恵光寺 和尚の法話

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恵光寺の宗旨は浄土宗西山禅林寺派で、阿弥陀さまのお慈悲を感謝し、その喜びを社会奉仕につないでいく、そういう「生き方」をめざすお寺です。
現代の悩み多き時代にあって、人々とともに生きるお寺をめざして活動しています。

 

■第46話:2012年3月

人格を認め合う生き方はおたがいがしあわせになる道

ほとけさまに許され、認められて今ここに在る、ということに気づきましょう

今野華都子(こんのかつこ)さんの《ハイジの法則》《まゆみの法則》 フェイシャルエステ(お顔の美容師と訳すのかな)の世界大会で優勝した今野華都子(こんのかつこ)さんという方がおられます。
この今野さんが、人生を好転させる生き方をするために、つまり、なりたい自分になれるよう《ハイジの法則》と《まゆみの法則》の実践を紹介しておられます。

まず、《ハイジの法則》。「ハイジ」の「ハ」は「ハイ」の「ハ」。日常の中で、肯定的に「ハイ」と返事をすること。「ハイジ」の「イ」は「いつもにこにこ」の「イ」。普段の生活の中で笑顔でいなさいということ。「ハイジ」の「ジ」は「自分から」の「ジ」。いま自分は笑顔でいるか、と常に自分から意識することで、しつけが身につき、なりたい自分に変わっていく、というのです。
もうひとつの《まゆみの法則》。「ま」は「待つ」、「ゆ」は「許す」、「み」は「認める」。今ある自分はいろんな人から成長を待ってもらって現在に至っている、だから逆に相手を待て、ということ。同じように人はみんな許してもらって生きてきたのだから、あなたも相手を許し、認めなさい、ということでしょう。

今の日本はまだまだ「孤立」が大問題
大震災以後、だいぶ変わりましたが、今の日本はまだまだ「孤立」が大問題です。高齢者の孤立、障がいを持った方の孤立、子育て母親の孤立、というふうに。例えば高齢者の孤立の理由のいちばんは「今までの人生の来し方に共鳴してくれる人がいない」ということだと思います。その人の人生の来し方に共感することはその人の人格を認める、ということですから。共鳴してくれる人がいない、ということはそのまま、その人の人格を認めていない、ということになります。

いかなる人も認められて今ここに在る
私どもは心を正し、相手の人格・人権を認める訓練をしていかなければなりません。
つらい、苦しい、生きているのがつまらない、と思うときがあります。しかし、外には陽射しやそよ風があり、夜には明るく照らすお月さまがあります。なかなか気がつきませんが、陽射しやそよ風、お月さまは、いつも生きるのがつまらない、と言っている私どもを見守り、包みこんでくれている、つまり認め、許してくれている存在である、と肝に銘じましょう。
このことに気がつくと、こんな私なのに生きているんだ、いや生きていてよかった、と許され、認められていることに「ありがとう」ということばが出てきます。 仏教の念仏の教えは「南無阿弥陀仏」を称えることですが、この「南無阿弥陀仏」の意味こそ、「ありがとう」です。「南無阿弥陀仏」をたくさんいうことは「ありがとう」をたくさん言っていることです。
尾木ママで有名な尾木直樹(おぎなおき)さんは、小さい子どもには「ありがとう」をたくさん言うように育ててください、そうするとその子が大きくなると、人から「ありがとう」といわれる人になりますよ、と言っています。
私どもはできるだけたくさん「ありがとう」(「南無阿弥陀仏」)をいうべきです。大いなるほとけさまに許され、認められて今ここに在ることを「ありがとう」「南無阿弥陀仏」と称えていく生活は、いずれ、許されるている私が、相手を許し、認める生活へと変わっていくのです。
それではまた次回に。 合 掌

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■第47話:2012年4月

「あたりまえ」とは言わないように、「不思議だね」というようにしよう。

日本にはたくさんの仏教宗派があります。みんなお仏壇の前で読むお経が違います。ところがそのお経を読む前に心構えとして唱えるとても短い偈文がありますが、この偈文だけは、どの宗派も同じものを使います。その偈文は「開経偈(かいきょうのげ)」と呼ばれ、「無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう) 百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう) 我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ) 願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)」と唱えます。意味は「この上なく深く妙なるみ教えは、無限の時をへてもめぐりあうことはむずかしい。しかしながら、今さいわいなことに、わたくしは仏のみ教えを見聞きし、信受することができました。この機会にみ仏の真実の教えを理解させてください」という 意味です。

「この上なく深く妙なるみ教え」とは、お釈迦さまの説かれた教えのことですが、お釈迦さまは何を説かれたか、というと「真理の法則」を説かれました。 「真理の法則」は「宇宙の法則」「天地の法則」とも言えます。私どものいのちの根源を動かしている「不思議」であります。
良寛さんの詩に、
花、無心にして蝶を招き、 蝶、無心にして花を尋ぬ
花、開く時蝶来たり 蝶来たる時花開く
知らずして帝則に従う
 (一部略)
というのがあります。花と蝶が打ち合わせをしたわけではないのに、絶妙のタイミングで花と蝶はこの世で出あうのです。良寛さんはそこに「宇宙の法則」、つまり「不思議」を見ています。良寛さんはその法則を「帝則」と呼んでいます。
花と蝶の出あいに宇宙の不思議を見る、そのセンスが私たちの生きる力になると思います。 お釈迦さまの『法句経 』の49番をみてみましょう。

花びらと色と香をそこなわず
ただ蜜のみをたずさえて
かの蜂のとび去るごとく
人々の住む村落(むら)に
かく牟尼(ひじり)は歩めかし

お釈迦さまも咲いている花と蜂をじっとご覧になりながら、花にひとつの損傷も与えないで、そしてみずからは何ごともなかったかのように飛び去っていく蜂のすがたに、自然の法則を感じておられるのですね。
そして、その蜂のように、邪心やとらわれに束縛されず、こころ調えられた人は、人々を傷つけることなく、世間と交わる、と教えておられます。
ひとつの事象を深く観察していくなかに、宇宙の「不思議」を感じていく、「あたりまえ」とは言わない、その心のありようが、人をより深く人たらしめるのです。
それではまた次回に。 合 掌

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■第48話:2012年5月

仏教という教えはお釈迦さまが作ったの? 仏教は目覚めの宗教

世界にはいろんな宗教がありますが、宗教を説明するとき世界四大宗教とか三大宗教とかいいます。四大宗教は信者数の上位4位をいいます。ちなみに1位は信者教約19億人キリスト教、2位は10億人のイスラム教、3位は7億6千万人のヒンズー教、4位は3億4千万人の仏教です。ところが世界三大宗教というときには民族宗教であるヒンズー教が除かれます。これは宗教学上の話です。
この世界宗教といわれる宗教の中で仏教はほかの宗教とちがって「目覚めの宗教」と呼ばれます。「目覚めの宗教」とは何でしょう。
仏教は「ブッダ(仏陀)の教え」を短くしたものです。それでは「ブッダ(仏陀)」はだれか、というと、もちろんお釈迦さまをいいます。しかし「ブッダ(仏陀)」という呼び名は「覚者(かくしゃ)」と訳され、固有名詞ではなく一般名詞です。仏教はお釈迦さまが最初に開かれた、ということではありません。「覚者」とよばれるブッダ(仏陀)はたくさんいらっしゃるのです。とくに仏陀をお釈迦さま一人に限定していくようになったのは、お釈迦さまは宇宙の真理・法則に目覚め、その中に人の生き方をあてはめていけば苦しみから逃れることができる、と全身全霊を懸けておっしゃった仏陀だったからです。
キリスト教やイスラム教はその宗教の創始者として預言者がいますが、お釈迦さまはみずからを預言者と呼ばれることはいっさい認めず、真理に目覚めた人という姿勢を生涯貫いたのです。

 お釈迦さまは『法句経』183番で次のように示しておられます。
『すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、
自己の心を浄めること、──これが諸の仏の教えである』

 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫)
これは後に漢訳され『七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)』という有名な句となっていきます。
 『諸悪莫作 諸善奉行 自淨其意 是諸仏教』
(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)
もろもろの悪を作すことなく もろもろの善を行い 
自らそのこころを浄くす これがもろもろの仏の教えなり

ここで肝心なのは、『法句経』では「諸の仏の教え」、漢訳『七仏通誡偈』では「もろもろの仏の教えなり」というところです。「悪いことはしない、善いことをしなさい、きよらかな行いを保ちなさい。これはずうっと昔からおられるブッダ(仏陀)がたの教えです」といっておられます。つまり、お釈迦さま一人がブッダ(仏陀)ではなく、多くのブッダ(仏陀)がそう目覚めておられるのです、と。漢訳のタイトル「七仏通誡」という表現、つまり「7人のブッダ(仏陀)のお示し」という表現も、過去からの多くのブッダ(仏陀)がたがおっしゃった、という意味です。
お釈迦さまブッダの教えは「目覚めの宗教」という理由です。もういちど「仏教」を解説すると次のようになります。

「苦しみを生きているあなたよ。そして苦しみからのがれようとするあなたよ、きよらかな行いを続けていき、こころ正しく世の中を見ていけば、おおいなる真理に目覚めることができる。真理は遠くにあるのではなく間近くにある。それがこころの安穏を得る道だ」

それではまた次回に。

合 掌

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■第49話:2012年6月

道林禅師と白居易の問答

地面の上と木の上、どちらが危ない?

先回は≪仏教という教えはお釈迦さまが作ったの? 仏教は目覚めの宗教≫というタイトルでお話をしましたが、そのとき『七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)』という句を紹介しました。もう一度書いてみましょう。

 『諸悪莫作 諸善奉行 自淨其意 是諸仏教』

(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)
もろもろの悪を作すことなく もろもろの善を行い 
自らそのこころを浄くす これがもろもろの仏の教えなり

思い出されましたか。

今日はこの話についてエピソードを紹介いたしましょう。
中国は唐の時代に白居易(はくきょい/白楽天とも/772‐846)という詩人がいました。その白居易が杭州の地方長官として赴任した時、その土地では名高い道林禅師(どうりんぜんじ/741 - 824)を訪ねました。この道林禅師は木の上に鳥の窠(す)のようなものをこしらえ、そこで坐禅をする奇行があったので世間では彼のことを鳥窠(ちょうか)というあだ名でよんでいました。
この白居易と道林禅師の最初の出会いのやり取りが伝わっています。
白居易は寺の松の木の上で座禅をしている道林禅師を見上げて、なかば驚いてこう言い出します。
白居易 : そんな高い所での生活、危ないぞ
道林禅師: 危ないのはそっちの方だ
白居易 : 木の上より地上の方が安全だと思うが、なぜ地上が危ないのか?
道林禅師: 仏の教えを知らず、心の定まらぬ者は、地上にいても危ない
白居易 : その仏の教えとは何か?
道林禅師: 諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教。つまり、もろもろの悪はなさず、
   もろもろの善を行い、みずからその意をきよめる、これが諸の仏の教えだ
白居易 : そんなことは三才の子どもでも言うことではないか
道林禅師:  三才の子どもでも言うというが、八十才の老翁でも行うことは難しいぞ
これを聞いた白居易は実にその通り、と了解して拝謝した、というのです。

ここで面白いのは、白居易の「木の上より地上の方が安全だと思うが、なぜ地上が危ないのか?」というごく当たり前の質問に対し、道林禅師が「仏の教えを知らず、心の定まらぬ者は、地上にいても危ない」と答えたところです。
明日のいのちもわからない私どもであるのに、そのことを真剣に考えないでいると、いざというときに足をすくわれてしまう。つまり地上は安全だ、と高をくくって安逸な生活を送っていると、いつ足をすくわれるかわからない、その方が危ない生活だぞ、と言っています。いまのあいだ、元気なあいだに心の修養をしておけ、というお話です。
その修養の内容は何か、というと、よいことをせよ、悪いことをするな、自分の心を清らかにせよ、それが仏たちの教えだ、と、これもシンプルに答えています。
もっと言うと、人は死ぬものだが、どう死ぬか、ということは生きている間、考えられる間にしっかり考えておきなさい、そのために、先ずは、よいことをして悪いことはしないようにし、いつも自分の心を清らかにしておくよう努力しなさい、と教えられたのです。
書家の相田みつをさんのことばに 「生きているうち 働けるうち 日の暮れぬうち」というのがあります。できる時にするべきことをやっておかねば、いつ足をすくわれるかわかりません。

ちなみに、夏の京都のお祭りに祇園祭があります。その中に「白楽天山」という山があります。いまお伝えしました松を背に白楽天(白居易)とそれに応える道林禅師のエピソードが山の形になっています。

合 掌

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■第50話:2012年7月

人の苦しみは自分の執着、自分のものさしを振り回すことからくる

私がよく紹介する相田みつをさんのことばに
うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる 
うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ
  (『にんげんだもの』より)
というのがあります。口に出してゆっくり何べんも唱えると、じつに簡単なことばでありながらこれほど的確に言い当てるみつをさんに脱帽です。
みつをさんには、人間はいつもみにくい「三毒(さんどく/これは仏教のことばです)」が支配している、という視座と猛反省があります。では「三毒」とは何でしょう。
人間が持っている心の毒は貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三つに分けて説明ができる、というのです。
「貪欲」は自分が欲しいと思ったものに執着(しゅうじゃく)する心です。「瞋恚」は怒りの心、自分の意に沿わない、言いかえれば自分のものさしに合わないと、まわりを責めることです。そして「愚癡」は、ものの道理にめざめない心をいいます。
三毒は心の病気となって身体にストレスをため、人間関係を悪くしてしまいます。

お釈迦さまは『法句経377番』で次のように教えておられます。
しおれたる花びらを 捨て落とす ヴァッシカ草のごとく
乞食するものらよ かくのごとく むさぼりと 怒りとをふりすてよ

ヴァッシカ草の花は自分のいのちが終われば自然に花びらを落とす。道を求める人々よ、この道理にめざめ、貪り、怒りの心を捨てよ、と。
でも、ムリに貪り、怒りの心を捨てることにこだわらなくてもいいのです。花は自分のいのち・使命が終われば自然に花びらを落とす、という道理がわかっていけば、おのずと貪り、意からの世界から遠ざかっていくことなのです。
表面は聖人君子の顔をしていて、貪りません、怒りません、という日常努力をしていても、心の根本に金や名誉、自分の地位を堕(お)としたくない、という執着を捨てないかぎり、いつか、また心がみだれ、こころ苦しみます。執着や自分のものさしを捨てていくと心は自然に安らいでいきます。

最後に漢字の話をしましょう。むさぼるという「」、まずしいという「」、この二つの字は似ているでしょう。共通しているのは部首の「」です。「貝」は財貨、お金を表します。むかし貝は貨幣の代わりだったからです。「貧」は「分」+「貝」で、お金を分ければしい貧しくなる、というわけです。では「貪」はどうですか。「今」は奥深く閉じ込める、という意味です。ですから「」は「今」+「貝」で、お金を自分の奥に閉じ込め執着する、ということです。
いまわたしどもに課せられているのは「」から「」に変えなさい、ということではありませんか。つまり、ものに執着するのではなく、執着を離れ、すべてはいっさい自分のものではない、宇宙のものだ、と思って分け合えば、こころは解放される、ということです。
もういちどみつをさんのことばを声を出して詠んでみましょう。
うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる 
うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ
 

合 掌

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■第51話:2012年8月

小学校の総合学習での質問「里山の生活とどんなの?」

こころゆたかな「祈りとお礼」生活

ことしも夏の一大行事であるお盆がやってきました。お盆はもともとインドの風習から来たもので、死後、責苦(せめく)の世界に堕ちた人を、残った家族たちが心を込めて食物などの供養(くよう)をして天上界に生まれさせたことからきています。
亡くなった人に対し、ものを捧げてこころを寄せる、という行いはそれ自体当然なことですが、それが国じゅうに行事となって大きく定着しているというのは何ととうといことでしょう。
先日、地元小学校の総合学習で「わが街の歴史と文化」について子どもたちにお話をしました。6年生のみんなが質問を用意していて、その中に「里山(さとやま)の生活はどんなのでしたか」というのがありました。地元のことを勉強するにあたって「里山」ということを習っていたのでしょう。いい質問です。

「里山」は人々が近くの山や森林と結びついた生活の場のことをいいます。少し前まで市原野は里山の生活をしていました。家畜を飼い、エネルギー源である薪(まき)や炭を作り、灌漑(かんがい)用の水を管理し、田畑を耕し、コメや野菜の収穫をして生活をしていました。
今のように便利ではない時代では、これらのことは、家族はもちろん、近所、親戚、地域の人たちがそれこそ力を合わせてやりました。たまのことではありません。まいにちまいにちが人々といっしょの生活なのです。いまの人たちはそんな生活は大変だ、わずらわしい、と思うでしょうが、里山の生活ではそれらをがまんしなければなりませんでした。みんなでする里山の生活は、つらいことの連続です。米を育てるのも自然の脅威との戦いです。たとえば梅雨明け時分の「虫送り」という行事がそうなのですが、神仏に無事収穫ができますように、と村をあげて祈ります。逆に秋になって収穫時期を迎えると村じゅうが集まって「秋まつり」を行い収穫の喜びを神仏に感謝します。

一方、里山の生活は人々の協力なしではできないことは前に申しましたが、村の中で人が亡くなるということは村にとってかけがいのない人を亡くしたこと、ということでもあります。市原野の里山では土葬のお葬式をします。お葬式を野辺送り(のべおくり)といいましたが、これもまた、村じゅうの人々が行列を組んで、亡くなった人に「ふるさとを忘れないでね」と懐かしい村の景色を見せて回ってお墓に行きます。「これから先、決して私どもを恨んだり、悪さをすることがないように、どうぞほとけさまの国に生まれてそこから私どもを見ていてくださいね、」と祈りながらお葬式をします。お葬式だけではありません。それから先も亡くなった人をねんごろにお勤めをします。これは里山の人々が日常を平穏に暮らすための「祈り」という生活の知恵だったのです。その最たるものが、一年に一度のお盆です。亡くなった人を「お精霊(しょうらい)さん」と「お」や「さん」をつけて呼び、お迎えをし、できるだけのご馳走をしてもてなし、そして8月16日には送るのです。それをやっぱり村をあげてするのです。
人ひとり欠けるとその人の後生(ごしょう)を神仏に祈り、人と人との出逢いや収穫には、また神仏に感謝の「お礼」をして村の人々が生活をする、これが里山の生活なのです。

小学生の6年生のみなさんに、ひとむかし前の里山の生活は大変だったけど、同時に、神仏や人との心のつながりがあってとても人と人との関係があたたかかった、ということを伝えました。

合 掌

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■第52話(浄土宗西山禅林寺派の宗議会が出した声明文):2012年8月

この6月22日、浄土宗西山禅林寺派宗議会の席上、宗議会は「原発放射線汚染を次世代の人に負荷として残さないために ―脱原発の社会をめざして― 」という声明文を宗派当局と全国檀信徒に対し発表しました。
今回の「恵光寺和尚の五分間法話」では、この全国の宗派寺院、檀信徒さんに送付されてきました声明文を掲載いたします。

浄土宗西山禅林寺派の宗議会が出した声明文

原発放射線汚染を次世代の人に負荷として残さないために

―脱原発の社会をめざして―

2011年3月11日の東電福島第一原子力発電所事故はヒロシマ原爆の何千倍という放射能を放出し最悪の事態をもたらせてしまいました。
私どもは戦後、国民の総生産を上げることに血道を上げ、大量生産・大量消費・大量廃棄を是とし、膨大なエネルギーを消費してきました。そのため国や電力会社のいう「原発は安全、必要」という神話に、私どもも深い疑いも持たず、安逸な日常生活をしてきたことは慙愧に堪えません。
今回の事故で、自然の大切さ・いのちの尊さに引き比べていかに原発は危険極まりないものか、ということを知りました。このような危険極まりない原発はあとからくる私どもの子孫にとって永代の負の遺産です。この後から来る人たちに対し、私どもは何をもって償えばいいのでしょうか。
いま、原発をなくそう、という動きが人々のあいだでとても大きくなっています。とくに日本の宗教界の人たちの間で顕著です。それは、生産力、経済性、効率一辺倒、つまり、お金がすべて、という今までの世の中のあり方を足元から見直し、人と人との絆、相手の思いに心を寄せ合う世の中に変えていこう、という宗教者の猛反省が込められているからです。
人ひとりのいのちは自分一人のいのちではなく、時間的にも空間的にもおたがい繋がりあっている、という見地から私どもは危険な放射線汚染を後から来る人に絶対残してはならないと思います。
私どもは、自然エネルギーによる発電システムの導入を一刻も早く実施して、原子力発電に依存しない社会をつくっていく努力をして行きましょう。これを契機に、原発立地地域の人々にも心を寄せ、安逸な生活を猛省し、少欲知足の生き方をしていきましょう。
そして、国や電力会社に対し、いま停止している原発の再稼働は中止し、すべてを廃炉するように働きかけていきましょう。
以上のことを、全国一般寺院、檀信徒の方々、すべての人々に訴えます。またこの訴えが成就するように、わが宗内に担当専門機関を設置するよう宗務総長にお願い申し上げる次第です。

2012年6月22日

浄土宗西山禅林寺派宗会議員一同

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■第53話 2012年9月

9月16日は「敬老の日」

「老」は人格の円熟した境地のこと

9月16日は「敬老の日」です。政府は戦後1954年、9月15日を「としよりの日」に指定。それが「老人の日」、「敬老の日」と呼び名が変わり1966年に国民の祝日となりました。2003年からは移動休日とよばれる9月第3月曜日になりました。
なぜ9月15日が敬老の日になったか、というのは、奈良時代、元正(げんしょう)天皇が美濃国(今の岐阜県)にある泉を養老と命名した折、その地に行幸したのが9月15日だったから、というのが有力な理由らしいのです。
「老」で思いだすのが、道元禅師の「今の一当はむかしの百不当の力なり。百不当の一老なり」というお言葉。
「老」は「お年寄り」という響きが強く、あまり歓迎される言葉ではありませんが、もともと、人格の円熟した境地を「老」といいます。高齢の坊さんではなく、人格や修行が円熟したお坊さんのことを「老師」とよびます。同時に「老人」というのも「お年より」ではなく「人格の円熟した人」というのが本来、ということになります。
さて、道元禅師のおことばに戻ります。
当とは、弓で矢を的に当てることです。何回矢を射っても失敗し、それが百回やってもだめ、ということにしましょう。しかし、次に当ったとします。そのことを道元禅師は「百回、千回の失敗があってはじめてあたったのだ。それまであきらめずに一所懸命修練したことが、いつの間にか自分の力になっていたのだ」、つまり「一当は、それまでの百不当の力である」とおっしゃっておられます。人生でいうとまさに「百不当の一老」、つまり、失敗はいっぱいあるけれど、めげることなく生き続けてきた結果が、いまの「老」を得ているのだ、とおっしゃるのです。
このように「老」を考えると、果物が風雪に耐え、時間が経たないと熟していかないように、人も年月をかけなければ「老人」になれないのだ、ということですね。
日ごろの失敗や、楽しいこと、つらいこと、みんな、今日の私を作る先生です。それらの蓄積が栄養となり、人生の熟した境地である「老」とよばれるようになるのです。

合 掌

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■第54話 2012年10月

「怒る」「叱る」そして「悲しむ」

人を育てるとき、相手のことを考えるというのが基本

人と接するとき、たとえば子どもに対して「叱る」と「怒る」は違う、と言われます。「叱る」と「怒る」はどう違うのでしょうか。

ノートルダム清心女子大学理事長の渡辺和子さんがこんなことをおっしゃっていました。

「大学で授業中のこと、後ろの方で二人の学生がずうっとおしゃべりをしていました。私は我慢できなくなり『出て行きなさいっ!』と大きな声で言いました。二人は出て行きましたが、その後、ずうっと気持ちが落ち着きませんでした。あれは、私は「怒った」のであって「叱った」のではなかったからだ、と反省いたしました。「叱る」とはその二人に授業中にしゃべることはいけないこと、ちゃんと坐らなければいけない、ということを自省させることだったのです。」と。

渡辺さんは、「怒る」は自分が腹を立てて、相手を排除すること。「叱る」は相手の人格を信じて成長させること、とおっしゃっているのです。

ここでもうひとつ思い出すお話に、良寛さんのエピソードがあります。

良寛さんは越後(今の新潟県)は出雲崎の橘屋という名主(庄屋・村長)の家に長男として生まれます。つまり跡取りだったのですが、お上と村民との間にいろいろとトラブルがあり、政治的なことを好まない性格もあって出家し、その家督を弟の由之(ゆうし)に任せます。この由之には馬之助(うまのすけ)という跡取り息子があり、その跡取りが難しい家業の渦中にある、という事情もあって放蕩に走ります。

そこで、由之夫婦は、馬之助の放蕩をやめるよう意見をしてくれ、と良寛さんに頼みます。頼まれて実家に逗留した良寛さんでしたが、数日たっても甥の馬之助に意見をする気配もありません。そのうち、もう帰る、と言って玄関先まで出てきたときのことです。良寛さんは靴脱ぎに腰かけで「馬之助を呼んでくれまいか」と由之夫婦に言います。呼ばれた馬之助に良寛さんは「わしの草鞋(わらじ)のひもを結んでおくれ」と頼みます。今日に限ってなぜ、と思いながらも馬之助は良寛さんの前にしゃがんで草鞋のひもを結びます。とそのとき、馬之助の手許に一滴、二滴、と良寛さんの涙が落ちるのです。ハッとしたのは馬之助。それからは放蕩がなくなり、家業に励んだ、ということです。

良寛さんは馬之助の心、由之夫婦の心を考えると心から「大変なことだろう」と悲しまれたのですね。

「怒る」「叱る」のほかに相手のことを考えて「悲しむ」という子育て、人育ての仕方が残っていることに気づかされます。それでまた次回に。

合 掌

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■第55話 2012年11月

あいさつは 上から 下から 心から

毎朝、小学校児童が登校するのに合わせて通学路のいくつかの地点に「立ち番」という人が立っています。黄色の旗を持って子どもの安全を見守って下さっているのです。たまにならいいのですが、学校のある日はいつも出ておられるのには頭が下がります。また何年もずうっと続けている人もおられます。そういう人は子どもたちにどう映るのでしょうか。立ち番さんのことばづかいや目くばりに「子どもは大事」という思いが現れるのでしょう、たとえ立ち番さんが子どもを叱ることがあったとしても、子どもたちはそういう人には案外すなおに受け止め、あるときは友だちのように接したりしています。

先日、立ち番ではないある男性が「このごろの子どもはあいさつしないねぇ」と私に言いました。「こちらが子どもにあいさつしてやらなきゃ、と思って大きな声で『オハヨー』と声かけをしたんだが、何も言わず通っていくんだ、あいさつどころじゃないよ」って。

そこで私は「あなたが急に見ず知らずの子どもにあいさつをしたからって、すぐにその子どもはあいさつできないよ。あなたがちゃんと子ども目線に立ってあいさつをするといつか、子どもたちもするようになるよ と申しました。

人は自分を中心に考える傾向がありますから、自分があいさつしてやっているのに、子どもの方がしない、となると、腹が立ってきます。どんな育ち方をしたんだろうか、こんな子どもに将来まかせられないワイ、などと不服はだんだんエスカレートしていきます。子どもを信じないのです。それを子どもはいち早くそのおじさんの思いをキャッチします。子どもは正直です。だから子どもはそのおじさんにはあいさつしたくなくなるんです。悪循環になります。

自分が中心、という見方、つまり「私があって、相手がある」という見方を「相手があってこの私がある」という見方に変えると、相手が子どもであっても、この私を生かしている人に見えてきます。あなたのおかげでこの私がある、と思うようになります。こう思えると、相手を大事にする気持ちが自然に出てきます。そのときに出るあいさつは上下関係を超えてこころからのものなのです。

「あいさつは 上から 下から 心から」ということばがあります。その最後の「心から」が大事です。あいさつをするのにいちいちむつかしい理屈を考えてするわけではありませんが、ベースにはそのような「相手があってこの私がある」という気持ちが、すなおな、明るいあいさつになり、そのあいさつは相手に届き、相手も「おはようございます」と返してくるようになります。 相手を変えようとするには、こちらが変わらなければならない、ということでもあります。 それでまた次回に。

合 掌

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■第56話 2012年12月

人の輪の広がりが生きる力になる

今般、わが恵光寺ではバスツアーを実施。姫路方面の2ヶ寺の参拝をいたしました。このツアーは「こころの一日ツアー」と名付けられ、メインの訪問先を加古川市の同じ宗派の長楽寺さんにいたしました。

この長楽寺さんは昨年9月4日の台風12号で裏山の土砂が崩れ、本堂、阿弥陀堂が全壊、墓園も多くの墓石が流失したお寺です。その後、長楽寺さんは復興をめざし、新しい寺づくり、災害に強い街づくりに精力的に取り組んでおられます。それもお寺の方だけではなく、地域、知己の人びとと手をたずさえ、連帯の輪は大きく広がってきています。災害を通して、一般の人も参加できる新しい手法で、次代のみんなの寺づくりを始められたのです。

この長楽寺さんで今年のお十夜法会を勤められるのを機に、恵光寺の檀家も参らせてもらおう、と訪問をいたしました。

参加した人は
■私はこのツアーで、『人間はどんな状況だって絶望から立ち直る』ことを強く感じました。その強さは、一人のちからではなく、沢山の人の輪から生まれると感じました。一人ではない・・・私はあなたを応援している・・・・そんな思いが人を絶望から立ち上がらせるのだと、学ばせていただきました
■復旧作業に取り組まれている皆さまのお姿や人のチカラの有り難さを信ぜずにはいられません。みなさまの心温まるもてなしを賜り、一同胸を熱くして帰途につきました。物見遊山のではなく心の琴線に触れる旅をできたことにも感謝しております

とおっしゃっています。 また、恵光寺の真我(23歳)も参加し、次のような感想を寄せています。
■長楽寺さんでは、天災に負けず、復興にむけて活動を続ける方々にお会いしました。このような方々にお会いする度に感じるのですが、復興に向けて頑張っておられる方というのは、どうしてこうも力強く、思いやりに溢れているのでしょうか。それは自分の利益を優先しがちになる現代で、忘れられつつあるものだと思います。「情けはひとのためならず」ではないですが、思いやりを持つことが、かえって自分の心を豊かにし、強くするのだと思います
そして、長楽寺の若奥さんの麗空さんからは
■京都からお参りいただいた恵光寺のご住職ならびに皆様、本当にお参りいただいてありがとうございました。皆様にお参りいただいたことでまたがんばろう!と思えました。今は何もない境内ですが、必ずこの地に本堂を再建したと思っています。どうか見守っていただければと思っています
というメッセージを頂戴しました。 災害にあった人、それを支える人、また、そのことをいつも心にかけている人、そういう人々が繋がり合っていることが、私どもの生きる力になるのですね。それではまた。

合 掌

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■第57話 2013年1月

一年の初めに 中西ご法主の「おことば」

新年おめでとうございます。
私ども恵光寺の本山は永観堂禅林寺です。その永観堂のご法主は年頭に一般寺院の檀信徒のみなさんにむけて、新年を生きる指針の文章を発表されます。この短い文書を「おことば」と呼んでいます。
今年の中西玄禮ご法主の「おことば」を年頭にここで紹介いたします。

おことば

慈光照護のもと、新しい年の始めにあたり、皆様のご多幸を念じあげます。
新年早々恐縮ですが、もし、あなたの寿命はあと一年ですよと宣告されたら、この一年をどのように過ごされるでしょうか。あるいは、半年ですよといわれたら、いや、三か月ですよといわれたら、のんびりと正月気分にひたっておれるでしょうか。

人間怱々として衆務を営み 年命の日夜に去るを覚らず

善導大師の無常偈の一節です。毎日をうかうか暮らしていると年齢も寿命も、あっという間に過ぎ去っていく。だから、若くて力ある時から本当の幸せを求めよ、と警告しておられるのです。
この国の経済的な繁栄も崩れ、豊かさの追求が曲がり角にきて、人は生きる目標を失いつつあります。今こそ仏教の「少欲知足」の出番です。他力に目覚める時です。

「振り向けばお世話になりし人ばかり」という句があります。この歳までどれほど多くの人のご縁とご恩を受けてきたか。そのことに素直に謙虚に感謝し合掌すれば、無量のいのちと光に育まれて、生かされてあることに気付きます。幸せとは、気付くものです。

十代の女子高生の投書「幸せのはひふへほ」を紹介します。

は…半分でいい、 ひ…人並みでいい、
ふ…普通でいい、  へ…平凡でいい 
ほ…ほんの少しでいい。
今、生きていること それだけで幸せ

仏教は「めざめ」の宗教です。中でも他力の教えは「気付き」の宗教です。すべての人が尊いいのちに目覚め、生かされて恵まれている「いのち」の大切さに気付くことがなにより幸せなことなのです。

                                                 平成25年1月佛歓喜日
                                                      総本山禅林寺第九十世 
                                                              法主 義 空 玄 禮

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■第58話 2013年2月

2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日。「涅槃会(ねはんえ)」

2月15日はお釈迦さまが亡くなられた日で、「涅槃会(ねはんえ)」と呼ばれる法要を勤めます。「涅槃(ねはん)」は「迷い・苦しみの炎が吹き消された状態」という意味で「お悟り」と同義語です。
人びとを悩みから開放したい、という一念から王位を捨て、29歳で出家。艱難苦行の末、35才でお悟りを開かれ、仏陀(ブッダ/悟りを得た人)となられたお釈迦さま。その後、亡くなるまでの45年間、北インド全土を歩いてまわられ、いかなる階層の人であれ、男女であれ、いかなる職業の人であれ、つねに相手の気持ちを汲んで真理の教えを説いて回られました。
そのお釈迦さま、80歳になってご自分の死期を感じとられ、布教活動の拠点でありました霊鷲山(りょうじゅせん)を出立。アーナンダという弟子ひとりを連れて、生まれ故郷ネパールをめざして長い旅に出られます。世にいう「最期の旅」です。このとき、お釈迦さまご自身、「アーナンダよ。わたしはもう老い朽ちた。たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、わたしの身体も革紐のたすけによってもっているのだ」とおっしゃっています。朽ち果てようとするご自身のお身体をしっかりと見つめておられるところにお釈迦さまのおひとがらが見てとれます。
旅をしながら、いたる所で教化をしていかれたお釈迦さまでしたが、残念ながら生まれ故郷に到達することなく、途中のクシナガラという村で最期を迎えられます。クシナガラに着いたお釈迦さまは「さぁ、アーナンダよ。私のために、この2本の沙羅(さら)の樹の間に頭を北に向けて床を用意してくれ。私は疲れた。横になりたい」とおっしゃいました。お釈迦さまはみずからの死をもって「無常という真理」を人びとに受け止めさせよう、とされたのです。
そして有名な最期のことば。

●アーナンダよ、私が亡き後においても、この世で自らを灯明とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせざれ。法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせざれ

●アーナンダよ、私の死をみてこう思うものがあるかもしれない。『師の言葉は終わった。もはやわれらに師はない』と。だが、アーナンダよ、それはまちがっている。私の説いた法と規律とが、私の亡き後の、あなたがたの師である。比丘たちよ、全ての現象は無常で変化をしていくものである。放逸にならずはげみなさい

最後にお釈迦さまは常随の弟子・アーナンダに「ここまでよく私の世話をしてくれた」と集まった人々の前でアーナンダの労をねぎらわれました。 お釈迦さまの80歳で涅槃に入られるこの「最期の旅」のようすは、人間・釈尊の姿が彷彿としてきます。
坂村真民さんの詩に『晩年の仏陀』というのがあります。坂村さんは最期の旅のお釈迦さまをとても人間的な、父のような、そんな親しみのある人として受け止められたのです。

背中が痛い
背中が痛いと言いながら
あるときはただ一人で
あるときはアナンと二人で
老樹の下や
川のほとりで休んでいられる
八十近い釈尊の姿に
一番こころひかれる

 (以下略)    (坂村真民さん『晩年の仏陀』)
お釈迦さまのみこころは、つねにわたしどもによりそっておられる、というのがわかります。
それではまた次回に。

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■第59話 2013年3月

iPS細胞の発明と私たちの生き方

人の生死が、細胞の増殖・存続・壊死だけで語られることを心配します。

iPS細胞の発明者である山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことから、iPS細胞の話題は沸騰中です。iPS細胞の開発は再生医療への大きな福音であり、不治の病が治せたり、新しい画期的な薬を作ったりすることができる、と言われています。そういう点ではiPS細胞ができたことは、医学の発展、ということではすばらしいことでしょう。またそのことが落ち込んでいる日本の経済を活性化する救世主のようにも言われています。

しかし、ここで、いや待てよ、と思ってしまうのです。iPS細胞の開発、というのは、受精卵などを使わず、わずかな皮膚の細胞から新しい細胞が作られ、それが単独でどんどん増殖していく、という世界を作っていきます。今まででは考えられない形で違う命が生むことができる、ということです。こうなればどういうことが新たに起こるのでしょう。いのちへの軽視、選別、差別が行われるようになるかもしれません。その辺、識者も倫理上の問題として注意を要する、と発言しています。

では仏教ではどう考えるか、です。 仏教は、あらゆるもののいのちは、必ず年をとり、病気をし、死ぬもの、と見ています。これを基盤として人生を考え、しあわせの道を歩め、というのです。
お釈迦さまの最期のことばに
「さあ、比丘たちよ、おん身たちに告げよう『すべて存在するものは滅する性質のものである。怠らず努力せよ』と」
とあります。くりかえしますが、すべて存在するものは必ず滅するのです。

iPS細胞の開発が進めば、病気は治るもの、死はのがれ得るもの、と錯覚していき、
老、病、死 、つまり、人は「滅する」性質を生きているのに、その見方ができなくなるのではないか、と危惧するのです。
老、病、死 はその人ひとりのもののように見えますが、実は夫婦、親子、家族、地域、友人、まわりの人びとなど、いろんな人がいる中で営まれています。人と人の関係の中で
老、病、死 が営まれるからこそ、そこには悲しみ、つらさがありながら、その中から愛おしさ、希望、生きる力、連帯、喜びなどが生まれてくるのです。つまり、「老、病、死」はのがれることのできないものだからこそ、人々はこの苦しみを乗り越えよう、と日常生活のなかでいろんな工夫をしてきたのです。まさしく、堪える、愛する、いたわる、励む、相手に寄り添う、ものごとをより深く考える、そういう生き方を夫婦で、親子で、家庭で、人々の中で、訓練して作り上げてきました。「老、病、死」はその人ひとりのものだけではないのです。そのため、先人は宗教を生んできましたし、文学、美術、音楽などの芸術を作り出してきました。 ですから、心配されることは、iPS細胞開発が進むと、人の生死が「細胞の増殖・存続・壊死」だけで語られ、その人ひとりのことがらとなり、長い間、「老、病、死」をみんながいっしょに経験し、正視し、それを超えていこう、とする「共生きの力」がなくなっていくのではないか、ということなのです。

引き続きみなさんといっしょに注意をし、考えていきたいと思います。
それではまた次回に。

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■第60話 2013年4月

「死」はいのち輝くときなのです

「小往生」の積み重ねが「大往生」になる

朝日新聞の土曜版には毎週、日野原重明さんの「101歳・私の証 あるがまゝ行く」というコラムが連載されています。私は土曜日の朝、このコラムをいちばんに読むことが習慣になっています。
 この3月30日のコラムでは「いのちがいちばん輝く日」という映画のことが紹介されていました。
不治のがんを受け入れ、ホスピス棟にいる老人がみんなの助けを得て遠方にいる生まれたばかりの孫に出会い、そして家族に見守れらながら亡くなる、というお話で、悲しいはずの死こそが「いのちがいちばん輝く日」なのだ、と教えている映画、と日野原さんは言います。

法然上人の御文章につぎのようなものがあります。あるお坊さまに送られたお手紙の一節です。要領のよい文章で、口調もよく、声を出して詠むと気持ちがよくなりますよ。
受けがたき人身(にんしん)をうけて、
あいがたき本願(ほんがん)にあいて、
おこしがたき道心(どうしん)を発(おこ)して、
離れがたき輪廻(りんね)の里をはなれて、
生まれがたき浄土(じょうど)に往生(おうじょう)せんこと
よろこびの中のよろこびなり。

法然上人は、ここで、人の一生の受け止め方を5つの段階に分けて説明しておられるます。今のことばに置き換えてみましょう。
① 人がこの世に生まれますが、とても不思議なご縁で生まれてきます
② あらゆる天地の営みがあなたひとりを生かさずにはおれない、と働きかけていることに気づきましょう。その働きかけはほとけさまのお力、としか言いようのないものです
③ そのように見守られて生きていることがわかれば、自分の行いを清らかにしよう、という心が生まれます
④ 清らかな行いをつづけていくと、こころにわだかまりが無くなって、自分も相手も大切にして生きるようになります
⑤ 死は苦ではありません。亡くなるというのは、自分の人生を精いっぱい生きてきた結果、そのままほとけさまの国に生まれ、次の人を見守る側のひとになる、ということです。ですから、死はよろこびであり、いのち輝くときです

となります。

人は必ず死にます。「生は偶然、死は必然」です。その「死」に向かって生きる私が、「死」を受け入れ、ひとりではなく、まわりの人にも、仏さまにも見守られている、と戴くと、今する行いが清らかになるのです。
お経に「善いことをしよう、悪いことをしないでいこう。これがこころ清らかな生き方になる」と示されています。この「善いことをする」「悪いことをしない」という行為を仏教では「小往生」といい、この「小往生」の積み重ねが、最後の「大往生」につながっていきます。
ですから、「大往生」という「死」の瞬間は「いのち輝くとき」なのです。 
ではまた次回に。

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