生きる事実です。

(3)「発(おこ)しがたき道心(どうしん)を発して」

 「私たちは本願力の中を生きている」ということを知ると、自分は独りぼっちではない、うれしいこと、と手を合わせ、ありがとうと言いたくなります。この心を道心といいます。道心を発(おこ)す、とは仏道に目覚めた心、つまり、仏教者の生き方、ということでしょう。
 「道心」は「①感謝」に始まって、こんな自分でいいのかしらん、という「②反省」、そして、だからこそ他人様(ひとさま)に対する「③思いやりの実践」に至ります。
 この「①感謝」、「②反省」、「③思いやりの実践」の3つが私どもの生き方になりますね。
 アメリカで活躍しておられる嶋野榮道という大禅師はこんな名言を言っておられます。
仏教は煎じ詰めるとつぎの3つです。
1. Thank you  (ありがとう)
2. I'm sorry (ごめんなさい)
3. I love you  (あなたを愛します)

と。
 先ほどわたしが述べたのと同じことを嶋野大禅師はおっしゃっておられます。こういう道心が発(おこ)ってくることがうれしいのですね。

後半につきましては次回に。お元気で。

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■第32話:2010年12月

この世に生まれ、死んで往生する、ということ 《2》 

 私どもが、この世に生まれ、死んで往生する、ということはどういうことか、ということを、前回と今回の2回に分けて、念仏の元祖法然上人の遺された「一紙小消息」というお手紙にしたがってお話ししています。そのお手紙に「受けがたき人身(にんしん)を受けて、遇(あ)いがたき本願(ほんがん)に遇いて、発(おこ)しがたき道心(どうしん)を発して、離れがたき輪廻(りんね)の里を離れて、生まれがたき浄土(じょうど)に往生(おうじょう)せんこと、悦(よろこ)びの中の悦びなり。」という件(くだり)があり、私どもの「生まれ、生き、死んでいく」ありようをその順序(五つの段階)にしたがってみごとに説明して下さっているのです。

 前回は「①受けがたき人身(にんしん)を受けて」「②遇(あ)いがたき本願(ほんがん)に遇いて」「③発(おこ)しがたき道心(どうしん)を発して」、の三段階をお話ししましたが、今回は後半部の「④離れがたき輪廻(りんね)の里を離れて」「⑤生まれがたき浄土(じょうど)に往生 (おうじょう)せんこと」、そしてまとめの「悦(よろこ)びの中の悦びなり」を紹介します。
今回と次回に分けて2回にわけてご紹介いたします。

(4)「離れがたき輪廻(りんね)の里を離れて」

 生きている、ということは苦しみを生きているもの、と言いかえることができます。生まれること、年をとること、病を患うこと、死ぬこと、この四つは避けることができないものでありながら、それを真正面から受け止めないで生きているのが私どもです。この四つを「四苦」と言いますが、避けることのできない「四苦」を正視しないで、避けられると思って逆に、迷い、苦しみの状態に陥ります。
 それではその「苦しみのもと」は何でしょうか。
 お釈迦さまは「人の苦しみのもとは貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚(おろ)かさの三つの火である」と示しておられます。そして「貪りは、気に入ったものを見て正しくない考えを持つから起きる。瞋りは、気に入らないものを見て正しくない考えを持つから起きる。愚かさは、なさなければならないことと、なしてはならないことを知らない無知から起きる」とおっしゃっておられます。
 貪り、瞋り、愚かさの三つが、この世の悲しみと苦しみのもとである、ということがお解りいただけたでしょう。この三つから解放されないかぎり、人は苦しみつづけていかねばなりません。その苦しみの世界を「輪廻(りんね)の里」と法然上人はおっしゃったのです。
 しかし、ここで思い起こしてください。前回に申しましたとおり、いま、ここに在る私はじつに不思議のいのちの中にある、ということを。
 ある男の人がわたしに「先日、お説教の場に寄せてもらいましたが、あるお坊さまのお説教で《ふりむけば、お世話になった人ばかり》という言葉を聞かせてもらいました。ふだんから、わたしは生かされている、ひとりでは生きていない、などと思ってはいるのですが、このような的確な言葉で己れの在り方を聞かされたのはショックでした。この言葉を聞くために私はお説教の場にいった気がします」と。
 そうです。「ふりむけば、お世話になった人ばかり」なんですよ。いや、人ばかりではありません。天地(あめつち)のひとつひとつにもお世話になっているのです。
 このことが戴けると、今日からの私の生き方は自由な生き方になります。輪廻の里を離れるのです。

(5)「生まれがた浄土(じょうど)に往生(おうじょう)せんこと」

 私どもは死んだらどうなるのでしょう。誰もが持つ疑問ですが、答えはひとつ。「浄土(じょうど)に往生する」のです。浄土とはほとけさまの国ということです。
 そんなところに生まれるわけがない、という人も多くあるでしょう。だって「死んだらおしまいだよ」という人もありますし、「浄土など、だれも行って帰って説明してくれた人はいないんだもの、そんなものあるわけがない」という人もあります。
 ここでチェックしたいのは人のいのちはあなたひとりのものか、ということです。
 たとえば大事なお母さんが70歳で亡くなった、としましょう。お母さんの寿命は70歳ですが、これは人としての寿命です。ところが、このお母さんは過去にそのお父さん・お母さんを縁にしてこの世に誕生しました。その両親もその前の両親を縁にこの世に誕生しました。こうしていきますとこのお母さんのいのちはずうっと昔からのいのち、ということになります。
 逆にこのお母さんの子どもが私であるわけですが、この私を生むためにお母さんはこの世に出てくださいました。ここで難しいことをいいますが、「いのち」を大きな目で見てみますと、次のいのちを生み育てるためには自らのいのちが終わらなければならない、という大鉄則があります。これを宇宙のルールといえばいいでしょうか。「花びらは散っても花は散らない」といいます。花びらが散るのは次のいのちをつくるためです。ドングリの実が落ちるのは枯れて死んでしまうのではなく、次のいのちを作るためです。そうすると、お母さんが亡くなる、というのはお母さんのいのちが次の人のいのちにつながっているということになりますね。
 お母さんのこの世の寿命は70歳でしたが、その前後に私どもには計算のできない、数え切れない寿命がお母さんの寿命である、ということがお解りいただけましたでしょうか。
 この数え切れない寿命を生きてくださっている姿がほとけさまの国に生まれているお母さんなのです。一休さんは「この私とは何か。ほとけさまの国からやってきて仮りのいのちをこの世で生きているけれど、それが終われば、またほとけさまの国に帰っていくのだ。あわてない、あわてない。ひと休み、ひと休み」とおっしゃいました。
 法然上人は、この世のいのちだけが自分の寿命と思っているけれど、大いなるつながるいのちの中、私のいのちはまたまたほとけさまのみ国に帰っていくのだ、何と喜ばしいことか、とおっしゃっておられるのです。

(最後に)「悦(よろこ)びの中の悦びなり」

 法然上人は、人の「生まれ、生き、死んでいく」ありようを五つの段階にしたがって説明して下さいましたが、ここでもういちど、いまのことばに置きかえて紹介いたします。
①不思議のご縁で人として生まれたこと
②ご本願と呼ばれる大いなる力に身守られてこの私が生きていること
③それなら私の仕事として他人様のために働かせてもらおう、と生きること
④なやみ・迷い・苦しみの世界から離れて生きられること
⑤浄土なんかない、と思っていたのにその浄土に生まれられること

そして、法然上人はこの五つをまとめて「よろこびの中のよろこび」、つまり「人として生まれ、生きて、死んでいく中でこれ以上のよろこびがあろうか」と教えてくださっているのです。
あらためて私どものありようをより深く考えたいものです。

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■第33話:2011年1月

仏教は「縁の宗教。縁の中をこの私が、いま、ここに、生きている」という認識が心の安心につながります

 いま日本は「無縁社会」といわれています。
 「無縁社会」という言葉は昨年1月のNHKテレビで放映された「無縁社会-無縁死3万2千人の衝撃」というスペシャル番組で急に広がりました。
 番組は、誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えている情況を紹介しながら、日本が急速に「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失い、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されたもの、と分析、報道したのです。「無縁社会」は高齢者の孤独死だけではなく、孤立による閉塞感を生み、若い人の自殺、親が子に対してする虐待、いじめ、無差別殺人事件などにもつながっています。

 仏教は「縁の宗教」と呼ばれます。言いかえると「つながりを生きる宗教」です。いまの日本の「無縁社会」と仏教の「縁の宗教」とは対極にあります。「無縁社会」と聞くと仏教者の私は日本の仏教の役割を問われているようでドキッとします。
 山崎龍明さんというお坊さんは「無縁社会」について、「つながり(縁)には煩わしさとあたたかさとがある。私たちは煩わしさから自由になるためにあたたかささを捨ててしまった」といっています(12月9日の仏教タイムス紙)。その通りだと思います。

 ひとりで生きて死んでいかねばならない、という「無縁社会」がひろがると、元気なときは「自分のいのちは自己管理しなければならない」という追い詰められた孤立状態になり、病気などになるとたちまち生きる不安が出てきます。「無縁社会」は人を信じることができず、人生なんて、生まれて死ぬまでの間のことだけ、どうなってもかまわない、という受け止めしかできなくなっていきます。

 つながりの社会を続けようとすると煩わしさは出てきます。しかし、私どものこのいのちは、好む・好まないにかかわらず、人だけでなく、山川草木、あらゆるもののつながりの中を生きています。「縁の中をこの私が、いま、ここに、生きている」という認識です。阿弥陀仏は「無量寿」と「無量光」のふたつがいっしょになってできたことばですが、この「時間の縁(無量寿)」と「空間の縁(無量光)」を生きている認識は、そのまま「阿弥陀仏を生きる」生き方につながります。これが仏教が「縁の宗教」と呼ばれる所以です。

 古いことばのように聞こえますが、やっぱり私どもは「いろんな力に生かされている」のです。年末に恵光寺の掲示板に「ふり向けば お世話になった 人ばかり」ということばを書いて張りましたが、そのとおりです。
 この「いろんな力」こそが阿弥陀としかいいようのないお力、と戴いていくとき、私どもは心の安心(あんじん)を戴くのです。

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■第34話:2011年2月

誕生日も命日も「自分の在処(ありか)を探り、感謝をする日

  映画評論家の淀川長治さんという方をご存知でしょう。テレビ名画劇場の解説者として活躍した人で、放送の最後に「サヨーナラ、サヨーナラ」というあいさつは懐かしいですね。これは永六輔さんの文章で知ったのですが、その淀川さんが「誕生日には必ず母親のお墓参りに行きましょう!」とおっしゃっていたそうです。
 つまり、自分の誕生日は、その人のお母さんがお腹を痛めて産んだ特別の記念日ですものね。そんな日だからこそ感謝の気持ちを身体で現しなさい、ということです。いい話です。

 同じように亡くなられた日、つまり命日に、亡き人のこと、その人の来し方、人生を考えるのも私どもの義務ではないかしらん、と思います。お墓に行けなくてもいいです。お仏壇にお参りをする、お仏壇のない人は何とか遺影やそれに代わるものの前でお香を焚いて静かに手をあわせる、ということはとても大事なことです。

先人の命日にお参りすると、大事なものを戴く

 私は亡くなられた方から戴くものに2種類あると思っています。ひとつは「この人が居なかったら今日の私はいない」という私のいのちの不思議を戴くこと。もうひとつは「その人の生き方が今日の私の生き方を作っている」と生きる智慧を戴くこと。このふたつです。

2月15日は仏教の祖、お釈迦さまが80年の生涯を終えられた「涅槃(ニルヴァーナ)」の日

 この2月15日は仏教の祖、お釈迦さまが80年の生涯を終えられた日です。お釈迦様が亡くなられたことを「涅槃(ニルヴァーナ)」といいます。迷いの炎が消えた、という意味でお悟りを現すことばでもあります。80歳のお釈迦さまは亡くなられる直前、ラージャギル(王舎城)から故郷をめざして行かれる「最後の旅」に出られます。その様子が「涅槃経」というお経に書かれています。とても人間的な内容で、お釈迦さまが35歳の成道のあと45年にわたって説いてこられたお説法の集大成を見る思いがいたします。

お釈迦さまの最後の教え-「自灯明・法灯明」-

 今日はそのお経の中からお釈迦さまの最後の教えを紹介いたします。
 最後の旅で、ヴェーサーリーというところに来られ、お釈迦さまは雨安吾(インドの雨期にする修行期間)に入られます。そのとき恐ろしい病が生じ伝染していきました。お釈迦さまにも死ぬほどの激痛がおこり、じっと我慢をしておられました。常随の弟子・アーナンダは、お釈迦さまに最後の説法を懇請します。そのときのお話こそ有名な「自灯明 法灯明」の教えです。
 衰弱したお体を横たえたまま「アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」とお説きになりました。そして、お釈迦さまは「私が説いた「法(真理)」は不変であり、この人に適している、あの人には適していない、というような、あるいはこの人には隠し、あの人には隠さない、というような性格のものではない。真理は万人平等について言えることだ、とおっしゃいました。
 真理のみを説かれるお釈迦さまにとって、身分や職業や性別で真理が変わるなど、あり得ないことなのです。

「別離は無常の道理であり、いたずらに悲しむことをやめよ」と

 それでもお釈迦さまのお体は一旦回復し、杖をつきながら旅を続けて行かれます。その様子は次の文章でおわかりになるでしょう。
 『アーナンダよ、わたしはもう朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達して、わが齢は八十となった。アーナンダよ。譬えば古ぼけた車が皮紐の助けによってやっと動いて行くように、わたしの車体も皮紐のたすけによってもっているのだ。』
 とても人間的な表現です。そしておっしゃるのです。
 『弟子たちよ、わたしの終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なない者はない。いまわたしの身が朽ちたえ車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の世の真実のすがたに目を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。』と。

頭北・面西・右脇臥の姿でお釈迦さまは「涅槃」に入られた

 そうして、お釈迦さまはクシナガラの郊外、シャーラ(沙羅)樹の林の中で、自ら身体を北枕に、右脇を下に、西を向く格好で横たわり、最後の教えを説かれました。
 「わが身を見ては、その汚れを思って貪らず、苦しみも楽しみもともに苦しみの因であると思ってふけらず、「我」に執着して迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことができる。わたしがこの世を去った後も、このように教えを守るならば、すべての苦しみを断つことができる。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい」と。

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■第35話:2011年5月

大震災を経験して(1)

  良寛さん(1758ー1831)のお手紙の中に有名な地震の見舞い状があります。その地震は1828年11月12日の「三条の大震」とよばれるもので、マグニチュードは7と推定され、死者1400人余り、倒壊家屋11,000戸と伝えられています。この時、良寛さんは71才。友人の酒造家山田(やまだ)杜(と)皐(こう)が末の子を死なせ失意にあることを知った良寛さんが送った短い手紙です。

  「地震は信(まこと)に大変に候。野(や)僧(そう)草(そう)庵(あん)は何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存候(たくぞんじそうろう)。うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ。しかし災難に逢(あう)時節には災難に逢(あう)が よく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。
 是(これ)はこれ災難をのがるゝ妙法(みょうほう)にて候。かしこ」
と。

 前半は「今回の地震は大変でした。私のところは何事もなく、親類の者も死なないで喜ばしいことでした。(しかし)そのとき死んでいたらよかったのに、なまじ死なないで生きながらえ、このような辛いありさまを見るのは悲しいことです。」
 後半は「しかし、災難に逢うときは災難に逢うのがいいのです。死ぬときは死ぬのがいいのです。じつはこれが災難からのがれるいちばんの方法なのです。」といっています。
 この手紙、とくに後半の文章を見て、良寛さんは冷たいな、と思う人もあるでしょう。でも良寛さんは「宇宙の真理」をそのまま示しておられるのです。親しい山田さんが最愛の子どもを死なせて生きる力がなくなっているときこそ、うわべの慰めのことばでなく、宇宙の真理を伝えていくことで逆にともに生きようではないか、と力を与えているような気がするのです。
 71歳の良寛さんは後日、被災地の三条へ出向いて惨状を目の当たりにしてこんな歌を詠んでいます。

 かにかくにとまらぬものはなみだなり
 人のみるめもしのぶばかりに

 「災難に逢うときは災難に逢うがよろしい」と言っておきながら、その実、三条の町を涙を流してオロオロ歩いているのです。ここに良寛さんの真骨頂があるように思います。
 わたしどもは自然の摂理、宇宙の真実を生きています。その宇宙の真実の広さに気がつかないでいると、こころが小さくなってさびしくなります。
 坂村真民さんの「手」という詩を紹介いたしましょう。

 千も万もの手が
 わたしをきびしく
 打ちのめす日と
 千も万もの手が
 わたしをやわらかく
 つつんでくれる日とがある

 「千も万もの手」というのは「宇宙の真理」です。あるときは鞭で打たれたように厳しい。そして同じその手がこのわたしをやわらかくつつむのです。

真理には狂いがないからです。

 片方では宇宙の真実を生きることを目標にしながら、片方では涙を流す、という私があります。涙を流せば流すほど、宇宙の真実がまぶしく、ありがたく見えてくることも事実です。

 大震災・津波・原発の被災者・犠牲者の方々とともに在りたい、と思ってこの文章を書いています。打ちひしがれた荒れ地にも必ず緑の新芽が顔を出します。合掌。

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■第36話:2011年5月

大震災を経験して(2)

 仏教では仏になるためにする修行、あるいは悟りを得るためにする修行のことを「菩薩行(ぼさつぎょう)」と言います。
 菩薩行にはいろいろありますが「四摂事(ししょうじ)」というのが基本形です。いまでも多くの仏教者、修行者が悟りを完成させるためにこの四摂事を実践目標としています。
 具体的に申しますと、つぎのとおりです。

(1)布施(ふせ)・・・・・・・・・・財や法を施すこと
(2)愛語(あいご)・・・・・・・やさしい言葉をかけること
(3)利行(りぎょう)・・・・・人々のためになる種々の行い
(4)同事(どうじ)・・・・・・・人々の中に入り、人々と苦楽をともにし、行動を同じくすること

 このなかで、今回の震災でクローズアップされるのは4番目の『同事』です。「苦楽を前にした相手の身の中に、こちらが入らせていただく」という生き方、いまのことばでいえば「苦しんでいるその人に代わることができない分、こころから、その人に寄り添う」ということです。
 金子みすヾさんの詩に「さびしいとき」というのがあります。

 私がさびしいときに、
 よその人は知らないの。

 私がさびしいときに、
 お友だちは笑うの。

 私がさびしいときに、
 お母さんはやさしいの。

 私がさびしいときに、
 仏さまはさびしいの。

 この詩は4句からできています。私が「さびしいとき」、そうですね、「さびしい」という言葉を「くるしい」「つらい」「死にたい」などの言葉におきかえて読むこともできます。そんな「さびしい」私に、人はどう接しているか、ということを述べています。
 順番に「よその人」「お友だち」「お母さん」と読んでいけば、さびしい私への接し方の変化がわかりますね。普通は第3句の「お母さんはやさしいの」で終わるのでしょうが、みすヾさんはちがいます。最後、第4句がすごいです。「仏さま」がさびしい、と詠むんです。
 「苦しんでいるあなたに代わることができない。だからこそ、あなたのそばに常に寄り添っていっしょに苦しませてください」というのが仏さまのみこころです。そのみこころに近づこう、と努力する生き方を「同事」とよんでいるのです。

 この「同事」、される側から申しますと、仏さまはいつもさびしい私を見ていてくださる、という信念をもつことでもあります。これが生きる力になると思います。
 ことわっておきますが、「仏さま」といいましても「死んだ人」なんて勘違いしないでください。「仏さま」は大いなるお力のことです。

 京都新聞の日曜版に「暖流」というコーナーがあり、ヴォーリズ記念病院のホスピス長の細井順さんというお医者さんが連続執筆をしておられます。4月17日付のお話は「お天道様(てんとうさま)が見ているから」というタイトルで、「ホスピスでは、絶望感から発せられる深い嘆きを訴える人がいる。そんなとき、しんどいけど、みんなで見ているから大丈夫よ。お天道様は、昨日も、今日も、明日もみんなのことをちゃーんと見ていてくれるから」と書いておられました。キリスト者の細井先生が「お天道様」とおっしゃるところ、やっぱり心が広いなぁ、と思いました。
 東日本の被災地。荒涼とした地面にも新芽が出てきていることでしょう。悲痛の我々の傍(かたわ)らで、生きていこうとする生命力があるのです。お天道様、大いなるお力、仏さま、は明日に向かって生きるようにし向けてくださっている、と信じて参りましょう。

天に向かって合掌!

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■第37話:2011年7月

震災を経験して《3》

柴田トヨさんの詩について

 柴田トヨさん、という新しい詩人をご存知でしょうか。新しい、といってもお年は満で100歳。昨年の2月、処女作「くじけないで」という詩集を出した方です。その詩集はあっという間にベストセラーになりました。
 年をとってもトヨさんのようにさわやかに生きていきたい、という人々の思いがトヨさんを世に出したのですね。
 その中から「くじけないで」という、その詩集のタイトルになった詩を紹介いたしましょう。

くじけないで(柴田トヨ)

ねぇ 不幸だなんて 溜息をつかないで
陽射しやそよ風は えこひいきしない
夢は 平等に 見られるのよ
私 辛いことが あったけれど
生きていてよかった
あなたもくじけずに

 どうですか。一世紀を生きてきた人から「ねぇ 不幸だなんて 溜息をつかないで」といわれると、トヨさんに引きくらべて私の不幸なんて小さなもの、と思ってしまいます。生きる力が湧いてくる詩です。
 その詩集の40篇は、私の心の至らなさをあらためて教えてくれる詩ばかりです。
 この柴田トヨさんが、今回の東日本大震災勃発のあと、すぐに被災した人々のことを思って書かれた詩が3月18日の日経新聞に掲載されました。その詩を紹介いたしましょう。

被災者の皆様に(柴田トヨ)

あぁ なんということでしょう
テレビを見ながら ただ 手をあわすばかりです
皆様の心の中は 今も余震がきて
傷痕がさらに 深くなっていると思います
その傷痕に 薬を塗ってあげたい
人間誰しもの気持ちです
私もできることは ないだろうか? 
考えます
もうすぐ百歳になる私
天国に行く日も 近いでしょう
その時は 日射(ひざ)しとなり
そよ風になって 皆様を応援します
これから 辛い日々が 続くでしょうが
朝はかならず やってきます
くじけないで!

 私はこの詩が、先の「くじけないで」と連携していることに感心しています。 昨年、震災前に刊行された処女詩集「くじけなで」では、「陽射し、そよ風は、気がつかないけれど、だれにでも注いでいるもの、苦しいときに生きる力となるもの」と書いています。「苦しいときは陽射し、そよ風に身を任せましょう」とおっしゃっています。
 そして、震災後の100歳になろうとする柴田トヨさんは、「私はもう歳だから死ぬでしょう。死ねば、この私が、苦しいみなさまの《陽射し》《そよ風》になって、応援します」と言っています。
 死んでから人々のために働きたい、という願いをもつトヨさんはすばらしい。なかなか、死んでからの願いを持つ人というのはいなのではないですか。死んでからの願いを持つ人は、その願いを実現するために、いま生きている瞬間、瞬間を、正しく生きようと努力しますね。ですから、こういう人は、いまを輝いて生きていける人ですし、きっと、死に際は美しいし、そして死んでからも、もっと尊い人になるのだと思いますね。

 仏教では「八正道」といって、八つの正しい実践徳目を言います。
 正見(正しい見解)、正思惟(正しい決意)、正語(正しいことば)、正行(正しい行為)、正進(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい思念)、正定(正しい瞑想)。
 なにもこれらの八つをしっかり念頭に置いて実践しなさい、と言うわけではありません。この八つを心かげて生きていきましょう、ということです。そのごく当たり前の積み重ねが、今日の私の生き方を苦しみや悩みを少なくするのだと思います。

 それでは街次回に。

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■第38話:2011年8月

お盆と大震災、そして原発事故

峠三吉さんの詩『にんげんをかえせ』と原発事故

 峠三吉(とうげ さんきち/1917-1953)さんは、1945年8月6日、爆心地3kmの広島市翠町で被爆。戦後は広島を拠点とする地域文化運動で活躍。1953年死没。享年36。
 峠三吉さんの詩で特に有名なのは1951年に出版された「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』です。吉永小百合さんが各方面でこの詩を朗読しておられますのでご存知の方もあるか、と思います。
『原爆詩集』から『序』

ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの
にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ


 この峠さんはこの詩集を出すときに、
 「1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾により命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きているかぎり憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ」といっておられます。

 ヒロシマ・ナガサキを考え、峠三吉さんの詩を読むと、福島の原子力発電所の大事故が重なってきます。
 恐ろしい原子爆弾を、戦後、世界の主要国が(日本も含めて)「原子力の平和利用」という名目で作ったのが原子力発電所です。戦後の日本は戦後復興、国民総生産の増大、国際経済競争勝ち組へ、という至上命令の下、何もかもが市場経済の論理で進んできました。その中で、原子力発電所は「未来のエネルギー」と位置づけられ、「原発は安全」と喧伝され、「より快適・安楽な生活が国民のしあわせ」という世相と結びついて、国民の総発電量の四分の一を原子力発電でまかなうようになってしまいました。
 しかし、原発は「原子力の平和利用」ではないことが今回まざまざと知らされました。福島第一原発の周辺の人たちが放射能汚染でそこに住めなくなってしまいました。農業、漁業、牧畜に従事していた人はその仕事を廃業しなくてはならなくなりました。大切なふるさとを離れ、家族がばらばらになり、生きる縁(よすが)がなくなる、そのうえ、放射能を被災しているのではないか、ということで差別を受けることになります。これが本当に「原子力の平和利用」とは言えません。
 いっぽう、私どもは安楽な世相にどっぷりと浸(つ)かり、あまりにも無関心できたことも事実です。

 原子力発電所の大惨事で出た放射能汚染、これを広がらないようにする努力は私ども総力を挙げてしなければなりませんが、この汚染は急には無くならない、という重い事実があります。また原子力発電で生じた核の廃棄物(核のゴミ)については50年、100年、300年と監視を続ける必要があります。いま、もし福島の原発が廃炉となった場合、その後の管理にどれだけの時間とエネルギーが要るのでしょう。それを担うのは私どもの世代ではなく、私どもの子孫です。

 「先祖があって私がある。私があって先祖がある。
 私があって未来の人たちがある。未来の人たちがあって今の私がある」

 これは人のいのちのつながりを「私」を軸に言った仏教の表現です。
 私どもが作った原子力発電所の環境汚染監視を未来永劫、私どもの子孫がその任を追わねばならない、ということだけは私どもの生き方としてしてはならないこと、と思います。

 これからの生き方を変えれば、過去の生き方が変わります。そして、そのことが、調えられた未来を作ることになるのです。

 原爆で亡くなられた方々に合掌。震災で亡くなられた方々に合掌。今でも原爆、震災、避難で苦しんでおられる方の安穏を願って合掌。南無阿弥陀仏。
 それではまた次回に。

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■第39話:2011年8月

大震災、そして原発事故

自然を考える 征服と融和

 登山についてよく聞く話があります。
 西洋人は登山をして頂上に到着すると「この山を征服した」と表現する、しかし、日本人は登頂しても征服とは言わない、と。
 どういうことか、と申しますと、日本人は、たとえば霊山というのがありますが、富士山がその代表格です。ときどき、白装束に身をまとい、杖をつき、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら登山する人を見るでしょう。山、あるいは宇宙大自然の「気」に自分がつつまれていくことを経験しながら登る。そして登頂すると、天地のみ恵みに感謝をする、という登山です。西洋人は登頂すると記念の品を山頂に埋めたりしますが、日本人は山頂には祠(ほこら)を立てたものです。今でも霊山といわれる山に登ると鳥居が立っていたりします。
 このことは、日本人が、人は自然と融和して生きる、という生き方を示している好例だと思います。

 仏教では、命の構成要素は「地」「水」「火」「風」の「四大」である、とします。命は人に限っているわけではありません。山川草木、一切の生きものの命をいいます。その命ですが、大地がなければ命は生まれない、同じように水がなければ命は生まれない、火(熱)、風(空気)もそうです。「四大」の一つでもなくなると命は生まれない、存在しない、と説明します。まさにそのとおりです。
 この「四大」はじっとしていて命を育てるのではないのですね。つねに揺らぎ、暴れながら命を育てるのです。「地」は揺らいで地震となり、「水」は大暴れして津波となってあらゆる命を飲み込みます。「火」も「風」も同様です。
 寺田寅彦は、自然は「慈母の慈」と「厳父の厳」(の両面)をもっている、といったそうです。
 わたしどもの自然界は《命を奪って次の命を生み出す》のです。自然が災害を起こしますが、と同時に新しい命を生んでくれます。このような自然界の「命」のあり方を仏教では「止まることがない、諸行無常」といい、「無くなる命」と「生まれる命」はおたがい繋がっている、切り離せない、同時である、といいます。この命のあり方を、私どもは、ひらがなで表記して「いのち」と呼ぶのです。
 登山はスポーツだけでなく、自然に対する畏敬の念と謙虚さを育むもので、自然を征服する、という発想はありません。
 話は戻りますが、原子力発電所の建設稼働には、人は自然に勝つもの、征服するもの、という発想が根底にあります。

 新しい循環型エネルギーを考える時期に来ています。自然と融和する生き方。それは私どもが自然に謙虚であり、畏敬の念をもつ事が必要です。まずは都会型の生活にどっぷりと浸かっている今の子どもたちを何とか、自然の営みの中に放り出したいですね。

 それではまた次回に。

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■第40話:2011年9月

彼岸によせて

清らかな心意気と行いを心がけよう

 9月になると「お彼岸」の行事があります。ご存じのとおり、お彼岸は春と秋の年2回、昼と夜の時間が同じになる日、つまり中日を中心に前後3日間、計1週間をお彼岸といいます。太陽が真東から出て真西に沈む、その真西のところが彼岸、お浄土だから、というわけです。
 お彼岸は仏教の「彼岸」という言葉からきています。「彼岸」はインドの「パーラミタ」という言葉の意訳で「悟りの世界に至る」という意味です。この言葉を音のまま写して漢字にすると(音訳)「波羅蜜多(はらみった)」となります。
 「彼岸」に対する言葉は「此岸(しがん)」です。原語は「サーハ」、意訳すると「忍土」、音訳すると「娑婆(しゃば)」です。世間のことを「娑婆(しゃば)」というのはここからきているのですね。つまり、私たちの住んでいる世界は「自分中心の世界」で、その結果、欲や煩悩にまみれて苦しむ世界です。

 仏教は「≪此岸≫から≪彼岸≫に渡れ」という実践を説きます。つまり、私ども苦しみの世界から、清らかな心意気と行いでこころゆたかな世界にわたっていこうとする教えなのです。この心意気と行いを「菩薩行」といいますが、「菩薩行」の実践こそ、仏教であり、私どもの生き方にならなければなりません。

 さて、その「菩薩行」のなかでいちばんよく言われるのは「布施行」です。「布施行 の内容は次の全国青少年強化協議会が作っている子ども用のテキストがとてもわかりやすいので紹介します。大きな声で読んでみてください。

「布施行 を「よろこんで与える人間となろう」と言っています。

よろこんで与える人間となろう

ものがあれば ものを

ちからがあれば ちからを

知識があれば 知識を

みんなに与えよう

なければ自分の中に育てて与えよう

花はうつくしさをおしまず

小鳥はたのしい歌をおしまない

だれにでも 与えている 与えるとき

人はゆたかになり

惜しむとき

いのちはまずしくなる

よろこんで与える人間となろう

 今回の大地震などの被災地で、被災した人どうしが助け合っている様子をニュースなどで見ますね。
 わずかしかない食べ物なのに、自分のものをほかの人に回しているご婦人、家族が犠牲になっているのに行方不明の人を探す消防団員、危険な箇所を這うようにしてたどり着いて一人暮らしのお年寄りを励ます介護職員、等々。
 つらいけれど、人間ってすばらしいです。
 生きる、ということは おたがいが、与え、与えられながら、手を取り合って、一人ではないんだ、ということを実感し、よろこびあうことですね。

 大震災後、希薄だった人のつながり、絆が少しずつ戻ってきた感じがいたします。うれしいことです。今月は「お彼岸」。あらためて「菩薩行」の実践、とくに、この「与えあう」という生き方に心をとどめて、清らかな心意気と行いをするようにいたしましょう。相手にも喜んでもらえますが、何よりも自分がいちばん、心が豊かになります

  今回は「お彼岸」のお話でした。それではまた次回に。

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■第41話:2011年10月

いのちのつながり

彼岸花(ひがんばな)におもう

 秋のお彼岸が済み10月になりました。私のお寺・恵光寺のある町にはもう田んぼが少なくなってしまい、この時期に咲く彼岸花(ひがんばな)はわずかしか見ることができなくなりました。でも彼岸花が咲くと、その鮮やかな朱紅と高い青い空とがあいまって、いかにも秋になった、という感じがするのです。
 彼岸花は名前のとおり、秋の彼岸ごろに田の畦(あぜ)や堤、墓地などに咲きます。
 30センチくらいの節も葉もないスッと伸びた1本の乳白色の茎の先に朱紅色の花を咲かせます。花被は6本で外側に反り、雌しべや雄しべが長く突出していて炎のような独特の形を作ります。
 私が小さいころは、友だちと田んぼのあぜ道で彼岸花を摘んでは首飾りや勲章を作って遊びました。一本の彼岸花を根元から手折(たお)って、その乳白色の細長い茎を根元のほうから指の一節くらいの長さで、左、右、と茎皮を残してぽきぽきと交互に連続して折って作っていくのです。

 さて、彼岸花の別名は実に多く、その数は何百もあるといわれます。
 天上に咲くかのような高貴な姿から、法華経に出てくる仏国土の花「曼珠沙華 と呼ばれます。形から「天蓋花(てんがいばな) 。葉っぱがヘラ状で刀のようになっているので「カミソリ花 。根に毒があることから「死人花(しびとばな) 、「地獄花(じごくばな) 、「幽霊花(ゆうれいばな)」など、忌み嫌われる別名も多く分布しているようです。
 ここで注目したいのは、この彼岸花、葉と花を同時に見ることができないから「捨子花(すてごばな) 、「親知らず などとも呼ばれることです。

 彼岸花の葉は花が咲き終わると初冬に小さなカミソリのような葉が目を出し、そのうちモコモコと群生した状態になります。そして初夏6月ぐらいになると、その群生していた葉は枯れてしまい、全部消えてなくなってしまいます。そして、秋の彼岸前になると何にもないところから乳白色の小さな茎だけが目を出すのです。彼岸花の花は、母とも呼ぶべきカミソリのような葉の群生を見ないで大きくなるのです。
 そこで、人々はこの花のことを「花も親知らず 子知らずの花」と呼び、「親知らず」という異名をとったのですね。(ちなみに、韓国ではこの花のことを、花と葉が顔を合わせることがないので「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華(そうしか)」と呼ぶのだそうです。)

 さて、本題です。今回の地震・津波で多くの身内を亡くした方がいっぱいおられます。若い親が子どもを残して亡くなってしまい、祖父母が子どもの面倒をみて育てている、というニュースを読みました。
 そんな時、この「彼岸花」の「親知らず」の話を思い出します。この世ではもう二度と見(まみ)えることのない親子です。でも、この彼岸花のように生きていってほしい。

子どものあなたよ、

あなたには

育ててくれた親のおもい、ねがいがいっぱい

あなたの 体の中につまっているのだ

だからそれを栄養として大きくなっていくんだ。

と。

 つまり、あなたと亡くなったお父さんやお母さんのいのちは永遠につながっているのだ、と無理にでも思ってほしいのです。
 周りの人たちも、親を亡くした子どもには親のおもい、ねがいという栄養がいっぱい貯蔵されている、と信じ、その親のおもい、ねがいを子どもといっしょに探しながら、その子どもを見守り育てていっていただきたいのです。
 私は僧侶なので、こういう仕事はとくにお寺のお坊さんにしてもらいたい、と思います。
 そういう意味では、韓国の「相思華(そうしか)」という呼びかたはいいですね。「葉は花を思い、花は葉を思う」をそのまま置き換えて「亡き親は子を思い、子は亡き親をずうっと思う」という関係になりますから。

 彼岸花を見ながら、このようなことを思い、手を合わせています。
 それではまた次回に。

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■第42話:2011年11月

いのちのつながり

さだまさしさんの「いのちの理由」

 今年は法然上人800回の大遠忌です。法然上人のお念仏のみ教えを現代に活かそう、とみんな努力をしています。その中で浄土宗が法然上人のみ心を歌にして、と、歌手のさだまさしさんに作詞作曲を委嘱しました。そこでできた曲が「いのちの理由」です。さださんのすばらしい歌と演奏と相まってその歌詞が胸にひびいて染み込みます。

 私が最初にこの歌を聴いたのは、奇しくも恵光寺坊守・妻芳子が亡くなった時期でした。ですからこのCDを聴くたびに、芳子のことをいっぱい思い浮かべました(今もそうですが)。ほんとうにこの歌のとおりです。私たちが生まれてきたわけは大事な人に出あうためだったのです。私は芳子に出あうためにこの世に生まれてきたのだ、みんなに出あうため、そうして、仏さまに出あうためにこの世に生まれてきたのだ、と思えるのです。
 長いですが、歌詞を紹介します。

「いのちの理由」

私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため

春来れば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生きているんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため

 この歌の中、とくに心惹かれる箇所は
「私が生まれてきた訳は 何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は 何処かの誰かに傷ついて」

というところです。

 私はこの歌詞のとおり、周りから傷つけられて生きて来ました。でも、それ以上に私は人を傷つけてきたのです。なかでも妻・芳子に対しては最たるものでした。
 それでも、ほとけさまは「そんなおまえでも許すぞ」とおっしゃってくださっています。この歌を聴いていると、お前を許すぞ、今のお前のままでよろしい、という大いなる声が聞こえてくるのです。そして、私はいま、ここに、私のいのちを生きているのだ、ひとりではない、と思うのです。
 さだまさしさんの歌詞の最後のフレーズ、 「私が生まれてきた訳は 愛しいあなたを護るため」
というところは、生きていてよかった、と心底、思わせるフレーズです。
 仏さまに護られているからこそ、あなたを堂々と護ることができるのです。
 そして、「愛しいあなた」とはだれですか。わたしにとっては、両親、家族にはじまって、いろんなひとびと、そして芳子、最後は「仏さま」に行くのですね。
 ぜひ、みなさんもこの曲を聴いてみてください。
 また次回に。ありがとうございました。

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■第43話:2011年12月

いのちのつながり 仏教と福祉

ひとりぼっちになること、これはさびしい。
相手の心に寄り添う生き方こそ求められる生き方

 このごろ、地域の福祉関係の研修会やワークショップに出る機会が多くなりました。福祉問題というと、生活面、経済面で、あるいは病気など健康上の問題で健全な生活が立ち行かないことをいうのが多いと思います。また高齢、障害、子育てというふうに分野別で考えることもあります。今度の東北大震災でいわれるように、被災した人たちの心の問題も福祉問題です。 複雑な世の中でいろんな悪い条件が重なって、その人がひとりぼっちになること、これが福祉問題でいちばん問題視されるところです。 子育てていえば、親が子育てで孤立し、そのあげく、子どもを虐待する、ということは大きな社会問題になっています。子どもを虐待することは決して許されることではありませんが、そうしてしまう親の悩み、環境を考えることが福祉の場面です。 ここで大事なのは、親が子どもの人格を認めているか、ということです。いえ、おおよそ、どんな人でも目の前の人の人格を認めているか、が問われています。
 生活が辛く、苦しく、もうイヤ、というとき「死のうとは思わないが生きる力がなくなる」ことはいっぱいあります。 そんなとき、それでも生きていてよかった、と思えるようにするにはどうすればいいでしょうか。 それは、自分は認められている、今の自分のままで生きていてよい、と思えるときです。

 子育てでいうとこんなことがありますね。
 子どもが転んで「イタイッ!」というと親は「痛くないっ」と答えるでしょう。それは、子どもを強く育てなければならない、という親の気持ちがそうさせています。しかし、子どものほうからすれば「痛いから痛い」といっているのにどうして親は痛くない、というのだろうか。ボクを認めていないのかな、ということになります。
 同じように、虐待の場面で「この子が泣き止まないから」という親のセリフを聞くことがあります。ことばを発することができない子どもは、怖さや身に迫る危険をワアーと大声で泣いて訴えます。このとき「泣くな!」と怖い顔で叱るとますます泣きます。それを繰り返していくうちに「泣き止まないから折檻をした」となります。子どもからすれば、泣いて訴えているのに、なぜ聞いてくれないのか、ボクは要らない子か、と思って最後には親を恨み、敵視するようになります。

 金子みすヾ記念館の館長である矢崎節夫先生は、日本の多くの小学校を回っていのちの講演をしておられます。子どもたちに先生はこう訊くそうです。『君たちはお父さんやお母さんから、おまえはわたしたちの宝物だよ』って言われたことがありますか」と。
 するとほとんどの子どもたちは言われたことがない、と答えるそうです。少し前の時代なら、ところが、大震災後、仙台などの小学校に行って同じ質問をすると「宝物って言われた」という子が増えてきているそうです。どん底の境遇にあって、やっぱり生きる力になるのは子どもだ、ということがわかります。

 高齢者でもそうです。ひとりぽっちのお年寄りがいます。好きでひとりぼっちならいいのですが、置いてきぼりでひとりぼっちというのがあります。その人たちは実にさびしい。声をかけてくれない、名前を呼んでくれない、当てにされない、自分の人生の来し方に共鳴してくれる人がいない、これが置いてきぼりを食らった孤独のお年寄りの状態です。
 小学校の総合教育などで、小学生たちに野菜の作り方を教えている農家のお年寄りがいます。やっとできた野菜を子どもたちが料理をして教えてもらったお年寄りにありがとう、といって食べてもらいます。そのときのお年寄りの笑顔!。大袈裟ですが「ワシは仕合わせじゃ」ということになります。
 そう考えると、仕事で一所懸命のわたしども壮年組も、仕事で自分を忘れて、相手を認める時間がなく、その結果、おたがい孤独でさびしいときがあります。

 ここで、私が申し上げたいのは、相手を認める、ということ、つまり、相手の心に寄り添うことが大事、ということです。
 相手の人格を認めれば、相手も私のことを認めてくれていることがわかります。相手と私とが二人で一つになった瞬間です。そのとき「しあわせ」という言葉が出てきます。おたがいが相手を思いやって仕え合うからです。しあわせは「幸せ」という字より「仕合せ」と書いたほうがいいのです。

 じつは、私が相手を認める、という努力の前に、こんな私をとっくの昔から認めてくださっている方がおられるのですね。そうです。ほとけさまです。今日、今ここに苦しい、つらい、と言いながら、なお、このように生きていることができるのは、それでよろしい、と言い続けてくださった大いなる力のおかげです。私どもはその大いなる力を「ほとけ」としか呼びようがないので「ほとけさま」と申します。
 ほとけさまはいつも私を認めてくださっています。金子みすヾさんの詩を紹介いたしましょう。何べんもこの詩を紹介しますが、改めて声を出して読んでみてください。とくに最後の第4句、「ほとけさまは・・・・・」のところこそが、この詩のいちばんすごいところです。

「さびしいとき」  金子みすヾ

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。

わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。


 私が坊さんであって、なおかつ、福祉の分野で学んでいきたい、活動したい、と思うのは「人の心に寄り添う」ことをめざす自分が、実はほとけさまのほうから認めてくださっている存在なのだよ、と頂戴したいから、関わっている、ということも言えます。福祉と仏教は原点が同じ、と言いたいのです。
また次回に。ありがとうございました。

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■第44話:2012年1月

ブータン国王のスピーチ

あなたの心の中には龍が住んでいる。龍は経験を食べて大きくなるのです。

被災地の子どもたちに

 ブータンという国をご存知ですか。インドとチベットに挟まれたヒマラヤ山脈南麓にある人口70万人、国の広さは日本の九州くらいの仏教国です。

 この国は「国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう)」というものを指針とし、国民の精神的な豊かさがいちばん大事、としています。 これに対し、世界のほとんどの国は「国民総生産 、つまり経済的、金銭的・物質的にいい状態が国民の豊かさだ、としています。

 さる11月18日、ブータンのとても初々しい国王カップルが国賓として日本にやってきました。ワンチュク国王(31)と、結婚ひと月のジェツン・ペマ王妃(21)のお二人です。

 国王は日本の国会で演説をしましたが、聴衆は議事堂からあふれ出たそうです。国民の幸せは物質ではなく精神的なものだ、というブータン国王の姿を人眼でも見て確かめておきたい、と思った国会議員が多かったのですね。

 そしてお二人は福島県の原発被災地を訪れ、相馬市の桜丘小学校を訪問されました。

 この小学校でもお二人は人気の的で大歓迎を受け、気さくに子どもたちに交じっていっしょに写真に納まる姿はとてもほほえましいものでした。 小学校では国王が子どもたちにお話をされました。ブータンの国旗は龍の絵が描かれていることを紹介して、そして子どもたちに質問をしました。

「龍は何を食べて生きていると思いますか」

と。

 するとほとんどの子どもたちは間髪をいれずに「水っ」と答えました。(被災した子どもたちは水をとても大事にしていることが伝わりました)。そこから国王はやさしく話を継いで行かれました。

 「龍はみんなの心の中に住んでいます。そしてあなた方の経験を食べて大きくなっていくのです。あなた方が強く生きていこうとすれば龍はその経験を食べて強く大きくなります.あなた方もいっぱい経験を積んで、あなた方の中にいる龍を大きく養っていってください」と。

 さわやかに話されるワンチュク国王とそばにいて笑顔で相槌を打つペマ王妃に教室の子どもたちは大拍手でした。いいえ、子どもたちだけではありません。それを知った私も大拍手です。

 私の中に龍がいる、辛い、苦しい、悲しい、あるときは楽しい、うれしい、そんな経験をこれからしていくわけですが、私の中には私の経験を食べて大きくなる龍がいる、というのです。龍はその人の中にいてその人の経験を食べて大きくなる、なんとすばらしいお話でしょう。私どものまわりにはお年寄り、壮年、子どもたち、赤ちゃん、といろんな世代の人たちがいます。たとえば年をとった人が横にいたとしたら、この人は年をとった分いろんな経験をしているわけですから、その人の中に住んでいる龍もまた大きいのです。

 人と接するとき、その人の中にすばらしい龍が住んでいる、と思っていけば、相手を敬うことができます。相手もこんな私にも龍がいる、と接してくれるのです。

 お互い認め合う生き方は国を作るときとても重要なカギです。それどころか認め合うことはおたがいが幸せになることです。そう、このときの幸せは「仕合せ」という字がぴったりです。なぜなら、「仕合せ」と書けば、おたがいが「仕え合う」、おたがいを大切に「仕合(しあ)う」ということになりますものね。

 そのあとブータン国王夫妻は被災した海辺に立って静かに合掌してこうべを垂れておられました。そのお姿は印象的で、福島の人々に勇気と希望を与えたことでしょう。

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■第45話:2012年2月

2012年の宮中歌会始

京都左京区の大石悦子さんが入選

鴨川の作をあじわいましょう

 新春の宮中行事「歌会始の儀」が1月12日、皇居で行われました。今年の題は「岸」。皇族の歌が紹介された後、一般入選者の作品が披露されます。一般の入選は18,800首の中から選ばれるそうですね。大変な競争率です。その中にわが京都は左京区の主婦の大石悦子(57)さんがおられました。
入選作は次の歌です。

とび石の亀の甲羅を踏みわたる 対岸にながく夫を待たせて

 大石さんは今年のお題が「岸」と知ったとき、即座に思い起こしたのが、夫と散歩の途中に渡った鴨川の「亀石」の情景だったそうです。 鴨川には、丸みを帯びた亀をかたどった飛び石が並べてあり、それを歩いて向こう岸に渡るようにしてあるところがあります。大石さんはその石を落ちないように踏みわたるのですが、先に飛び石を歩いた夫はすでに対岸に上がってこちらを向いて遅れてわたってくる自分を待っていくれている、というのです。とても幸せな光景です。大石さんはこの幸福感とともに、川を渡るということを人生になぞらえたのです。

 大石さんは天皇、皇后両陛下から歌の場所を聞かれ、「出町柳です」と答えたといい、「対岸に待つという行為に死者と生者(しょうじゃ)の関係性が重なってしみじみとした感情になった、と申し上げました。とても両陛下には共感していただきました」ということです。
 大石さんは言うのです。「夫がこちらを向いて待っている光景を思い浮かべ、ふと思ったのです。彼岸と此岸(しがん)。生と死。待ってくれる人がいるとは、なんと幸せなこと。この気持ちを歌い込みたかったのです」と。 鴨川を渡る夫婦二人は同じ西の岸に向かって歩いているのですが、先に彼岸に到達した夫が今度はやさしく此岸の私の歩み方を見守り待っていてくれている、という歌です。

 大石さんは富山県氷見市の出身。大学教授のご主人の転勤で約20年前に京都に来たそうです。居住地が変わったこともあって、余計におたがいを思いやって生きてこられたのでしょうか。夫婦がおたがいを思いやりながら生きる、という積み重ねは、今生(こんじょう)だけに終わらず、彼岸に渡ってからもふたりずうっといっしょ、ということを教えてくれています。
 仏教ではこのことを「俱会一処(くえいっしょ)」と言います。亡くなるときは別々ですが、ほとけさまの国に生まれて再会をし、しっかりと手を握りあい、もう離れない、ということです。
 だって、この世でいっしょになった二人は、ほんとうに不思議な出逢いをし、そしていっしょになったのです。相手は私のことを思い体を張って守る、同時にこちらも相手を思い、守る、そんな間柄なんですもの。 今生だけでその縁が尽きる、ということはありませんよ。それを信じてまいりましょう。
もういちど大石さんの歌を声を出して詠(よ)んでみてください。

とび石の亀の甲羅を踏みわたる 対岸にながく夫を待たせて

それではまた。

 

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