恵光寺 和尚の法話

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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。

 

■第91話:2015年11月

人生、終わればどうなる 仏教的ミカタ

人は死ぬとそれでおしまいか

ほとけさまの国に生まれる、と思いましょう 四季の移り変わりと人生

自然を見ますと、春に木々は芽吹き、夏は緑でいっぱいになり、秋は葉が落ちだし、冬になると、山々は灰色になり、実にさびしくなります。
人生もこのような変化をします。
◎春 青年期。子どもの時期から青春時代。希望に燃える時期
◎夏 勤労期。額に汗して、家族のため、人々のために一所懸命働く時期
◎秋 円熟期。収穫を経験し、現役人生から一歩退き自分を省みる時期
◎冬 老年期。視力や聴力をはじめ、体力全体が衰え、終末を迎える時
いかがですか。
ただ、自然は、冬がすむと、また春になって、木々は芽吹きだし、新しいいのちを私どもに見せてくれます。これは「四季のサイクル」です。

人生にも四季と同じように「サイクル」がある

さて、「四季のサイクル」にあわせて、「人生のサイクル」があります。そう言いますと、そんなことはないだろう、人生は一度で終わってしまい、それっきりだよ、という人もあるでしょう。しかし、四季と同じように「人生のサイクル」は「ある」のです。いや、「ある」と信じて生きていくことがしあわせの道です。

あらゆるものからいのちを戴いて生きる私たち

私どもは、太陽、空気、水、大地、など、あらゆるものからいのちを戴いて生きてきました。いや、生かせてもらってきました。この「あらゆるいのちの恵みは、この私ひとりを育てようとするために、存在しているのだ」と目覚めたとき、そのいのちの恵みに感謝をし、あるときは手を合わせます。昔の人はこれを「おかげさま」と言いました。
付け加えて言いますと、私が生まれる、という厳粛な事実は、それ以前のいろんないのちのご縁が重なりあってのことです。そう考えますと、いのちはつながっている、ということを確認することができます。
仏教では、いろんないのちのつながりの中に、いまの私が在る、という事実を「あらゆるいのちの力」つまり「ほとけとしか言いようのない力」が私を育て、生かそうとしている、と戴き、喜びの生活に変えるのです。

人生の「冬」のあと、新しいいのちの「春」が来ます

百歳の詩人、柴田トヨさんは「くじけないで」という詩を書きました。
ねぇ、不幸だなんて
ため息をつかないで。
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は 平等に見られるのよ
と言って、世の人びとを驚かせました。そしてトヨさんは亡くなる前に、
もうすぐ百歳になる私
天国に行く日も 近いでしょう。
その時は 
日射しとなり そよ風になって 
皆様を応援します
といいました。ここで「天国」といっていますが「ほとけさまの国」のことです。
亡くなることは人生の最後ではなく、新しいほとけさまの国に生まれて、こんどは人々を応援する、そんな希望をもって「来る春」を謳っているのです。これが私どもの「人生のサイクル」です。
「ほとけとしか言いようのない力が私を育ててくれている」ことに目覚めた私どもは、この世のいのちが終わっても、こんどはほとけさまの国から、その「ほとけとしかいいようのない力」の一部になって、次の人びとを応援する人になるのです。そんな心意気で人生を送っていきましょう。

それではまた次回に。

■第92話:2015年12月

仏さまは、ひとときも忘れることなくこんな私を抱いて下さっている

念仏は「ありがとう」ということ

西山上人のお歌をあじわいましょう 西山上人さまのお歌

わたしどもの宗派が勧めているのは「念仏」をキーワードに生活をする教えです。
そのことを派祖の西山上人さまは
生きて身を 蓮(はちす)の上に 宿さずば
念仏申す 甲斐や なからん

という歌で示してくださっています。
800年も昔の歌、と思われるかもしれません。しかし、わたしどもの宗派の教えの根本を示しながら、なお、いまの時代に当てはめて考えなければならない大事なお歌です。
「いまの世に生きているこの私が、いま確固たる心の安らぎを得ないようなら、ほとけさまにありがとう、と申し上げる意義はないではないか」
という内容です。

少し補足します。
お歌の冒頭に「生きて」とありますが、これは、いま私がこの世に生きている、たいへんないまの時代をいいます。そして「身を」とありますが、これは「私」自身のことであります。どんな「身」か、みなさん、胸に手を当てて考えてみてください。よおく自分のことを考えてみると、わが「身」は仏さまの眼から見て、よく調えられた「身」ではなく、とても救われない、よくない「身」、と思いませんか。

皇子であったお釈迦さまは立派な宮殿は真の「在り処」ではなかった

仏教をはじめてくださったお釈迦さまは皇子で、将来は王を約束された人でした。ですから、父である王さまは皇子を幼少のときからとてもだいじに育てました。悩みや苦しみのない生活をさせるために、季節ごとにすばらしい建物や庭を作り、楽しいことをいっぱい与えた、といいます。でもお釈迦さまは、ほんとうの人生は「苦」であり、お城のそんな快楽は真の心の安定につながらない、と見抜いて、お城を捨て、出家修行の世界に入ります。
そしてついに「苦」から解放される道をさとり、真の「在り処」を得られたのです。
そう考えると、私どもも、たとえば、いま住んでいる家がいくら立派だからといって、その家が真に心の安住の処か、というと、家の中は家族のしがらみなど、なかなかそうはいきません。
このお歌がいっている「蓮(はちす)」とは何ですか。そうです、揺るぎのない自分の真の居場所「在り処(ありか)」です。
名もなく、貧しく、世の片隅にありながら、こんな私を、仏さまは、お慈悲の心でひとときも忘れることなく抱いて下さっているのです。こんな確固とした私の「在り処」はほかにありますか。この状態を「蓮(はちす)にやどす」と申し上げるのです。

念仏は「ありがとう」ということ

このことが領解(りょうげ)されていきますと、少しずつ、仏さまに「ありがとうございます」という気持ちがわいてきます。念仏、というと「南無阿弥陀仏」を申すことですが、念仏を申すということは、つまるところ「ありがとうございます」と心からお礼をいうことです。
この辛い時代にありながら、確固たる心の「在り処」を戴いている自分に出逢って、「ありがとうございます」と念仏を申し上げることができるのは、とてもうれしいことなのです。

それではまた次回に。

■第93話:2016年1月

年のはじめに 坂村真民さんの詩を味わいたいと思います

二度とない人生だから

中国は明の時代に編纂された『月令広義』という、年間行事の解説本に「四計」というのがあって、

一日の計は晨(あした)にあり。

一年の計は春(正月)にあり。

一生の計は勤にあり。

一家の計は身にあり。

と書かれてあります。

一年の計は元旦にあり、というのもこの辺から言われるようになったのでしょうか。

さて、今年はじめの「亮淳和尚の5分間法話」は坂村真民さんの「二度とない人生だから」を掲載いたします。
坂村真民(さかむらしんみん/1909 -2006)さんは仏教詩人。時宗の一遍上人の生き方に共感し、一遍上人のふるさと・愛媛県松山
「たんぽぽ堂」を作って詩作活動をしました。いのちの偉大さ,とうとさを謳い、生きる力を与える、それが真民さんの詩です。
新しい年の初めに「いのち」を見つめて、生きる方向を教えてくれる真民さんの「二度とない人生だから」を、声を出してお腹にしみこむように読んでみましょう。
新しい年を生きる力が湧いてきます。

 

二度とない人生だから

一輪の花にも

無限の愛を

そそいでゆこう

一羽の鳥の声にも

無心の耳を

かたむけてゆこう

 

二度とない人生だから

一匹のこおろぎでも

ふみころさないように

こころしてゆこう

どんなにか

よろこぶことだろう

 

二度とない人生だから

一ぺんでも多く

便りをしよう

返事は必ず

書くことにしよう

 

二度とない人生だから

まず一番身近な者たちに

できるだけのことをしよう

貧しいけれど

こころ豊かに接してゆこう

 

二度とない人生だから

つゆくさのつゆにも

めぐりあいのふしぎを思い

足をとどめてみつめてゆこう

 

二度とない人生だから

のぼる日 しずむ日

まるい月 かけてゆく月

四季それぞれの

星々の光にふれて

わがこころを

あらいきよめてゆこう

 

二度とない人生だから

戦争のない世の

実現に努力し

そういう詩を

一遍でも多く

作ってゆこう

わたしが死んだら

あとをついでくれる

若い人たちのために

この大願を

書きつづけてゆこう

それでは今年もどうぞよろしくお願いいたします。

■第94話:2016年2月

「母」という字

慈悲の涙が「母」という字を作っています

「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し」ということわざがあります。
そこで今回は「父」と「母」の漢字の成り立ちを考えてまいりましょう。
まず「父」。「父」という字は「斧(おの)」の頭部を手で持った形からきています。「斧」は鉄でできた儀礼用のもので権威を表します。つまり「父」は権威のある人、指揮をする人、という意味です。家族をまとめ、導く人、といえます。次に「母」。「母」は「女」からきています。「女」だけでは「母」になりません。子どもができて授乳するからお乳を表す「:」が必要なんです。「女」に「:」をつけて「母」になります。

河野進さんという人の詩に、

「母」という字を横にしてごらん
やさしいお目めがふたつでしょ
うれしいお乳がふたつでしょ
だれがこんな字 こしらえたんでしょう
きまってます 赤ちゃんです

というのがあります。「母」という字のいわれ、わかってきましたね。
さて、もう一つ、「母」の字について。
長崎の原爆で息子を亡くした母のところに息子の亡霊が現れて話が進んでいく『母と暮らせば』という映画がヒットしています。監督脚本は山田洋次さん。母役が吉永小百合さん、息子を二宮和也クンが演じています。山田洋次さんは「男はつらいよ」の寅さんシリーズで有名です。先日、その山田洋次さんについての特集をテレビで見ました。山田洋次監督がいかに「母」をうまく描いたか、という話で、笑う母、よろこぶ母、そういう「母」像を彼のいろんな映画のシーンから取り出して見せていくのです。母役をする女優さんがたくさん出てきますが、みんなとても演技がいいのです。とくに「泣く母」のシーンは圧巻でした。いろんな女優さんが子を想ってなく「母」を演じているのですが、どの女優もアップで映され、涙を流し、悲しみ、泣くのですが、これがまた実に美しいのです。泣く姿の奥に子を想う愛しさが感じられるからです。監督もすばらしいけれど、演じる女優の力量もすごい、と思いました。と、その時、「母」という字は「女」という字に、子を想って泣く涙を表す「:」がくっついてできています、という画面になったのです。これにはびっくりしました。だって「母」は「女」にお乳の「:」でできている、とずうっと思い込んできたのですから。

「母」という字は、「女」という字に、悲しい涙、もっと言えば、慈悲の涙「:」とがいっしょになってできている字、と再認識した次第なのです。
みなさんは「母」という字のこと、どう思われますか。      それではまた来月に。

■第95話:2016年3月

だいじなものはかならず目の前からなくなっていく
翼のしずくで森の大火事を消そうとするオウム

お釈迦さまが次のようなお話しをされました。

ヒマラヤ山の麓に大きな森があった。多くの鳥や獣たちがそこで静かに穏やかに住んでいた。しかしある時この森が大火事となり、そこに住んでいた動物たちはみなな隣の高い丘に避難をした。ところが、一羽のオウムが燃え盛る森の炎の中を飛んでいるではないか。よく見るとそのオウムは近くの池に行っては翼を水に浸して、空に駆け上ってはその雫(しずく)を炎の上にかけているのだ。たゆまずにこれを続けているオウムに対し、丘の上から動物たちが、「やめよ、やめよ。そんなお前の小さな翼の雫でこの大火事が消えるわけがない。そのうちお前も焼け焦げになって死んでいくではないか。やめよやめよ。
と言った。

そのとき、そのオウムは答えてこう言った。
「そんなことはわかっています。でも育ててくれたこの森に対して私は恩を思い、慈悲の心からこうしているのです。私はこの世で出来なくても、次の生に及んでもこの火事を消し止めます」と言った。

これは『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう』というお経に示されているお話です。みなさん、このオウムの行動をどうお思いになったでしょうか。

みんなを育ててくれた大事な森が、ある時突然の火事で目の前からなくなっていくのです。これとおなじように、自分を育ててくれたかけがえのないものが、ある時、目の前からなくなってしまう、ということは必ずあります。 大事なもの、大事な場所、大事な仕事、大事な人、そういう自分の目の前にあるものが、急になくなるという、ことは、言葉に表せないほどに辛く悲しいことです。

私たちは、この大事なものが目の前からなくなっていくとき、そのなくなっていくものを惜しみ、嘆き悲しむだけでいいのでしょうか。
お釈迦さまは「大事なものはかならず目の前から消えてなくなっていく とおしえておられます。じゃあ、どう思えばいいのでしょうか。

それはこうでしょう。
大事なものはかならずなくなります。しかし、それは、それがなくなるまで、ずうっと私を育ててくれたものです。育ててくれた、という事実は決して消え去ることはありません。だからこそ、そのなくなったものに恩を感じ、その存在の意味を抱きながら、それを栄養にして新しい段階を生きていく。それが私たちのあるべき生き方であり、ひいては心の平安につながるのです。

だいじなものを失ったことによって、自分のこころが大きくなる道に出逢う、、ということがある、ということですね。

ではまた。

■第96話:2016年4月

「忍辱(にんにく)」・・・耐える、ということ

仏教の教えに六波羅蜜(ろくはららみつ)というのがあります。悟りの境地、心の平安の境地に近づくための6つの修行ということです。つまり、仏教的安心の生活をするための生活指標です。この6つの生活指標の中の1つに「忍辱(にんにく)」というのがあります。これは「耐える」ということです。
『鋸喩経(こゆきょう)』というお経に、相手が時を守っていないとしてもこちらは時を守ろう、相手が真実でないこといってもこちらは真実を語ろう、相手が乱暴に出てきてもこちらは柔らかい心でいこう、相手が自分本位であってもこちらは思いやりを失わずに接しよう、相手が憎しみの心をもってやってきてもこちらは慈しみの心を忘れず接していこう、と示されてあります。
「相手がどんな悪い態度で出てきても、こちらは怒りや憎しみの心を起こすのではなく、耐えて慈しみの心をもって接していく」という姿勢。そういう姿勢でいると、つまり、相手を思い、真実に忠実であり、利他、慈悲の心で接すると、争いは起こらないし、相手を傷つけないし、また自分の心も悩むことがない、ということであります。
日野原重明さんという104歳のお医者さんがおいでになります。この方は日本だけではなく世界中の方々に声をかけて「新老人の会」を作って広げておられます。
この新老人の会に3つの理念というのがあります。
1、愛し、愛されること
2、創めること
3、耐えること
とくに、この3番目の「耐えること」についてのコメントは「耐えることによって、他人の痛みが共感できるから」としています。
私どもが「耐える」ことを生活指標とするのは、結局のところ相手の心に寄り添うことができる、そんな自分になっていくことができるからです。
戦後、日本は経済至上主義でがむしゃらにやってきました。その結果、相手を思い、相手の心に寄り添う、とういう大事な生き方をおろそかにしてきました。ですから、若い人たちにそのことが伝わらなくなってしまいました。これは私ども高齢者の責任ですが。
これから未来のある若い人たちにこそ、この相手に寄り添うという生活指標を行動の中で培い、生きる力としていってもらいたいと思うのです。そうやってほんとうにしあわせな社会をつくっていってほしいのです。

ではまた。

■第97話:2016年5月

良寛さんの「震災時の手紙」

この4月14日の夜と16日の午前1時すぎの2回、熊本地方で震度7を記録する大地震が発生しました。その後も余震が続き、現地の人々の不安はいかばかりか、と思います。あらためて亡くなられた方に哀悼の意を表し、被災された方にお見舞い申し上げます。
今回は地震関連で、良寛さんのお話を紹介いたします。
子どもと手毬で遊んだエピソードで知られる良寛さん(1758―1831)のことはみなさんよくご存じか、と思います。良寛さんは越後の人、今でいう新潟県の人です。この越後というところは昔から地震の多かったところでした。
1828年11月12日、良寛さん71歳のとき、現在の三条市を中心に地震が起こりました。「三条の大震」と呼ばれる大地震で、マグニチュード7と推定され、当時で死者1400人余り、倒壊した家屋は11000戸と伝えられています。
この時、良寛さんは友人の山田杜皐(やまだとこう)さんが被災し、子を失ったことを聞いて、次のような短い手紙を送っています。
地震はまことに大変に候。野僧、草庵は何ごともなく、親類中、死人もなく、めでたく存じ候。
うちつけに しなばしなずて ながらへて かかるうきめを見るが わびしさ
しかし災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ、災難をのがるる妙法にて候。かしこ。

この手紙、三つの部分でできています。
まずは冒頭。「この度の地震は、ほんとうに大変でしたね。私の草庵は何ごともなく、親類で亡くなる者もいませんでしたので、さいわいでした」と、見舞いと自分の近境をのべています。
二番目は歌です。「突然の地震。私みたいな年老いたものが死ぬこともなく生き永らえてしまい、このような辛いことを見てしまいました。ああ、本当につらいことです」と。
最後が後世、有名になった文句。「しかしながら、災難は遭うものだ、死ぬ時には死ぬのだ、という自然の摂理に身を置いて、心定めていることが災難をのがれる唯一の方法でありましょう」。
良寛さんのこの短い手紙の最後はややもすると冷徹なものに思えるかもしれません。しかし、良寛さんは「災難や子どもが死ぬのは当たり前のことじゃ」と言い放っているのではありません。その歌にありますように、山田杜皐さんのつらい心のうちを自分の身に置き換えて寄り添っておられます。
そして、良寛さんはその後、そおっとその三条の震災現場を訪ね、次の歌を詠んでいます。
かにかくに とまらぬものは 涙なり
人の見る目も しのぶばかりに
現場へ行った良寛さん、地震後の惨状を目の当たりにし、被災した人々に思いを寄せながら、人目を忍んで泣いた、というのです。

人は悲しい事件を体験しながら生きています。その最たるものが災難であり、死であります。しかし、これは私ども、生きている以上、避けることのできない事実です。
良寛さんは災難、死を正視しながら、なお、悲しんでいくことが、それを乗り越えていく道だ、とおっしゃっているのだと思います。
私どもも罹災した方々に対し、他人ごと思うことなく、わがこと、と思って心寄り添っていくよう努めねばならない、と思っているところです。また次回に。

■第98話:2016年6月

授業で「誕生学」 両親に感謝

お読みになった方もあると思います。先月の朝日新聞の「声」欄、それも母の日にあわせて採用された「若者の声」です。
投稿者は中学生の杉原玖美さん。大阪府在住で13歳、とありました。心に残る投書でしたので紹介します。題は ≪授業で「誕生学」両親に感謝≫。

私は赤ちゃんを産んだことなんてありません。だから助産師さんから出産についての話を聞く誕生学の授業なんて必要ないやんと思っていました。
でも全然違いました。私は時々「なんで生まれてきたんだろう。生まれてこなかったら、こんな苦しい思いせんでいいのに」と思うことがありました。でも私は間違っていました。出産は大変だと誕生学で知りました。生まれてきたんではなく、お母さんが産んでくれたのです。
命は自分一人のものじゃないと言うことがわかりました。私には両親に生んでもらった感謝を全部は伝えられないと思います。だから今はお皿洗いを手伝ったりしながら感謝を形にしていきます。

この13歳の女の子、中学1年の女の子、といえばいいでしょうか。助産師さんから「誕生学」の授業を受けて、大事なことに気付きました。「私が生まれてきたんではなく、お母さんが産んでくれたのです」「命は自分一人のものじゃない」「両親に生んでもらった感謝を全部は伝えられない」など。ホント、そのとおりです。
この投稿者の文章に「誕生学の授業」というのが出てきます。これは2005年に設立された日本誕生学協会が、全国各地の学校などで、誕生学の出前講座を行っている、その授業のことです。そして「誕生学」とは「子どもたち、大学生、成人のそれぞれの年齢を対象に、妊娠出産のしくみと命の大切さに関する知識の教育及び普及」とその協会は定義しています。
どの時代でも誕生、病気、老い、死、は人生の大きな節目です。ひとむかし前なら、これらの節目には、必ず家族や周りにコミュニティがあって、それを見守り、それを乗り越える力を周りからいただいたものです。しかし今はそれがありません。ありませんから、誕生の意味、病気の意味、老の意味、死の意味が分からなくなってしまうのです。「誕生学」という新しいカテゴリーが出てきたのは、こういう時代だからこそでしょう。
いのちの不思議を感じることができる人は、生きる力を得ていく、周りの人々と調和をして生きていくことができる、ということでしょうね。
また次回に。

■第99話:2016年7月

みんなつらい ただ 言わぬだけ

介護者の会、というのがあります。わが市原の里にもあります。参加する人は介護をする人、これから介護をする立場にある人、ボランティア、専門家、そんな人が定期的に集まっていろんな話をし、聴きあいます。
参加者のひとり、中年の女性が「寝たきりのおばあちゃんは昼と夜が逆になっていて世話は大変です。正直言ってしんどい。あんまりしんどいときは怒鳴ってしまう時もあります。しかし、思うんです。こちらもつらいけれど、寝たきりのおばあちゃんはもっとしんどい、つらいだろう、ってね。だって何ひとつ自由が利かないんですもの。」と穏やかに言っていました。
たいへんな状況のなかでも相手を思うこの女性の気持ちが伝わってきて、感心してしまいした。おたがいつらいことがあっても、口に出さないときもあるのです。ふと、古老が「みんなつらい。ただ言わぬだけ」と言っていたことが頭をよぎりました。

新美南吉という児童文学作家がいます。29歳という若さで亡くなりますが、18歳の時に書いた「ごんぎつね」は小学校の教科書に載る作品ですのでみなさんご存じだと思います。その新見南吉の作品に「でんでんむしのかなしみ」という小品があります。原文はすべてカタカナで漢字はひとつも使われていませんが、紙面の関係で漢字まじりのひらがなで紹介します。

一ぴきの でんでんむしが ありました。ある日 そのでんでんむしは たいへんなことに気がつきました。
「私は 今までうっかりしていたけれど、私の背中のカラの中には悲しみがいっぱいつまっているではないか」 
この悲しみは どうしたらよいでしょう。でんでんむしはお友だちのでんでんむしのところにやっていきました。
「私は もう生きていられません」とそのでんでんむしはお友だちに言いました。
「何ですか」とお友だちのでんでんむしは聞きました。
「私はなんというふしあわせなものでしょう。私の背中のカラの中には悲しみがいっぱいつまっているのです」とはじめのでんでんむしが話しました。
するとお友だちのでんでんむしは言いました。
「あなたばかりではありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです。」
それじゃ仕方ないと思って、はじめのでんでんむしは、別のお友達のところへ行きました。
するとそのお友達も言いました。「あなたばかりじゃありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」
 そこで、はじめのでんでんむしは また別のお友達のところへ行きました。
こうして、お友達をじゅんじゅんに訪ねていきましたが、どの友達も同じ ことを言うのでありました。
とうとうはじめのでんでんむしは気がつきました。
「悲しみはだれでも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなきゃならない」
そして、このでんでんむしはもう、嘆くのをやめたのであります。

短い文章ですが、心に残る作品です。「みんなつらい。ただ言わぬだけ」という生き方に、人の強さとやさしさが伝わってきます。


また次回に。

■第100話:2016年8月

餓鬼の世界に堕ちた目連(もくれん)さんの母

今回はお盆にちなみ、お盆行事のもとになった『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』というお経を紹介します。少し長いですが、お読みください。

端正で頭のよい目連(もくれん)という若いお坊さんがいました。この目連さん、あるとき、父母の恩に気がつき、亡くなった父母はいまどんな世界にいるのかと思い、神通力をもっていろんな世界を見て探しました。するとあのやさしかった母が餓鬼の世界に堕ちて苦しみもがいているではありませんか。
餓鬼は、のどは針のように細く、腹が大きくふくれた姿で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい、つねに餓えと渇きにくるしむ鬼のことです。お経では、他人を大事に思わないと餓鬼の世界に堕ちる、とあります。
このような母を見た目連さんは驚きと悲しみで心が張り裂けんばかりでした。そこでお釈迦さまのところに行き、
「お釈迦さま、あのやさしい母がどうしてあんな餓鬼の世界に堕ちたのですか」
と尋ねました。お釈迦さまは次のようにお答えになりました。
「目連よ。そなたの母はそなたを育てるときに、ほかの友だちがいたにもかかわらず、そなたを大事にし、他の友だちを邪険に扱ったことがある。その罪で餓鬼の世界に堕ちたのだ」と。
目連さんは、内心、親ならばわが子をいちばんに考えるのは当然だ、それで餓鬼に落ちるというのは納得できない、という顔をします。それをご覧になったお釈迦さまは言葉をつづけて「目連よ、親というものは自分が餓鬼の世界に堕ちてまでも、わが子のことを案じていくものなのだ」とおっしゃいました。
「親はおのれより子どもをいちばんに考えるのだ」と諭された目連さん。「しかし、あの苦しんでいる母をほおってはおけません。どうすれば母を救うことができますか」とお釈迦さまに尋ねました。お釈迦さまは
「世間にはたくさんのお坊さんたちが托鉢や修行をしている。いまインドは4月から3か月間は雨期といって毎日が大雨で、外に出て修行することができない。だからお坊さんたちは建物や洞窟の中で、雨を避けて、自分の行いを反省し、また新たな知恵を得るよう、静かに座って修行をしていいる。もう少しすればその雨期がおさまり、修行の終わる7月15日が来る。その7月15日には、お坊さんたちがそれぞれ自分の場所に戻っていく日だ。3カ月間閉じこもって修行したお坊さんたちはとても疲れている。その人たちに、目連よ、ご飯とお水とを差し上げてお供養しなさい。」とお説きになりました。
目連さんは「はい」とこたえましたが、そんなにたくさんのお坊さんたちを満足させるご飯と水、となると相当な量が必要です。どうすればいいのか、と案じていると、またお釈迦さまがおっしゃいました。
「目連よ。その日、そなたはご飯と水を両手に乗せてお坊さんたちの前に差し出し、これから私がいう「ダラニ」という呪文をくりかえしくりかえし唱えなさい」と教えました。
そして7月15日。お釈迦さまに教えられたとおり、目連さんは、修行が終わって建物や洞窟から次から次へと出てくるお坊さんたちの前に立ち、ご飯と水を乗せた両手を差し出し「ダラニ」を唱え続けました。するとどうでしょう。この何百、何千人というお坊さんが目連さんの前を通るだけで、みんな心も体も元気になって戻っていくではありませんか。
そうして7月15日のお供養は終わりました。目連さんはじつに不思議なことがあるものだ、と思いました。そしてお釈迦さまのところに詣でて、この日のことを感慨ぶかく報告しました。するとお釈迦さまは、
「そうか、それはよかった。では目連よ、そなたの母の在処(ありか)を見てごらん。」とおっしゃったのです。
「そうだ、母のことが気になっていたのだ。すっかり忘れていました」と目連さんはこたえるや、急いで、神通力で母の在処を見ました。もちろんいちばんに見たのは餓鬼の世界です。しかし、母は餓鬼の世界にはいませんでした。母だけではありません。餓鬼の世界にいたあのあさましい姿の人たちはどこにもいなくなっていました。母もみんな、天上の世界に生まれ、あの以前のように穏やかなやさしい顔でこちらを見ていたのです。これを見た目連さんは感激し、お釈迦さまに深く頭を下げ、お礼の合掌をました。

これが『盂蘭盆経』の内容です。

人は、自分にとって大切な人を大事にするあまり、他の人を押しのけてみたり、ほかの人がその裏で悲しんでいたりすることに気が付かないでいることがあります。『盂蘭盆経』を読むと母と子という関係でそのことを改めて考えさせられます。
すべて生きとし生けるもの、どこかで繋がっています。しかし、ふだんは自己中心、我欲で生きている私どもですから、そのことに気がつきません。そういう縁のないもの、と思っているものに、今日の私どもが生かされているのです。この「無縁」の人やものに心を寄せて供養することで目の前の大事な人が救われ、私自身も救われていく、ということです。

お盆にはお仏壇の前にお精霊さんをおまつりします。あのお精霊さんは「無縁」の霊位にお供養をする、という形から来ています。
お盆は、無縁の人やものに心を寄せていくと、そこから私たちの心の広い生活が始まる、と心得て過ごしてまいりたいと思います。


また次回に。

■第101話:2016年9月

敬老の日 ほんとうの敬老とは?

9月は敬老月間。人生を長く勤めて来られました先輩諸氏に敬意を表します。
そこで、今回は「敬老」とはなにか、を考えたいと思います。まず「敬老」の反対語はなんでしょうか。お経に『雑宝蔵経』というのがあり、そこに「棄老」という言葉が出てきます。そのお経をみてみましょう。

遠い昔、棄老国と名づける、老人を棄てる国があった。その国の人びとは、だれしも老人になると遠い野山に棄てさられるのがおきてであった。
その国の王に仕える大臣は、いかにおきてとはいえ、年老いた父を棄てることができず、深く大地に穴を掘ってそこに家を作り、そこに隠して孝養を尽くしていた。
ところが、ここに一大事が起きた。それは神が現れて、王に向かって難問を投げつけたのだ。
「ここに二匹の蛇がいる。この蛇の雄・雌を見分ければよし、もしできないならば、この国を滅ぼしてしまう」 と。
王はもとより、宮殿にいるだれひとりとして蛇の雄・雌を見分けられる者はいなかった。
そこで、かの大臣は家に帰り、ひそかに父に尋ねると、父親はこう言った。
「それはやさしいことだ。柔らかい敷物の上にその二匹の蛇を置いて、騒がしく動くのが雄であり、動かないのが雌である。」と。
大臣は父の教えのとおり王に語り、それによって蛇の雄・雌を知ることができた。
しかし神はその後も次々に難問を出してきた。しかし、その答えはことごとく神を喜ばせ、また王をも喜ばせた。そして王はこの智慧が、ひそかに穴倉にかくまっていた大臣の老いた父から出たものであることを知り、それより、老人を棄てるおきてをやめて、年老いた人に孝養を尽くすように、と命ずるに至った。

いかがですか。この仏教説話。「棄老」の国が「敬老」の国になった、というお話、つまり、神さまは「老人の智恵に学べ。それによって和合の社会ができる」と教えたのです。
いまの日本では、家族といっしょに生活をしている高齢者はぐんと少なくなりました。内閣府のデータによりますと65歳以上の高齢者夫婦のみ世帯、そして独居高齢者世帯とを合わせると全世帯数の半数を超えるそうです。したがって、高齢社会になって、高齢者は介護するもの、隔離して公助で世話をするもの、という考え方がふつうになってきました。見方を変えれば、「棄老」にシフトしている、ということができませんか。
実は、高齢者は「生きてきた自分の物語」があります。「社会を担うために培ってきた智恵と工夫」を宝としてもっています。この高齢者のひとりひとりの「物語」「知恵と工夫」を次代のものが学んでこそ「敬老」の意味がある、と思います。「あなたがおられたからこそ私がいます。だからこれからも教えてください」と高齢者に接することが「敬老」の精神だろう、と思うのです。

ではまた次回に

■第102話:2016年10月

戴いたいのち

「いのち」という言葉を漢字で書くと「命」「生命」です。漢字で書く「命」は動く体(からだ)そのもの、あるいは寿命のある体のことを表します。しかし平がなの「いのち」は漢字の「命」以上の意味を表現します。つまり、生きている、生かさせてもらっている、あらゆるもののつながりの中に存在している「生命」、と気がついたとき「生命」は「いのち」と平がなで書きます。そしてわたしどもはそんな「いのち」を「戴いたいのち」といいます。なぜならこの「私のいのち」は私自身が作ったものではないからです。

たとえば私たちのこの「身体」。この身体を維持するために、私の肺が命令もしないのに休むことなく酸素を吸ってくれています。ではその酸素はどうやってできますか。そうです、太陽と草木が作ってくれます。身体を維持する食べ物も牛や鶏、魚のいのちを奪ってできています。お米も野菜もそうです。

これだけ考えても、「私のいのち」は私自身が作ったものではないことがよくわかります。ですから、ごはんを食べるとき、犠牲になった「命」に感謝して「いただきます」というのは自然で、道理のあることです。そしてその犠牲になった「命」も「いのち」であることに気がつきます。
金子みすゞさんの詩に「大漁」というのがあります。
朝焼小焼だ
大漁だ
おおばいわしの大漁だ
浜は祭りの
ようだけど
海の中では
何万の
いわしのとむらい
するだろう

いわしのいのちを奪ってこの私のいのちがある、という現実、悲しいことですが、そこに「戴いたいのち」を生きるという確認があり、犠牲になる相手への「いのち」にたいする尊い眼差しがあります。

仏教では、この「戴いたいのち」を「与えるいのち」にシフトしていきましょう、と言っています。「戴く」ことを感謝する生き方は、次に「与える」喜びにつながる、というのです。
お釈迦さまのお経の中に「飢えた親虎があまりのひもじさに、自分の子虎を殺して食べよう、としていた。それを心やさしい王子が自ら崖に上って身を投げ、親虎の餌となって子虎を助けた」という説話があります。極端な話、と思われるのでしょうが、この王子の心は、みすゞさんが指摘した「いわし」の立場になりましょう、ということです。
与える喜びを経験すればするほど「戴きます」の尊さがわかる、というものです。

ではまた次回に

■第103話:2016年11月

慈しみの心づかい

お釈迦さまは今から2500年ほど前、インドで仏教を開かれた偉大な祖師であります。お釈迦さまは王家の出でしたが、人生の「苦」を取り除き、平安な道、真のしあわせを求め、王位、財産、家族など、何もかも投げ捨てて29歳の時に出家されました。そして35歳の時に「悟り」を開かれ、世の「苦」を取りのぞく道を得られました。人々はそのときからお釈迦さまのことをブッダとよぶようになりました。それからのお釈迦さまは80歳の生涯を閉じるまで、来る日も来る日も、歩き続け、人々に「苦」をはなれる道を説いて回り、膨大なみ教えを残してくださいました。
仏教は世界宗教ですが、インド仏教の世界的権威であります中村元先生 (1921-1999) は「武力ではなく説得によって世界に広まった宗教は仏教だけである」とおっしゃっています。お釈迦さまのみ教えは人の見方によって中身が変わる、というものではなく、民族・人種を超えてだれにでも共通の課題を解決する普遍思想(世界思想)なのです。

その中村先生ですが、ご自身の墓碑に次のことばを刻んでおられます。インド仏教のみならず世界思想について壮絶な学究人生を送られた中村先生にとって、いちばんに人々に遺し伝えたいことばはお釈迦さま(ブッダ)のことばだったのです。

生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ。
何ぴとも他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。
互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
この慈しみの心づかいを、しっかりとたもて。  (ブッダのことば/中村元訳)

中村先生がお示しのように、お釈迦さまが私どもに「しあわせの道」として示し残されたのは「慈しみの心づかい」だったのです。

 ご存じのとおり、仏教は「止悪修善(しあくしゅぜん)」と言って「悪いことをするな、善いことをせよ」と教えます。いや、仏教だけではありません。どの宗教にも共通した教えです。仏教理解をするには「悪いことをするな。善いことをせよ」の二つのことばの前に「他人に対して」ということばをつければ解りやすくなります。つまり「他人に対して、悪いことをするな。他人に対して、善いことをせよ」ということで、これが「慈しみの心づかい」です。

仏教の教えに「四摂事(ししょうじ)」というのがあります。仏教者として心の平安を得るための四つの基本的生活目標です。紹介しますと「布施(分かち合う、他人に与える)」、「愛語(他人にやさしい慈愛の言葉がけること)」、「利行(他人を利すること)」、「同事(他人を思いやり、その人の気持ちに寄り添うこと)」、この四つです。いかがですか、この「四摂事」の一つ一つに「他人に対し」という基本姿勢があります。これが仏教の「慈しみの心づかい」なんですね。

今風のことばで表すとすれば、相田みつをさんの「わけ合えば」という詩がぴったりです。

うばい合えば足らぬ  わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい わけ合えばやすらぎ
 
うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび
うばい合えば不満 わけ合えば感謝
 
うばい合えば戦争 わけ合えば平和
うばい合えば地獄 わけ合えば極楽

慈しみの心づかい」を、という中村先生のご遺言、今の日本で、いちばん大事なことばではありますまいか。

それではまた次回に。

■第104話:2016年12月

ふり向けば お世話になった人ばかり

12月になりました。いまの時代、私どもの生活のリズムは必ずしも自然界の月日の移り変わりと一致しているわけではありません。とくに、先人が培ってくださった昔からの行事が日常からなくなり、特別な行事でないかぎり季節を感じなくなってしまいました。その結果、生活の中に、心のときめき、うるおい、アクセント、変化がなくなってきたように思います。
とはいっても12月は新年を迎える準備を行い、かたや、過ぎ去ろうとしている一年をふりかえる時で、年末年始の行事は健在です。
正月の準備を始めるのが「事始め」で13日。その後、煤払い、大掃除。鏡餅をつき、台所ではおせち料理を作って迎春の用意をいたします。そして大晦日には鐘をついて一年の煩悩をなくして新年を迎えるのです。
よく見るとこれらの行事は懺悔、感謝という宗教的なものがベースにあります。煤払いや大掃除は単に掃除をすることではなく、一年の生活の垢を全部取り除き、心身とも清らかになって新年を迎える、という意味があります。

恵光寺には参道の上り口の掲示板があり、そこに門前掲示といいますが、紙にほとけさまの言葉や、生きる指針になることばを探しては書き出してそこに貼っています。毎月1度張りかえます。
その門前掲示板、ある年の12月師走に次の言葉を書いて貼りました。

ふり向けば お世話になった人ばかり

これはかなりの反響がありまして、「あの門前掲示、短いけれど、心にこたえた」とか「そのとおり、と読んでうなってしまった」「この一年のことを考えれば、ほんとに人さまのお世話になってここまで来たんだな、と思います」など、など。

毎日の生活の中で、ふと立ち止まって自分を省みる、ということはなかなかできません。本当はそうしたいのですが、なかなかそうはいきませんね。無理にでも立ち止まって自分の来し方を振り返るとき、というと、遅いけれど年末、ということになります。
年末にその一年を振り返ってみると「あの人にも世話になった」「この人のおかげで仕事ができた」という感謝の念が出てきますし「あの人に助けてもらったおかげで、自分の愚かさがわかった」「この人に迷惑をかけた」という反省、懺悔の思いが出てくるものです。

こういう感謝、懺悔の思いが年末に出てくるからこそ、来る年には、次のステップを歩もう、と希望に燃えるのではありませんか。
この年末、「ふり向けば お世話になった人ばかり」と繰り返し言ってみませんか。

それではまた次回に。

■第105話:2017年1月

一休さんの歌

一休さんは室町時代の禅僧です。大徳寺の住持をつとめ、禅宗の改革に影響を与えた人で、詩、狂歌、書画などをよくしました。それに奇行の持ち主としても有名ですし、とんち話はよく知られ、大人から子どもまで、多くの人から慕われているお坊さんです。

その一休さんの歌に
門松や、冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
というのがあります。ドキッとする歌ですが、それだけではありません。次のような逸話も残っています。
お正月は元旦のこと、世間は新春を寿(ことほ)いでいる街中です。一休さんは網代笠をかぶった托鉢姿で歩いています。よく見ると一休さんは持っている長い杖の先に髑髏(しゃれこうべ)を吊してあるではありませんか。一休さん、髑髏をつけた杖を突きながら「ご用心、ご用心!」と大きな声を張り上げて歩いているのです。
それを見て人びとは「めでたい正月に髑髏なんか持ち出して、なんと縁起の悪い」と嫌がります。中には一休さんをそしり、ある人は石を投げます。
それでも一休さんはひるむことなく、髑髏を杖の先に吊るして、「ご用心、ご用心!」と歩きつづけた、といいます。

一休さんのお心はこうでしょう。
人は、正月が来るとめでたいという。たしかに歳が一つ増えるのでめでたいことではあります。しかし、それは同時に、それだけ死ぬ日が近づいた、ということです。
人は「死にたくない」といいながら、片方では「正月をめでたい」という。目先の欲得に目が映って、今さえよければそれでいい、そんな生き方でいいのか、そんな愚かな生き方でいいのか」と警告を発しているのです。

正月だからこそあらためて「目先の欲得」から離れてみる、そんな「用心」が必要なのです。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。合掌。